*たわごとコラム

パレチェクさんがやってきた。

月末だからでしょうか、それとももう年末、ということなのでしょうか、
車で東京に向かったら、ものすごい渋滞に巻き込まれて予定が大幅に狂ってしまいました。
ここから東京の高速出口までにかかった時間より、
都内での移動時間の方がずっと長かったです。一般道も、首都高も、裏道までもが大渋滞。
車に乗っていただけなのに、ものすごい疲労感で、家にたどり着いたらバタンキューでした。

以前は、満員電車で通勤通学していましたし、渋滞なんて当たり前の生活でしたが、
どうやらこちらに越して来て、混雑に対する抵抗力がなくなってしまったみたいです。

ちなみに伊豆は渋滞がひどい地域だと思われているようですが、
住んでみるとそれほど問題には感じません。
渋滞するのは観光地を結ぶ国道だけ、しかも休み前後の決まった時間帯に限られているので、回避するのは簡単なんです。裏道も分かってくるしね。
東京みたいに、細い道にまで車が詰まっているなんてことはありません。

とにかく東京は大きい! 超がつく BIG CITY です。
他の国では、首都といえども車でちょっと走ればすぐに街の端っこ。
東京はいけどもいけども建物がところ狭しと並んでいて、人も車も四六時中往来してます。
いろんな意味で、世界で一番混雑してる街なんですよね。

突然話は変わりますが、そんな街に今週末パレチェクさんがやってきます。
長旅の上に、かなりのハード・スケジュール。
ご高齢ですし体調を崩されたりしないか、ちょっと心配です。

イベントが盛況なら疲れも吹き飛ぶはず。
みんなで元気を贈りましょうね。

詳細はこちら
http://www.parco-art.com/web/logos/chibitora/index.php

「恋の噂・・・その2」

今日も今日とて、こうちゃんまっしぐらに散歩をしたクロッキー。

以前は家を出ると、気が向くままに山側に歩き出したり
海側に歩き出したりしていたのですが
最近では迷うことなく、こうちゃんの家がある海側へと向かいます。

今日は天気がよかったので、こうちゃん参りをした後に
ぐるっと回って山側へも足を向けました。

そうしたら、以前よく一緒に遊んでももらっていたコロのお父さんに
『最近クロのこと見ないから、どうしたのかと思ってた』と
いわれてしまいました。

店主B「最近、海の方に彼氏ができちゃって・・・」

コロパパ「そうか、コロはふられたんだな」

店主B「いえいえ、コロのことも好きみたいなんですけどね」

コロパパ「そうか、ナンバー2か・・・残念だなコロ」

店主B「いえいえ・・・」

ということで、コロは“失恋した犬”ということになってしまいました。(苦笑)

平和になったベルリン

私が初めてドイツを訪れたのは80年代のことで、
その頃はまだベルリンの壁が東西を分断していました。
西ドイツを気が向くままに旅していましたが、東側はベールにつつまれた遠い国に思えて、
ついに足を向けることはありませんでした。
ベルリンの空港に降り立ったのは、壁が崩壊してだいぶ経ってからのことです。
自由になったとはいえ、まだまだ社会主義時代の雰囲気が
色濃く残っていたのを覚えています。
一つの街に、壁を隔ててまったく違う空気が流れていたベルリン・・・
戦後の平和な日本に生まれた私にとっては、得体の知れない違和感を感じる街でした。

最近、“善き人のためのソナタ”というドイツ映画を観て、
閉ざされていた時代がどういう状況だったのかを、ほんの少しだけ知ることができました。
東ドイツのシュタージ(秘密警察・諜報機関)のエージェントを主人公にしたストーリーで、
当時の東ドイツが置かれていた監視社会の実像を浮き彫りにしています。
舞台は1984年の東ベルリン。
自由が許されず、みんなが身を潜めて暮らしていたというこの時代に、、、、
私は西側を自由に旅していました。
つい先日のことのように感じます。とても“昔”という感覚ではありません。
壁が崩壊したのは1989年のこと。
ついこの間まで、東ドイツは社会主義国家として存在していたのです。

