*たわごとコラム

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春の、ある晴れた日、
近くの公園に梅を観に行きました。

その日は、花も木も山も空も人間も、もうなにもかも・・・
空気でさえもキラキラと光り輝いて見えました。

春が来て、芽吹き、花が咲く・・・連綿と続く、自ら然るべき営み
何の淀みもないその流れを、人間は美しいと感じるのかもしれません。

春?

テレビをつけると、ここ数日「数年に1度」とされる強い寒気が襲来していて、
日本各地で大雪が降り続いている、というニュースが流れています。

ところがこの辺りでは、梅どころか既に早咲きの桜までもが見頃を迎えていて、
晴れた日には「小春日和」と言いたくなるような陽気です。

北海道と沖縄ぐらい離れていればそれも当然と思えますが、
ここは本州で決して南国ではありません。

なんだか、台風の目の中にいるような気分です。

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桜の木にたくさんのメジロが戯れていました。

あけまして おめでとうございます。

今年の年賀状はこんなかんじ。

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もうね、ここまで生きていればあちこちキズだらけですけれども、
その分、たくさんの鳥たちが来てくれることでしょう。

穏やかで、平和な一年になりますように。

「ぴこ」

今「ぴこ」というと、今年大ブレークしたピコ太郎さんを思い出す人が多いと思います。
P.P.A.P.という歌を世界中にヒットさせて、一躍有名になったあの方です。
なんでそんなことになったのか、ご本人も首をかしげていらっしゃるそうですが、
世界中の人たちが同じ歌を口ずさんで笑顔になっているのですから、
ピコ太郎さんが世界をつなげたと言っても過言ではないと思います。

さて・・・・
絵本の世界にもいるんです、「ぴこ」が。

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「これは のみの ぴこ」
作者は詩人の谷川俊太郎さん、1979年に発刊されたロングセラーです。

 

最初の見開きはたった1行。

これは のみの ぴこ

次の見開きでは

これは のみの ぴこが
すんでいる ねこの ごえもん

その次の見開きでは

これは のみの ぴこが
すんでいる ねこの ごえもんの
しっぽ ふんずけた あきらくん

・・・とこんな感じでどんどん登場人物が増え、世界が広がってゆき、
最後の見開きではまた、「のみ」に戻るという展開になっています。

この絵本、子供たちにとても人気があるそうで、特に読み聞かせをするとすごく盛り上がるのだとか。
リズムを変えて読んでみたり、早口にしてみたり、何度も繰り返し口ずさんでいるうちに、
全部覚えてしまう子もいるそうです。

書評を読むと、この絵本がいかに愛されているかがわかります。
「声に出して読むとリズムが心地よい」「話が積みあがっていく感じがおもしろい」
「大人もハマる」「繰り返し読みたくなる」・・・

この作品の意味を大人の頭で考えると、「ありとあらゆる存在は繋がっているのだ」という深い思想を感じ取ることができます。
「のみ」も「人間」もそれ以外のものたちも、この世界を構成する一要素であるという意味では同等で、
それらのつながりの中で全てのものは存在しうるのだということを表現しているように思えます。

もちろん、これはあくまで私が感じたことで、この作品に込められた本当の意味は作者ご本人にしか分かりません。
もしかすると、谷川さんは『ただ楽しい言葉遊びを考えて作っただけだよ』とおっしゃるかもしれません。
(だとしたら、なおさらすごいことですね。)

こどもでも楽しめるような平易な言葉で、口ずさむと心地よく、繰り返し読みたくなり、長く読み継がれ、
それとなく深遠な意味を宿している・・・

・・・名作です。

世界を繋げる「ぴこ」、
一見取るに足らないもののようですが、実はとても大切なものを見せてくれているのかもしれません。

Happy holidays! 

12月だというのに、この辺りではまるで春のような陽気です。
おまけに、この町では花火が上がったり桜が咲いたりします。

なんとうららかなクリスマス・・・

さてさて、改めまして年末年始のお知らせです。

プレシャス・ブックスは12月28日(更新は26日まで)から1月5日までお休みをいただきます。
この期間にいただいたご注文やご質問につきましては、お返事が1月6日になりますので何卒ご了承ください。

