*たわごとコラム

サンタさん、来ましたか?

サンタさん、来ましたか?

一説によると、
サンタクロースは一晩で世界中を回らなくてはならないので、
一軒の家に費やせる時間はほんの一瞬・・・
だから、目に見えないのだそうです。

ところが店主Bは、
24日のお昼頃、移動中のサンタクロースを目撃したと証言しています。
国道の渋滞を避けて山間の裏道を車で走行中、
なんと、バイクに乗ったサンタクロースが追い抜いていったとのこと。
道沿いのレストランにいたカップルも指差して笑っていたというので、
目撃者は他にもたくさんいるはずです。
(アルバイト先に向かう途中だったのでしょうか?・・・笑)

近所の子に「サンタクロース来た?」ときいてみたところ、
うれしそうに「来たよ、お父さんと、おかあさんでしょ」と答えました。
寝たふりをして薄目を開けていたら、
お母さんが枕元にプレゼントを置いてくれたのだそうです。

そんな話を聞くだけで、
「やっぱり、サンタクロースは本当にいるんだ」
と、確信を持ってそう思える私です。

Merry Christmas.

Merry Christmas.

楽しいこと、つらいこと・・・
今年もいろいろなことがありましたね。

その時々はいっぱいいっぱいでも、
過ぎてみればあっという間です。

器が小さい私は、いつも些細なことで右往左往していますので、
せめて今日という日は、 なるべく遠く遠くに心を馳せて、
心静かに過ごしたいと思います。

座右の銘・・という程のものではないのですが
私が大切にしているキーワードは「それでも」です。

いろいろなことがあるけれど、“それでも”生きる—-という意味で。
それは何よりも強い決意の表現で、私にとってはいつまでたっても“目標”ですが、
自分を励ます言葉として携えています。

久しぶりに、マザー・テレサの本を読み返したら、
「それでも」という詩があることに気がつきました。
詩そのものは知っていましたが、タイトルが「それでも」であることを
初めて知ったのです。

マザー・テレサこそ、「それでも」を体現し切った人でした。

いろいろなことがあるけれど、 “それでも” メリー・クリスマス。

マザー・テレサの祈り
「それでも」

 人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。
    それでも彼らを愛しなさい
 もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか
 何か隠された動機があるはずだ、と非難します。
    それでもいい行いをしなさい。
 もしあなたが成功すれば、不実な友と、
 ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。
    それでも成功しなさい
 あなたがしたいい行いは、明日には忘れられます。
    それでもいい行いをしなさい
 誠実さと親しみやすさはあなたを容易に傷つけます。
    それでも、誠実で親しみやすくありなさい
 あなたが歳月を費やした建物が、一晩で
 壊されてしまうことになるかもしれません。
    それでも建てなさい
 ほんとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら
 彼らに襲われてしまうかもしれません。
    それでも彼らを助けなさい
 持っている一番いいものを分け与えると、
 自分はひどい目にあうかもしれません。
    それでも、一番いいものを分け与えなさい。

エコロジカル・フットプリント

自分のライフスタイルが、どれぐらい環境に負荷をかけているか知るための指標として
「エコロジカル・フットプリント」という考え方があるということを知りました。
用意されたいくつかの質問に答えると、
「世界中の人が、もしも自分と同じ暮らし方をしたら、地球がいくつ必要か」
ということが示されるのだそうです。
環境負荷の高いライフスタイルの人は、資源をたくさん使ったり、
廃棄物で自然の浄化作用に頼る割合が高くなるので、
地球がたくさん必要になるというわけです。
ちなみに、日本人の平均は地球2.4個で世界23位、アメリカは5.3個で2位・・・
極端に数値の少ない国が、全体のバランスをとってくれているとはいえ、
トータルで見ればとっくに地球のキャパシティーを超えているとのこと。

日本でも、エコロジーの概念はすっかり定着していますが、
「エコロジカル・フットプリント」は、形骸化しかけた環境問題に関するスローガンを
見直す切っ掛けになると思います。
用意された質問を通して、“分かっているつもり”のチェックができるのです。
例えば、野菜一つを選ぶにしても、
地元のものを買うのと遠方で採れたものを買うのとでは
環境への負荷がまったく違うというような事例が具体的に示されています。
遠方で採れた野菜には、輸送のためのエネルギーが使われているという事実を
再認識させてくれるわけです。

今年、陸域の世界の年平均気温が史上最高を記録したというし、
この期に及んで環境問題に無関心ではいられませんよね。

私の暮らしは地球何個分かしら・・・ウ~ン

* 下記のHPでチェックできます。
エコロジカル・フットプリント・ジャパン
http://www.ecofoot.jp/

100万分の2.68秒

もうすぐクリスマス、そして大晦日。
なんだか年々地球の自転速度が速まっているような気がして、
@_@ ←この時期になるといつもこんな顔になってしまいます。

気のせいかと思っていたら、スマトラ沖地震の影響で地球の自転速度が速まり、
1日の長さが100万分の2.68秒短くなったと、
米航空宇宙局(NASA)が発表したらしいです。