最近、そんな東ドイツの文化を紹介する本が増えました。
建築、グラフィック、インテリア・・・・

ベルリンの歴史を考えると、そういう本たちへの見方も変わってきます・・・が、
とにかく・・・平和になったということですね。
平和でなければ、自由に本を出版することもできません。
絵本でさえ、例外ではないのです。

“日本一遅い紅葉”の名所

日が短くなって、なんだか一日があっという間に終わってしまう感じです。
もう、冬なんですね~。

けれども、温暖なこの辺りでは、これからが紅葉の見ごろ。
熱海の梅園は“日本一早く咲く梅”で知られているのですが、
“日本一遅い紅葉”の名所でもあるそうです。

この秋、 紅葉を見そびれてしまったという方。
ここならまだ間に合いますよ。(笑)

「阿弥陀堂だより」という映画を観ました。

小泉堯史監督の「阿弥陀堂だより」という映画を観ました。

人に勧められたり、紹介記事を読んだり、映画を観るきっかけはいろいろですが、
私は時々、レンタルDVD屋さんに行って、なるべく考えずに無造作に一本選ぶ・・ということを意識的にやってみることがあります。(なんか矛盾した言い方だけど)

なんとなく店内を歩き、「この辺かな・・」とかつぶやきながら棚を選んで
無造作に手を伸ばした作品をそのままレジに運びます。

で・・今回はこの作品でした。

原作は、南木佳士さんによる同名小説。

「心を病んだ妻の恢復を静かに見守る夫の姿をとおし、奥信濃の自然の中、むつみあって生きる人々を、日本の原像の一端として描こうとするものです」と監督は語っています。

(“むつみあう”とは・・・なんと心にあたたかく響く言葉でしょう・・・)

この映画には、おうめさんという 96歳のおばあさんが登場します。
そのおうめさんが発する言葉を、難病を抱える少女が書き留めて、
村の広報誌に「阿弥陀堂だより」というコラムを連載しています。

http://www.amidado.com/04oume.htm

この少女が愛読しているのがプーシキンの詩集。

日々の命の営みが、
時にはあなたを欺いたとしても、
悲しみや憤りを抱いてはいけない。
悲しい日には、心を穏やかに保ちなさい。
きっと、再び喜びの日が訪れるから。
心はいつも行く末の中に生きる。
今あるものは、すずろにさびしく、想いを呼ぶ。   
人の世のなべてのものは、つかの間に流れ去る。
流れ去るものはやがて、懐かしいものとなる。

『なんだか生きることに疲れてしまったな~』と思うとき、
この映画を観ると、新しい視点を得られるかもしれません。

最後に、印象深かったおうめさんの台詞・・・

「わしゃあ、いい話だけを聞きたいであります。
たいていのせつねえ話はもう聞きあきたであります」

まったくだよねぇ。

恋の噂

最近この辺りでは、恋の噂でもちきり。
なんでも10代のカップルがアツアツなのだとか。

私がその噂を聞いたのは、ミニバイクで新聞配達をしているお姉さんから。
男の子の方はクリーニング屋さんの家の子で、
毎日のように夕方になると、店先で彼女が通りかかるのを待っているのだそうです。

その、彼女というのが、実はうちのクロッキーなんです。
彼氏の名前は“こうすけ”で、みんなからこうちゃんと呼ばれています。
最近クロは、家をでるとこうちゃんのところにまっしぐら。
足取りが軽いのなんの。
とてもこの夏片目の失明した犬には見えません。(笑)

こうちゃんは、お店にいる時はノーリードなので、クロが行くと、
何メールも向こうから飛んで来てくれます。
たまに散歩の時間が重なったりして、こうちゃんが店にいないと、
クロは入り口からじっと中を見つめて、いつまでもクークーいっています。
最近では、店の人が夕方になると入り口を少しだけ開けといてくれて、
2匹がいつでも会えるようにしてくれているのです。