Tと朝ごはんを食べながら

「これ、だいだいプーかける?」

「だいだいには、プーがつくんだ?」

「呼び捨てにする人もいるよね」

「じゃあ、ゆずプー・・・っていうの?」

「ちがうよ」

「?」

「ゆずは、『ゆずっち』だよ」

「へ〜、じゃあ『ニューサマーオレンジ』は?」

「ニューサマーオレンジさま」

「複数形は?」

「ニューサマーオレンジさま〜ズ」

「へ〜」

「じゃあ、みかんは」

「みかんはみかん」

「なんで?」

「なんでって、なんで?」

「・・・・」

宝物が売れた—その2

フリーマーケットに参加するたびに、出品するものがあります。

クッキーの空き缶に細々したものを詰め込んで、10円とか30円とかいう値段をつけ、店先の端っこに置いておくのです。
地面に敷いたシートの上に直接置いておくことがポイントです。
細々したものというのは、ビーズが詰まった小瓶だったり、色ガラスのブロックだったり、アクセサリーのパーツだったり・・・何かを作った時に出た素材のあまりや、部品などなど。出来合いのおもちゃや雑貨などは一切ありません。
一見ガチャガチャで、でもなんだかちょっとキラキラした、使い道があるようなないようなガラクタです。

このクッキー缶に、毎回必ず子供たちが集まってきます。女の子が多いですが、男の子が来ることもあります。

親御さんと一緒の場合には、子供たちが興味津々に缶の中を覗き込んでいても「そんなもの!」といわれて強制的に連れて行かれてしまうのですが、最近はわずかなお小遣いを与えられて、そのお小遣いで買えるものなら何でも買ってきていいよと言われる子もいるらしく、そういう子供たちがこの缶に興味を示すと、店先にしゃがみこんで延々と中身を眺めているのです。

そういう時は、そっと見守ってあまり声をかけないようにします。

ほとんどの子が、一つ一つのものをじっくり眺め回して、かなりの時間をかけて買うものを選びます。「買う」ということは最初から決めているようなのですが、お小遣いの計算をしながら、どれを選ぶかじっくりと考えているのです。

本当はプレゼントしてもいいようなものなのですが、そんなことをしてしまうと、むしろその子にとっての大切な時間を奪ってしまうような気がするのです。ですから、プレゼントの代わりに「これをください」といってきたら、「一つ何かをおまけしてあげるから、好きなものを選んでいいよ」と答えます。そうすると、みんなものすごく嬉しそうにして、またじっくりと時間をかけておまけの一つを選ぶのです。

いったいどうしてこの缶がこんなに子供たちを引き寄せるのか、その光景を見ている方も興味津々です。フリーマーケットでは10円20円で売られているおもちゃは他のお店にもたくさんあるので、「安くて少ないお小遣いでも買えるから」という理由だけではないことは確かです。

2.3人の女の子グループで缶を囲んだ場合には、とても姦しくてその会話を聞いているのも楽しいです。

「わ~、コレなんだろう」
「わ~、きれい~」
「こういうの好き~」
「どれがいいかな~」
「青いのきれい~」

今回は男の子もやってきていつまでも缶の中を眺めていました。
程なくご両親がやってきて連れて行かれてしまいましたが、しばらくすると再び家族で現れて、すかさず缶に駆け寄った男の子は中から色ガラスのブロックを選んでお父さんに差し出し、どうしてもこれが欲しいのだとおねだりしました。缶の中の色ガラスが忘れられなかったようです。その子は結局2色の色ガラスを買ってもらって満面の笑みで去って行きました。

ある女の子が誤って地面に撒いてしまったビーズに、子供たちがいつの間にかわらわらと鳩のように集まって、宝探しが始まってしまったりもしました。

とにかく、この缶の周りでは面白いことがたくさん起こります。

 

そんな光景を見ていると、自分がこの子たちと同じ年頃だった頃の、ワクワクした気持ちを思い出します。

宝物箱に集めていたもの・・貝殻、丸くてキレイな石、どんぐり・・・・
お小遣いを握りしめて駄菓子屋さんに行ったときのこと、
近所の旋盤工場の裏に積まれていた、くるくる渦を巻いた金属が見たくて学校の帰りに必ず立ち寄っていたこと、
あの頃のそうしたワクワクした気持ちが、確かにその後の私の心を形作る材料になっています。

おもちゃ屋さんに並んでいる高価なおもちゃやゲームにも、子供たちは同じような反応を示すのでしょうか?
私にはよく分かりませんが、少なくともこの缶を覗き込む子供たちの様子を見ていると、与えるおもちゃを考え直したほうがいいのではないかと思えてきます。
完成形のものよりも、想像や創造の材料となるようなものにめぐり合わせてあげたほうが良いような気がするのです。

