*たわごとコラム

『宇宙内存在』と『社会内存在』

大人は時々子供の感性を讃えたりするけれど、
だからといって子供に、「そのまま大人になればいいんだよ」とは言えません。

なぜなら大人は、“大人側”の世界を知っているからです。
誰もが時と共に嫌でも大人になって、自分の足で生きていかなくてはなりません。
だからこそ、大人たちはよかれと思って、子供にいろいろなことを忠告するのです。

先日、新聞に谷川俊太郎さんへのインタビュー記事が掲載されていました。
見出しは「詩はどこに行ったのか」。
前置きに、“現代における数少ない「詩人」谷川俊太郎さんに詩のありかを尋ねた” 
とあります。

数少ない「詩人」という言い方にはつまり、“詩だけで生計を立てている人”
という意味が少なからず含まれている気がします。

そんな谷川さんに、インタビュアーが
「詩人体質の若者は、現代をどう生きたらいんでしょう」と尋ねていて
興味深く読みました。

「まず、『社会内存在』として、経済的に自立する道を考えることを勧めます。今の詩人は、秩序の外に出て生きることが難しい。そうだなあ、時々、若者が世界旅行に行って、帰ってきてから急にそれまでとまったく違う仕事をしたりするじゃないですか、あれは、どこかで詩情に出会ったのかもしれないな。」

詩情=子供の感性・・・とは言えないけれど、
現代=大人側の世界・・・とも言い切れないけれど、
詩情も子供の感性も、この社会では失いやすく、けれども失いたくないもの、
であることには違いないのではないでしょうか。

谷川さんは「人はみな自然の一部、『宇宙内存在』として生まれてくる」といっています。
そして「成長するにつれ『社会内存在』として生きていかざるを得ない」と。

さらに「詩は宇宙内存在としての在り方に触れようとする」とも。
つまり、 社会内存在に偏った人間は、詩が希薄になるということなんですよね。

ならば子供たちには、『宇宙内存在』と『社会内存在』のバランスがとれた
大人になってもらいたいと思いますよね。
しっかりと大地を踏みしめながら、時に路傍の石に宇宙を感じられるような、
そんな人間に・・・( 私もなりたい)

けれども、どうすれば子供たちをそんなふうに導いてあげられるのか、
悩むばかりです。
それ以前に自分自身のバランスが、かなりあやしいし・・・ (笑)

だから大人は時々(頻繁に?)子供に、トンチンカンなことを言ってしまうのですね。

子供たちを導いているようで、実は、その子供たちから『宇宙内存在』を再認識させられて、
なんとかバランスを保っているのは大人の方かもしれないですね・・・

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