*たわごとコラム

ただいまの机上絵本–「わたしは青なの」–その3

「わたしは生きてるさくらんぼ」・・・この作品の作者はどんな人物だと思いますか?
バーバラ・クーニーの絵の雰囲気や
“小さな女の子のうた”というタイトルの印象も手伝って
わたしは最初、作者は女性だと感じました。
詩から感じられるのは、“静寂の中に生きる賢者”のイメージ。
タシャ・チューダーのような老女のイメージもありました。

ところが、 Delmore Schwartz(デルモア・シュワルツ)の経歴を知り、
そのイメージはまったくの的外れであることが分かりました。

名前の通り作者は男性で、1913年ブルックリン生まれ。
先述の代表作は数多の著名人に賞賛され、他の作品の評価も高かったようですが
アルコール中毒・薬物依存、精神障害・・・などなど
一生を通じて、かなり悲惨な暮しぶりだったようです。

ルーマニア移民である両親からの影響が、Delmore Schwartzの人生に
暗い影を落とし続けたという説が一般的のようで
晩年には頻繁に居酒屋で深酒し、無一文になって公園で酔いつぶれているような
孤独な生き方をしたあげく、
1966年、ホテルのロビーで心臓発作を起して突然死した・・・とのこと。

優れた才覚に恵まれながら、退廃的な人生を歩んだ作家は他にも結構いるので
決して珍しい逸話ではありませんが、
「わたしは生きてるさくらんぼ」の作者がそういう人物であるとは少し意外でした。

この絵本のカバー袖には、
「デルモア・シュワルツのいきるよろこびをたたえる賛歌・・・」
と解説されています。
さらに、1959年に出版された彼の詩集、
Summer Knowledge: Selected Poems (1938-1958)から
マテリアルを得たとも記されています。

「わたしは生きてるさくらんぼ」の原書、
“I am Cherry Alive,” the Little Girl Sang の初版は1979年ですから、
この絵本はデルモア・シュワルツの没後13年に制作されたことになります。
そうなると、出版の経緯もまた気になります。 この詩を絵本にしよう思い立ったのは
原書の出版元、Harper & Row Publisherの編集者でしょうか? 
あるいは、バーバラ・クーニーが?・・・残念ながら絵本にはなんの記述もなく、
今のところ資料も見つかっていません。

それにしても、こんな詩をうたった人が、
退廃的な人生を歩み続けたのはどうしてなのでしょうか?
どんな人生にも、いい時も悪い時もあるはずですが、
そんな理由で説明できるものではない気がします。

自虐的ともいえるような悲惨な生き方をする作家が、次元を越えた作品を生み出すのは
あらゆる狂気や苦しみを知り尽くしたその先に、永遠にも通じるような純粋な喜びを
見るからなのでしょうか。
それとも狂っているのは私たちの方で、大多数の曇った目が、天才の人生を潰したあげくに
“狂人”のレッテルを貼るのでしょうか?

わたしは あかよ
わたしは 金
わたしは みどりよ
わたしは 青なの

わたしは いつでも わたしでしょう

わたしは いつも
あたらしくなるのよ

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