宝物が売れた—その1

先週末、数年ぶりに地元のフリーマーケットに参加してきました。

 

第一の目的はもちろん家の中の不用品を整理することなのですが、

毎回色々な出会いや発見があって、いい思い出にもなるので、我が家では数年に一度の恒例行事になっています。

 

今回は叔母の友人からの委託品がありました。

 

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『手鞠』というのでしょうか、私が子供だった頃近所のおばあさんが作っていたので、

久しぶりに目にして懐かしさを覚えました。

当時は今よりもずっと作り手が多かったのではないかと思います。

 

とにかく、作ることそのものが楽しくて続けているので、作品が増えてしまって困る・・・・ということでした。

もちろん商売にする気もないし、捨てるのも勿体無いからフリーマーケットで売って欲しいというのです。

 

当日は朝一番からこの『手鞠』を見て、たくさんの方が足を止めてくださいました。

「懐かしい」という人。

思い出話を聞かせてくれた人。

「今はものすごく高く売られている」と教えてくれた人。

作り方を教えてくれた人・・・・

 

一番印象的だったのは、値引き交渉もせずに一つ買ってくれた青年でした。

年齢的には20代前半といったところ・・・何かものづくりをやっていそうなアーティスト風のオーラを放っていました。

 

青年はものすごく興奮した様子で一つ一つの作品を眺め回し、

「わ~、これどうやってつくるんですか??」

「中に何が入っているんですか??」

「この模様はどうやって出すんですか??」

「これ、正式名は何て言うんですか??」

矢継ぎ早に質問が飛んできます。

けれども、私が作ったわけではないので子供の頃の記憶をたどっても曖昧な返答しかできません。

そこにちょうどやってきた年配の女性が、その質問の全てに答えてくださいました。

後で聞いた話によると、昔作っていらっしゃったことがあるのだそうです。

 

青年は目をキラキラさせてその女性の話を聞いていました。

私にとっては昔懐かしい『手鞠』でも、その青年にとっては初めて目にするもので、

しかも何かものすごく感性を刺激するものがあったのでしょう。

彼は家に帰ってこの『手鞠』について調べ、そして新しい作品を生み出すかもしれません。

そんなエネルギーが強く伝わってきました。

 

大げさな言い方かもしれませんが、その光景には日本の未来への「希望」のようなものが見えました。

こんな風に、日本の失われつつある「佳きもの」が、次の世代へと伝わってゆけばいいのに・・・

と、ふと感じたのです。

 

何はともあれ、預かったものを、すごく良いかたちで受け渡しすることができたと思っています。

頭の中でリフレインしているメロディー

ここ数日、頭の中でリフレインしているメロディー。

時間に追われてる時ほど、こんなメロディが流れる・・・

♪ 歌を忘れたカナリアは〜 ♪

「歌を忘れたカナリア」

日本人であればおそらく、おおかたの人がどこかで聞いたことのあるフレーズ。
童謡「かなりあ」(詩・西条八十)の歌詞の一節で、歌える人も多いと思います。

♪ 歌を忘れたカナリアは〜 ♪

私も、どこで習ったのかメロディを知っているのですが、
いざ歌ってみると一番しか思い出せませんでした。

♪ 歌を忘れたカナリアは~ ♪
♪ 後ろの山に棄てましょか ♪
♪ いえいえ それはかわいそう ♪

ここだけ歌っていると、なんだか悲しくて、残酷な歌です。
歌を忘れただけで山に棄ててしまうなんて。

改めて調べてみると4番までありました。
2番3番はさらに残酷です。

♪ 歌を忘れたカナリアは~ ♪
♪ 背戸の小薮に埋けましょか ♪
♪ いえいえ それはなりませぬ ♪

♪ 歌を忘れたカナリアは~ ♪
♪ 柳の鞭でぶちましょか ♪
♪ いえいえ それはかわいそう ♪

これは、最近「本当は怖い」と取りざたされている昔話や童話の類と同じなのでは?と勘違いしそうになりました。

この歌は4番に真意が込められていたのです。

♪ 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい ♪
♪ 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す ♪

4番まで聞いて初めて、この歌の意味の深さを知ることができます。
忘れていたとはいえ、なんとなくでも1番だけを繰り返し歌っているのは、
まさしく「歌を忘れたカナリア」と同じ。

