*たわごとコラム

クロッキーが教えてくれたこと・・・その8

子どもの頃に何度かお別れを経験して、
「こんなに悲しいならもう二度と動物は飼わない」と思っていた時期がありました。
クロッキーがうちに来たときも、実は他に飼い主さんを捜そうと思っていたのです。

けれども、もしもあの時クロッキーを手放していたら、
その後の喜びに満ちた18年はなかったことになります。

悲しみを避ければ、喜びも失ってしまう・・・
それでは、とても無味乾燥な人生になってしまいます。
悲しみを避けても、幸せにはなれないのだということをクロッキーは教えてくれました。

例え、もれなく全ての縁に“お別れ”がついてきたとしても、
もう、どんな縁も無駄にせず生きていけるような気がしています。

縁は、運命なのですね。

こんなコラムを書いていると、
『落ち込んで、泣き暮らしているのではないかしら』
と思われてしまうかもしれませんが、
そんなことはないので心配しないでくださいね。
毎日もりもり食べて飲んで、さらに食べて食べて、ぐ~ぐ~寝ています。(笑)
そりぁ、思い出す度に胸がギュ~っとなりますが、そんなことは当たり前ですよね。
夏バテの季節でもありますし、ちょっとはやつれてもいいはずなのに、
むしろ少し太った気がする・・・

プレシャスブックスを始めた当初は、
本屋のサイトに犬のコラムを載せるのもどうかと思っていたのですが、
いつしか、クロッキーのことをいつも気にかけてくださっている方たちへの
近況報告もかねて、時々、登場させていただくようになりました。

そうしているうちに、たくさんの動物好きな方たちと知り合うことが出来ました。
インターネットを通じて・・・もちろんご近所さんにも。

皆さんとても心優しい方々で、『人間て、いいな・・・』とつくづく思えます。

皆さんも、きっといろいろな悲しみを抱いているはずなのに、
心を尽くして励ましてくださって、ありがとう。

クロッキーについてのコラムは、今回で終わりです。
けれども、これからもたくさんの動物たちがコラムに登場すると思います。
裏のジロ~ちゃんや、お向かいのチビちゃんや、
そうそう、クロッキーの元カレのこうちゃんのことなどなど。

この後ちょっと間夏休みをいただいて、コラムのUPはスローモードに入ります。
なかなか梅雨が明け切らないような天気が続いていますが、
人間も、犬も猫も、みんなみんな元気でいてくださいね!

クロッキーが教えてくれたこと・・・その7

犬は人間よりもずっと寿命の短い動物です。
それは、家族として迎え入れれば、必ず看取る時が来るということ。

その犬が若い頃には、そんなことはあまり意識することもないのですが、
年齢が進めば、日に日に衰えていゆくのを否応無しに目の当たりにすることになります。

特に10歳を過ぎると・・・
あまり遊ばなくなる、思いっきり走れなくなる、高いところに飛び乗れなくなる、
急な階段を下りれなくなる、身体が弱ってゆく・・・それは人間と同じです。
けれども10歳といえば人間だとまだ小学生、犬の寿命はつくづく短いと思います。

子犬の時にうちに来たクロッキーも、あっという間に成犬になり、
いつの間にか私たちの年齢を追い越してゆきました。

15歳を超えた頃からは、いつもお別れの時を意識していました。
15歳の頃のクロッキーはまだまだ元気だったんですけどね、
悲しいけれど犬の寿命のことを考えれば、
一緒にいられる時間があと僅かであることは明白ですものね。

もう、いつお別れの時が来るか分からない・・・
そう思うと、一緒にいられる “今” がとても愛おしく感じられました。
後悔したくなかったので、毎日のように伝えるべきことを伝えていました。

「クロッキー、生まれて来てくれてありがとうね。
 うちに来てくれてありがとう。
 クロッキーがいてくれるお陰で、私たちはどんなに幸せか分からないよ」

そんな時には、いつもはそっけないクロッキーが、
高い声で「クークー」と鳴いて顔中をなめてくれました。

私の思いは、しっかりとクロッキーに伝わっていると思います。
何せ、毎日毎日伝えていましたから。
そういう意味では、今でも後悔はありません。
伝えられなかった言葉はないと思えるからです。