100万分の2.68秒か・・・やっぱりねって言える程の数字じゃないよね。

さてさて、そろそろ年末年始のお知らせを・・・

プレシャス・ブックスは、12月26日から1月7日までお休みをいただきます。
この期間にいただいたご注文については、発送が8日以降になりますので、
お取り置きいただいている本の、年内受け取りを予定されている方は23日頃までに
お申し付けくださいね。

治療師の猫

最近、体調を崩しかけていたので、久しぶりにホームドクターのところにいってきました。
一度身体を壊して痛い目にあっているので、“壊れる兆し”の時点で
なんとかしようという、知恵だけはついているのです。

ホームドクターといっても、片道3時間。
以前は近くに住んでいて、ちょくちょく足を運んでいましたが
今では、いよいよダメだ~という時にだけ、はるばる会いに行っています。

その先生は、自然治療の専門家。
ひたすら理にかなったことを見極めて、ズレを正してゆくという治療方針で
西洋医学的な治療が苦手な私にとっては、 とても心強い存在です。

今回は、顔を合わせるやいなや、先生から悲しい知らせを受けました。
ずっと一緒に暮らしていた猫が、3日前に亡くなったとのこと。

「21年も生きたのよ・・・」

いつも穏やかな表情で、治療院の片隅にたたずんでいた白い猫・・・
毛艶がよくて、足腰もしっかりしていて 、とてもお年寄りには見えませんでした。
20歳になった時も、年をとったというイメージがまったくなかったので、
『先生のところにいると、こんなに健康でいられるんだ~』 と
しみじみ思ったものです。

先生によると、特に病気をしたわけでもなく、
数日前から食べものも水も口にしなくなり、
眠るように、きれいに息を引きとったのだそうです。
つまり、自然死ということですね。

ただひとつ先生が気にしていたのは、
最近娘さんが犬を飼い始めて、それが引き金になったのではないかということ。
もう自分の役目は終わった、と感じたのではないかというのです。

どんなに元気でも、役目を失ったと感じた途端に事切れてしまう・・・
私にはそれが、至極当然なことに思えます。

それとも、役目が終わる時期が、
来るべくして、来るべき時に来たということなのでしょうか。
自然死とは、それほどまでに“自然”なものなのでしょうか。
日々、理から逸脱している私には、とうてい分かり得ないことですが、
自然に生きて、自然に死ぬ、それが生きとし生けるものの、本来あるべき姿なのだと
逝った猫が教えてくれているようでした。

治療というよりも、毎回何かを学びにいっている感じです。
けれどもそれが、私にとっては一番の治療なのかもしれません。

キラキラの名所

12月に入って、この辺りでもクリスマスの雰囲気一色。
商店街も、住宅街も、温泉街も、漁師町も・・・キラキラ瞬いています。(笑)

都心の洗練されたイルミネーションも素敵ですが、観光地のクリスマスも
不思議な情緒?があっていいものですよ。

クリスマスに限らず、この辺りはキラキラの名所ですが、
12月はいつもより、光の色彩も増えて、瞬きが多くなる気がします。
なんとなく、サンタクロースが船に乗ってやってきそう・・・

そういえば、12月が夏のオーストラリアでは
サンタクロースが、水着姿で波乗りをしていましたよね。

サンタクロースも、いろんな街に行かなければならないから、大変ですね。 (笑)

白いタンポポと白い彼岸花

この秋、近所で見つけた白いタンポポと白い彼岸花。
ものすご~く珍しい、というわけではありませんが、
そう簡単に見つかるものでもありません。

初めて白いタンポポを見たのは小学校6年生の時でした。
江戸川の岸辺に群生していて、そこだけなにか
特別なエリアのように感じられたのを覚えています。
綿毛を持ち帰って庭に埋めてみましたが、まったく芽を出しませんでした。
白いタンポポが芽吹くための環境条件があるのかもしれません。
あるいは、風に運ばれることが条件なのかも・・・(笑)
人間の手で運ばれた綿毛は、芽吹くために必要な力を得られないか、
あるいは失ってしまうのかもしれないと、子供ながらに思いました。

それにしても、やっぱり珍しい色というのは目を引くものなのですね。
その分、手折られやすいかもしれませんし、
変な迷信をつけられたりすることもあるかもしれません。

珍しいと“特別”になりやすいと思いますが、
それはいいことでも、わるいことでもありません。
観るものが、勝手に意味付けするだけのこと。
個性を愛でる、という気持ちで、ありのままを受け止めたいものですね。

珍しいからといって種を持ち帰り、庭に植えてみたけれど
ひとつも芽吹かなかった、白いタンポポ。
(多分、黄色いタンポポでも同じだと思うけど。)
野の花は、咲ける場所を選んで咲いているんですね。
結局、その場で観るのが一番美しいのだと思います。

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