*たわごとコラム

ミケランジェロ 賢才の手

「Michelangelo:La Dotta Mano」-『ミケランジェロ 賢才の手』

イタリアの出版社が刊行した世界で限定33部、
10万ユーロ(約1220万円)の貴重本『ミケランジェロ 賢才の手』を
兵庫県たつの市が寄付金で購入し、公開しています。

内容はミケランジェロの人生と作品を紹介するもので、
すべてが熟練の芸術家や職人らによる手作り。
全264頁、重さが28キロ、
シルク・ビロードの表紙に大理石の『階段の聖母』が埋め込まれ、
本文の用紙は最高級のファイン・コットンです。
圧巻は、銀を含有したインキで刷られたデッサン83枚。
『その立体感には鳥肌が立つようだ』と観た人を驚嘆させています。

「この書籍そのものが芸術である」と評されていますが、
電子書籍に対する挑発という意図も込められているそうです。
まさに『本の形をした芸術』!!

これはもう、現代版貴重本の頂点に属するもので、
書籍といえども “別格”ですが・・・

一般書籍の中にも、作家や職人さんの高い技術を感じさせるものはたくさんあります。
そりゃあ、制作コストに糸目を付けず、販売価格の上限を決めなければ、
いいものが出来て当然です。(お金だけの問題ではありませんが・・・)
けれども、本というのはそもそも、たくさん刷ることによって、
価値あるものを皆でシェアできるようにしたもの。
いろいろな制限がある中で、制作関係者は四苦八苦しながら、
より良いものを作ろうと努力します。

もちろん、残念ながら全ての本がそういう本だとはいえませんが、
自分の利益を度外視にしても、いい仕事をしようとする職人さんはたくさんいます。
特に出版界には、そういう人が多いのです。
文化を作り出す業界は、そういう人たちに支えられているといっても過言ではありません。

「制限があっても、少しでも良いものを」という制作関係者の心意気は、
ちゃんと出来上がったものに表れるものです。
つまり、芸術家や職人さんによる仕事は、貴重本だけで味わえるもの、
というわけではないのです。

一般書籍でも、そういうものが表れている作品に出会うと、私はとても感動します。
誠実で熱意のある制作関係者さんたちのおかげで、
私のような者でも、価値あるものに手が届く・・・

本は、その内容で価格が変わる商品ではありません。
大御所が書いた本も、新人が書いた本も、仕様が同じなら価格もあまり変わりません。
職人さんたちの心意気も、おおむね加算されません。
ほとんどの本は数百円から数千円。
それでも、その一冊で人生を変えてしまうような体験もできるのです。
そんな一冊に出会えたら、貴重本よりずっと価値あるものになるはずです。

清水真砂子さんの言葉

新刊情報でも、写真でも、ニュースでも、
新聞を読んでいて“これは”と思った記事は、
すかさず切り抜いてストックしています。
時々整理するのですが、一番古いものはもう25年以上も前のもので、
すっかり変色してしまっています。
スクラップブックに貼って整理する程豆な性格でもないので、
もう一度読み直そうと思ってもその切り抜きを見つけるのが至難の技。
これからは、特に心に響いた記事は
備忘録としてこの“たわごと”コラムに書き留めておくことに決めました。

最近一番印象に残っているのは、先月朝日新聞に掲載された、
清水真砂子さんについての記事。
清水さんは「ゲド戦記」の翻訳を手掛けた児童文学の評論家です。
記事の内容は、清水さんが30年間勤めた大学の最終講義でお話しされたことを
紹介するものでした。

以下、記事より抜粋。

子どもの本に関わる人は、うんと大人で、うんと子どもでなくちゃいけない。
 清水さんはまず「ナルニア国物語」の翻訳で知られる故瀬田貞二さんの言葉を紹介した。・・・
 清水さんはいう。「子どもだから黄金時代なんてうそばっかり。子どもぐらい縛られて不自由な存在はない」。経済力がなく自由に移動もできない。閉じこめられた世界にいる、と。
 大人になれば、よろいを着ることを覚えるけれど、幼い子どもはよろいを持たず、素肌をヒリヒリさせている。はぐらかす術も持っていない。
 そんな子どもが本を読む。現実よりももっとえげつない大人がいて、もっとすてきな大人がいる。「こんなに世界って広いんだ」と感じ取ることができるという。
 すぐれた子どもの本は「大きくなるって楽しいことだよ。生きてごらん、大丈夫」と背中を押してくれるもの。「苦労してもなかなか幸福にならない主人公を応援したつもりで、人生の予行演習をやっていたのかもしれない」と、子ども時代の読書を振り返った。
  「毎日帰りたくなるような家庭を作るのは至難の業。でも、子どもはそんなにヤワじゃない。週に30分でもいい。『この親の子でよかった』と思えるような瞬間があればいい。」
 こども学科の卒業生の多くは幼稚園や保育園で働く。「現実には、求めても光を得られないことがあるかもしれない。それでも、「どうせ」と子どもに言わせてはいけない。言えば楽になるけれど、希望を放棄させるということは、最もモラルに反することと言葉を強めた。
 そして、こう締めくくった。「子どもの本がしてきたように、この人に出会えたから自暴自棄にならずにすんだと思わせる一人に、この世につなぎとめる一人になって。」

清水さんが推薦する、10代を生きのびるための本
・「ベーグル・チームの作戦」(E・L・カニグズバーグ)
・「十一歳の誕生日」(P・フォックス)
・「ゼバスチアンからの電話」(I・コルシュノフ)

そんな人に出会えたかな? そんな人になれたかな?