考えてみれば人間だって、平均寿命が70歳以上とはいえ、
いつどうなるかは分かりません。
誰だって、明日も生きていられる保証など、どこにもないのです。

そう考えれば、 “今” は本当にかけがえのない時間。
誰に対しても、伝えたいことがあるならそう思ったその時に 、
伝えておかなければなりません。

私にとってその言葉はやっぱり、「ありがとう」です。

・・・つづく

クロッキーが教えてくれたこと・・・その6

どんな動物でもそうなのかもしれませんが、クロッキーはとにかく病院が大嫌いで
診察台の上にのせられると、いつもカチコチになって震えていました。

晩年のクロッキーを診ていただいていたのは、プリモスという動物病院の女性獣医さんで、
それはそれは優しい先生なのですが、状況はあまり変わりませんでした。

けれども私たちはその先生に出会えたことを、とても幸運だったと感じています。

先生はとにかく動物によく語りかける方で、
それが胸からの言葉であることがとてもよく分かりました。

クロッキーが亡くなる2週間程に訪れた時のことです。
クロッキーはもう、立ち上がることもお座りすることも出来なくなっていて、
診察台の上に横たえるしかありませんでした。

その傍らに先生はかがみ込んで、クロッキーの両手を握り、腕をさすりながら、
耳元に顔を近づけて語りかけてくれました。

「クロッキー、今までは、食べちゃいけないものもたくさんあったけど、
 もう何でも食べていいんだよ。
 いっぱいわがままいってごらん。
 何か美味しいものがたくさん出てくるかもしれないよ。」

その時です、クロッキーは初めて診察台の上でしっぽを振りました。
とても弱々しい振り方でしたが、はっきりと分かりました。
先生の言葉が、クロッキーにしっかりと伝わったのだと思います。
先生は私たちに話しをしている間もずっと、
クロッキーの腕をさすり続けていてくれました。

クロッキーが亡くなった時は、一緒に泣いてもくれました。
見送った子は、過去にもたくさんいるはずなのに・・・
そんな獣医さんとの出会いも、クロッキーの置土産です。

ところで、大の病院嫌いといえば、店主Bもクロッキーには負けません。
出来る限りお世話になりたくないと思っているようです。
そんな店主Bが言いました。

「自分がもし病気になったら、プリモスの先生に診てもらいたいなぁ~」

その意向を先生に伝えたところ、人間は獣医が診察できない唯一の動物なのだと
やんわり断られました。(当然ですけど・・・苦笑)
実は私も店主Bと同じ気持ちなので、
「それでは、来るときは着ぐるみを来てきますね」と
押しを入れておきました。(笑)

人間の世界には意味のない言葉が溢れているので、
どこかで私たちも、胸からの言葉を切望しているのかもしれません。

プリモス動物病院
http://primos.jp/index.php

クロッキーが教えてくれたこと・・・その5

犬には嘘がありません。
「嘘をつかない」のではなくて、嘘そのものがないのです。

考えてみれば当たり前のことですが、
この認識は私にとって、とても大きなものでした。

例えば犬に「今日の夕方、川岸にお散歩に行こうね」と声をかけたにもかかわらず、
急に用事ができてそれを実行できなかったとします。
相手は犬だからと、気にもせず川岸へのお散歩はそのままなかったことに・・・

犬は別に「嘘つき~」と人間を攻めたりはしません。
ですから、特に後ろめたい気持ちになることもないでしょう。
それどころか、自分が約束を破ったという自覚すらないかもしれません。

ただ、「今日の夕方、川岸にお散歩に行こうね」という言葉が意味を失っただけです。
けれども、何度も同じことを繰り返せば
「今日の夕方、川岸にお散歩に行こうね」という言葉は
その犬には永遠に通じないのです。
そうやって、悪気があろうとなかろうと
意味のない言葉(嘘)を発し続けると、犬には何も通じなくなります。
犬は、言葉に伴う人間の行動を見て、その言葉の意味を理解します。
嘘がない犬にとっては、実行されない言葉や気持ちのこもってない言葉は、
ただの音にしか聞こえないのかもしれません。

逆に、発した言葉を実行し続けると、犬は確実に人間の言葉を理解するようになります。
クロッキーにもそうやって、日々少しずつ通じる言葉が増えてゆき、
いつしか会話が出来るようになったのです。