クロッキーが行くと、まず一目散にこうちゃんが飛び出てきます。
そして何故か、こうちゃんのお父さんや、お店の人や、お孫さんたちや
お向かいのおばさんまでもがわざわざ外に出て来て、
ニコニコしながら2匹を見守っています。
たまに新聞屋さんも通りかかって、クリーニング屋さんの店先は大にぎわいです。

そして毎日のように、誰かが、
「こうちゃんたら今日は大好きな肉に見向きもしないで、
入り口のところで待っていたよ。」とか
「『ほらクロちゃんがきたよ!』っていうだけで、
簡単にだまされて外に飛び出していっちゃうんだよ。」とか
「昨日は家を抜け出して、どうもクロちゃんの家に行ったみたいだよ。」とか
それはそれはアツアツな恋の噂を聞かせてくれるのです。

私としては、毎日クロを連れて行かないとかわいそうなような気もするし、
お店のじゃまになって、ご迷惑なんじゃないかという気もするし・・・
ちょっと複雑な心境です。

でもね、2匹を見ていると本当にほほえましいです。
こうちゃんと相思相愛?になったのは、失明した後のことで、
この秋クロは、決してつらいだけの毎日じゃなかったんです。

いろいろありましたけれど、
クロは今日も、おもいっきり生きています。

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ありがとう、みなさん。ありがとう、こうちゃん。

気になる木

散歩のとき、いつも気になっている道ばたの植物。
一番小さいので、高さ5cm位です。

段があって、少し高くなったところに生えているので、
誰にも踏まれないし、
花が咲かないので、手折られることもありません。
瀕死に見えるけど 、冬でも枯れない。。。。

アリから見れば、バオバブの木のようなかんじかも。
耳を澄ますとおしゃべりしているのが聞こえてきそうで、
いつも、ついつい足を止めてしまいます。

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「My pleasure.」

「My pleasure.」

私は旅先で何度も何度も見知らぬ人の親切に助けられました。
だからこそ、言葉に不安があっても、メアリーに声をかけずにいられませんでした。
何語を話す人でも、多分声をかけていたと思います。
自分も同じように声をかけてもらったからです。
声をかけてくれた人は、私が何語を話すかなんて、まったく気にしていませんでした。
その人たちのお陰で旅の思い出はとても豊かになりましたし、
何より、『人間ていいな』としみじみ思うようになりました。
もちろん、どこの国にもよこしまな人もいて、時には嫌な思いもしますが、
そんな人でも、よこしまなだけではないはずだと思えてきます。
連日どんなに暗いニュースが飛び交っても、
同じこの世界のどこかに、親切な人が生きているのだと思うと、
絶望する必要はないのだと感じられるのです。

彼らは何故声をかけてくれたのでしょうか?
文化や習慣、宗教によるものでしょうか?
確かに、そういう部分もあるかもしれませんが、
人種や世代に関係なく、人間はみなそういうものを持っているのだと私は信じています。
そしてそれを“善”というのだと思います。

「Thank you.」とお礼いった時、
「My pleasure.」と応えてくれる人がいます。
日本語に訳すと「どういたしまして」という意味ですが、
直訳すると「私の喜び」です。
『そうさせていただいたことは、私にとって喜びなのでお礼には及びません』
というニュアンスで、私はこの言い方が大好きです。
メアリーにも、心からそう応えることができました。
自分が貰ったものに対して、少しでも恩返しをしたいと思っていたからです。

ここに書いたことは、“きれいごと”でしょうか?
確かに、世界中でたくさんの悲惨な事件が起きています。
旅人が巻き込まれることも珍しくありません。
けれども、だからといってこの世は危険に満ちている・・とだけ考えるべきでしょうか?

この世界には光も影もあり、影ばかり報じられるからといって
世界は闇だと思ってしまうのはもったいないと思います。
少なくとも人間は「Thank you.」という言葉を生み出し、
それに対して「My pleasure.」という応え方を生み出した生き物です。
そういう言葉があるということは、そういうものが人間にはあるということ。
それだけでも、『捨てたもんじゃない』・・と私には思えるのです。

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