真の“癒し人”

先週末、入院中の友人Jさんのお見舞いに行ってきました。
友人というより、姉のように慕っていた家族同然の人。
予想以上に長引いているのでちょっと心配になり、今回は共通のホームドクターである
M先生にもお願いして同行していただきました。

M先生のことは、以前にもこの“たわごとコラム”で何度か触れていますが、
滅多に病院には行かない私たちが、いざという時にとても頼りにしている自然療法家です。
Jさんも、M先生のことをとても信頼していました。
治療以前に、そんなM先生に会えばJさんの回復が早まるのではないかと思ったのです。

M先生は、Jさんの手足を刺激することが今とても重要だと言って、
周りにいる家族たちに様々なアドバイスを伝えながら、
入念なマッサージをしてくれました。
そのマッサージが即効だったのか、
4日前にお見舞いに行った時よりもあきらかに状態が良くなって、本当に安心しました。

Jさんだけでなく、心労がつのっている旦那さんも、少し安心してくださったようですし、
どういうわけか、お見舞いに行った私まで元気をもらうことが出来ました。

M先生の診断や治療の技術は達人の域です。
それは、医者に匙を投げられた人が先生のところに集まってくるのを見ても明らかです。
けれど、私がいつも感じていることはそれだけではありません。

M先生に会うと、それだけで元気になる気がするのです。
これは、いわゆる“摩訶不思議なお話”ではありません。
一緒にいるだけで、自然に明るい気持ちになれる人って、いますよね。
そういう人はいつも前向きで、思いやり深く、謙虚です。

M先生は御年72歳、
「私は何度も死にかけているのよ」といいながら治療のために毎日休みなく動き回り、
つきることのない好奇心で、いつも何かを学び続けています。
まさに、生きるパワーの塊。
さりとて、執着も欲もなく、常に覚悟が出来ている人なのです。

そんな人の側にいると、明るい気持ちになるだけではなく、
なんだか細胞が活性化してくるような気がします。
こういう人こそが、真の“癒し人”だと私は感じているのです。

今回は、Jさんにも、その家族にも、そして私にまで、
M先生のパワーが伝わったことを実感することが出来ました。
これで、Jさんの回復も早まるに違いありません。

楽にはなったけど、つまらなくなった。

今月、いくつかの締め切りが重なっていて、
先月末からいつもにもましてPCの前に座っている時間が増えています。

かつては、紙や定規やペンや絵の具や、
種々細々とした材料や道具で机の上が埋め尽くされて、
納期の翌日などはもう、仕事部屋はめちゃくちゃでしたが、
今ではPCと周辺機器を動かすだけで仕事ができますので、
そんなことはありません。

例えば本を一冊作るにしても、以前は
線は一本一本手描き、文字は写植を手貼り・・・
何をやるにしても手作りの要素がありましたから、
とにかくものすごい時間と手間がかかりました。
けれども今では、PCの中で何もかもが出来てしまいます。

それはもう、比較にならない程作業効率が上がりました。
インク詰まりでペン先がダメになることもなく、紙が湿気で波打つこともなく、
絵の具が固まってしまうこともありません。
くしゃみで線が歪むこともないし・・・ (苦笑)

PCの中では、コンマ何ミリという精度で正確な線が引けます。
経験がなくても、不器用でも、徹夜明けでも、
くしゃみをしていても、その気がなくても、
マウスをちょっと動かすだけで、どんな線でも魔法のように描くことが出来ます。

手作業では難しかったことが簡単にできるようになって、
表現の幅も広がりました。

そういう意味では、何もかもが“いいことずくめ”・・・のはずなんですが、
なんなんですかね~、この以前とは全く質の違う疲労感・・・

もちろん、運動不足やテクノ・ストレスは自覚しているのですが、
感じているのはそれだけではありません。

指先で紙の質感や厚みを見たり、絵の具のにおいを嗅ぎながら 色を塗ったり、
そういった、五感を駆使することが激減して 、“作ることの楽しさ”のようなものが、
減ってしまったのかもしれません。

楽にはなったけど、つまらなくなった。
といったところでしょうか。

ちなみに、今手元に、参考資料として預かっている中国の本があります。
非常に凝った作りの本で、印刷製本の技術のみならず、デザインも秀逸です。
一昔前の、「日本の技術は世界一」という定説が崩れつつあることを思い知りました。

この本をよく見ていると、私が今使っているものと、
同じソフトを使って制作されていることが分かります。
といいますか、もう世界中どこでも、大方同じソフトが使用されていると思います。

世界中誰もが、同じような機械と同じようなソフトを使っているのですから、
差がなくなってくるのは当然のこと。
そこから先はセンスの問題で、それこそがオリジナリティを生む唯一の要素なのですが、
PCの中だけで作業をしていると、
それすらも画一的になってしまいそうな危機感を覚えます。
多分、PCの作業そのものが五感を鈍らせてしまうからなのでしょうね。

良い仕事をするためには、机を離れて五感を刺激しなければ!
今の仕事が一段落したら、桜でも観にいこうかな・・・
(と、遊ぶ理由をこじつけてみた・・・笑)

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