どうしても約束が守れなくなった時は、
心から誤って理由をしっかり説明するべきだと思います。
胸で話すと、それはちゃんと伝わります。

そして、そうやって誠実な気持ちで犬と対峙していると、
犬の気持ちも少しは理解できるようになります。
自分勝手な解釈をせずに、仕草や表情をありのまま受け止められれば、
それがその子そのものなのです。
なぜなら、犬には嘘がないのですから。

・・・つづく

クロッキーが教えてくれたこと・・・その4

言葉をかけることはいくらでも出来ます。
けれども、それを会話とは言いません。

自分の気持ちをただ言葉にかえて浴びせかけるだけでは、
クロッキーはまったく反応してくれませんでした。
口先だけの言葉は通じなかったのです。

私たちはよく “胸で話す” と表現していたのですが、
視線の高さを同じにして、目を見ながら、
口ではなく胸から言葉を発するような、そんな感覚で語り掛けると、
クロッキーはこちらをじっと見つめ返し、耳を傾けてくれました。

口先だけで話している時には、
ため息をついて、そっぽを向いてしまうことすらありました。

変な言い方かもしれませんが、クロッキーの反応を見ていると、
自分の発している言葉の重みが見えるようでした。
無意識にでも、自分本位の言葉を発している時、
その言葉はどこにも届かず、クロッキーのまわりを一瞬旋回して
自分に戻って来てしまうのです。

そして、気がつくのです。
自分がいかに利己的であるかということに。

・・・つづく

クロッキーが教えてくれたこと・・・その3

もしかするとクロッキーは、私たちと一緒にいることを望んでいないのではないか・・・
と子犬の頃は時々そう思いました。
異常な程人間を怖がっていましたし、普通の子犬のように
じゃれてきたり甘えてきたりすることがなかったからです。
少なくともうちに来たばかり数日間は、
囚われの身の気持ちでいっぱいだったに違いありません。
なんてったって、車で拉致?されてきたわけですから。

けれどもその後、リードなしで歩いても、家中の窓やドアを開け放していても
決して逃げなかったので、
どこかの時点でうちにいることを選んでくれたのだと思います。

犬とはいえ人間と一緒に生きるからには、
やはり多少のルールを学んでもらう必要があります。

ちまたには、いわゆる“犬の躾マニュアル”のような情報があふれていますが、
私たちは、そういうマニュアルを読んだこともありませんし、
クロッキーに、“躾”自体をした覚えもないのですが、
何故かクロッキーは一通りのことをなんでもすぐに覚え、
私たちを困らせることはありませんでした。
例えば、封の開いたおやつを側に置いておいて目を離しても、
それを勝手に食べてしまうことはありませんでした。
部屋を荒らしたり、ものをかじったり、無駄吠えをしたり、
そういうことは一切しませんでした。
逆に言えば、まったく犬らしいところがなくて、
「もっとわがままをいってもいいんだよ」と思う程でした。

私たちが困ったな~思うことがあったのすれば、
クロッキーのことをかわいがってくれる人にさえ、
なかなかなつかなかったことくらいです。
知らない人に突然に頭をなでられたりするようなことを、
クロッキーはとてもいやがりました。

「え~?」っと思われるかもしれませんが、
クロッキーは、時々ため息をつきました。
うなだれて、ただじ~っとしていることもありました。
嫌いなものをもらっても、気を遣って無理矢理飲み込んでしまったりしました。
散歩から帰ってくると、「入っていいんだよ」というまで家に入らず、
「本当に入ってもいいの?」というような顔をしてずーっと待っていました。

とにもかくにも、私たちにとってみれば、
『こんな犬もいるんだ・・・』と思うようなことばかりでした。

そんなクロッキーと、それでもいつの間にか通じ合えるようになったのは、
やはり“会話”ができるようになったからだと思います。

といっても、私たちが犬語を修得したというわけではありません。(笑)
犬語を話せない人間と、人間語を話せない犬でも、
ちゃんと会話が出来るのだということ、
少しずつ少しずつ学んでいったのです。

・・・つづく

クロッキーが教えてくれたこと・・・その2

長い年月共に暮らして感じたことですが、
クロッキーは決して弱い犬ではありませんでした。
むしろ、何かとても強いものを感じさせる性格で、
それはやはり生まれ持ったものだったと思います。