あるべき場所に立ち帰れば、再び美しい歌を思い出すことができます。

久しぶりに4番を思い出し、優しい気持ちでこの歌を歌えるようになりました。
改めて、「歌を忘れたカナリア」の意味を考えながら。

♪ 歌を忘れたカナリアは~
♪ 後ろの山に棄てましょか
♪ いえいえ それはかわいそう

♪ 歌を忘れたカナリアは~
♪ 背戸の小薮に埋けましょか
♪ いえいえ それはなりませぬ

♪ 歌を忘れたカナリアは~
♪ 柳の鞭でぶちましょか
♪ いえいえ それはかわいそう

♪ 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
♪ 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

出会ってしまったんですよね、モロッコで。

「ヘタウマ」という表現は、いつ頃できたのでしょう。
私が子供の頃には、なかったような気がします。
調べてみると、ちゃんとWikipediaにも項目がありました。

「技巧の稚拙さ(つまり「ヘタ」)が、かえって個性や味(つまり「ウマい」)となっている様を指す言葉。」

さらに「明確な痕跡を残しておらず、誰が、いつ頃から、どういう必然性で、いかなる理論を基に生み出されたかは不分明である。」と記されています。

受け手の主観によるところが大きいため、明確な定義は存在しないそうですが、
確かに、何をもってして「ウマイ」といい、何をもってして「ヘタ」というのか、明確な基準などありません。
みんな「なんとなく」使っているのだと思うのですが、「ヘタウマ」という印象を受ける作品は、やっぱり何かが魅力的で心惹かれるものがあるんですよね。

昔、「ヘタウマ」にまつわるこんな手記を目にしたことがあります。

「『君はヘタな絵が本当にウマイねえ』と上司に褒められました。」

ヘタな絵がウマイ?・・・まあとにかく褒められたのですから、上司の方がその絵を魅力的に感じたのは確かなのだと思います。

絵本の分野にも、そういった作品が確かに存在します。
今となってはそういうタッチを意図して製作されているものがほとんどですから、少なくとも出版社を通して世に出ているものに、単に「ヘタ」な作品なんて存在しないはずですよね。

そう、Wikipediaの表現を借りて言えば、その作品が技巧的に稚拙に見えても、それが個性や味と認められたから出版に至ったのです。

私も、これまでに相当数の絵本を見てきましたが、全くその通りです。
現在は、昔よりもずっと個性や味と認められる範囲が広くなっていて、既成概念の枠を広げてくれるような作品が次々に生み出されています。
もはや、「ヘタ」とか「ウマイ」とか、さらには「ヘタウマ」なんていう表現すらも、そういう定義自体が稚拙なのでは、と思えるくらいです。

ところが・・・出会ってしまったんですよねモロッコで。

 

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「これ・・・もしかして『ヘタ』?」
「いや・・・このタッチを狙っているのかな・・・」
自分のセンサーに耳をすませてみても「ヘタウマ」という感想は聞こえてきません。

あるいは、文化の違いなのかもしれません。

いずれにしても、私はなんだかものすごく楽しい気持ちになって、この絵本を買うことにしました。
こんな絵本が出版されていることそのものが、その国の個性であり、味なのですから。

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子供には解けて大人には解けない

*文末に答えを追記しました。

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店主Bから突然「これ解ける?」と出された問題。
なんでも「子供には解けて大人には解けない」問題なのだそうです。
どうやら、インターネット上で話題になっている様子。

最初に出されたのがこの問題。

*2581=??? ???の数字は?

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*車の下に隠れている数字は?

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これは、なぜかすぐにピンときて短時間でクリア。
ポイントに気がついてしまえば、なんてことない問題です。

 

ところが、小学4年生の普通の算数だというこの問題には結構苦戦しました。

*『3つの正方形の合計面積を求めよ』

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小学生の算数・・・難しい。

う〜ん、やっぱり頭が固くなっているんですかね。

大人になると、子供の頃のような自由な発想がなかなかできなくなりますね。
こんな子供たちの珍回答を見ると、つくづくそう思います。

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なんかもう・・・大爆笑。

 

せっかくなので上の問題の答えは明日、追記しますね。
初めてこの問題を見る方、是非トライしてみてください。
頭の体操になりますよ!

 

 

 

 

 

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【答え】

*2581=??? ???の数字は? 【答え】2

*車の下に隠れている数字は? 【答え】87

*3つの正方形の合計面積を求めよ 【答え】241 ㎠

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