そんなクロッキーが、子犬の頃に異常なほど人間を恐れたのには、
やはり理由があったとしか思えないのです。

とにかく、私たちに気をゆるしてくれるようになるまでには、
かなりの時間がかかりました。
例えば、躾などといって人間の都合のいいような振る舞いを強要したりすれば、
たちまち心を閉ざしてしまったでしょう。

毎日何度も何度も名前を呼んで、ただただ着かず離れず見守っていました。

うちにきてから5日目のこと、ついに我慢できなくなったのでしょう・・・
部屋の隅で大量のおしっこをしてしまいました。
それまでは、抱き上げて外に連れて行っても、下ろしたその場で固まってしまい、
トイレはおろか動こうともしなかったのです。
今考えても、よくそんなに我慢できたと思います。

心配が募っていましたので、私も本当に安心して心の底から、
「えらかったね、よくやった、よくやった・・・」
と褒めまくりました。

その時からです。
カチコチに固まっていたクロッキーが
ほんの少しずつ変わり始めたのは・・・

それからの18年は、そんなクロッキーのすべてを
そのまま受け入れることからスタートしたのでした。

・・・・・・つづく

クロッキーが教えてくれたこと

早いもので、クロッキーが逝ってからもう一ヶ月経ちました。
だいぶ気持ちも落ち着いてきましたし、
クロッキーが教えてくれたことのいくつかを、書き留めておこうかと思います。

クロッキーがうちに来たのは、18年前。
生後5~6ヶ月くらいでした。
人気のない荒れ地で、突然うちの車の前に飛び出してきたのでした。
いったいどこで生まれたのか、どうしてそんなところにいたのか。

うちに連れ帰り、お風呂に入れて、ごはんをあげて・・・
ところが、クロッキーはなにをあげても口にせず、
いつまでも部屋の隅でカチコチになって、私たちのことを警戒していました。

すぐに慣れるだろうと思っていたのですが、
翌日も、その翌日も、食事どころが、
外に連れて行ってもトイレさえしないのです。

私たちが側にいる間はずっと、お座りをしたままただひたすら身を固くして、
こちらの様子をうかがっていました。
よほど人間が恐かったのでしょう。
宅配便のドラバーさんが玄関に入ってきただけで、
テーブルの下に逃げ込んで、震えながらお漏らしをしてしまうほどでした。

その後診てもらった獣医さんによれば、
相当人間にいじめられたか、怖い思いをさせられたのだろう、とのこと。

子犬といえば、無邪気で、人なつこくて、コロコロ戯れている・・・
そんなイメージがありますが、
クロッキーは、そんなイメージにはまったくあてはまらない子犬だったのです。

・・・・・・つづく

七夕 大笑い

今日は七夕ですね~。

この辺りは、雲が多めですが一応晴れています。
このまま天気が持てば、織り姫と彦星が見られるかもしれません。
せっかくなら天の川も・・・と言いたいところですが、
この季節だとちょっと無理かも。

近くの山に笹がボーボー生えているので、
これから小さな枝を一本だけもらってきて、 笹飾りを作りたいと思います。

七夕には全然関係ないんですけどね、
今日は朝からこのページ見て笑いこけてます。

http://contest.pets.yahoo.co.jp/hiroba/photocontest/contest/19/list/

借景

お隣に住んでるご夫妻は、お二人共にお花好き。
いつもきれいに手入れされたお庭には、
季節の花が絶えることがありません。

右の写真は、今、西の窓から見える景色。
春には薔薇が咲いていました。
夏にはどんな花が咲くのか、今から楽しみです。

まさに“借景”、ありがたい、ありがたい。

ちなみに、あじさいの裏には柴犬“じろ~ちゃん”の小屋があって、
時々「ワンワン!」と鳴き声が聞こえてきます。

共に70代のご夫妻はいつも、
「じろ~よりは長生きしなきゃ」とおっしゃっています。
お庭のすばらしさは、そのままお二人のお人柄です。

借景で毎日目の保養をさせていただいている上に、
時々お裾分けでいただく手料理や自家製野菜も本当に美味しくて、
たいしたお返しも出来ない自分たちがちょっと情けないです。

美味しいごはんをつくったり、お花や野菜を育てたり、
日々ちゃんとちゃんと生きて、
そういう普通の暮らしが、ご近所さんまで豊かにしている・・・

お二人を見ていると、“豊か”って、こういうことなんだな~と
しみじみ思うのです。

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