*たわごとコラム

地元民が観る「熱海の捜査官」

テレビ朝日系列で放送されている「熱海の捜査官」というドラマを観ました。
タイトルに「熱海」が入っていなければ、
興味が湧くことはなかったと思うのですが、地元民としてはやっぱり気になります。

舞台は「南熱海市」(実際にはそんな市はありません)。
「南熱海」といえばまさに私の住んでいる町です。

興味津々でチャンネルの合わせてみると・・・
ほとんどが「ここ、どこ?」というシーンばかりでした。
確かに、熱海市で撮影されている場面もありますが、極僅かです。
「南熱海市役所」とか「南熱海警察署」とか「南熱海総合病院」とか、
そこかしこに「南熱海」という文字が頻出しますが、ぜ~んぶフィクションです。

個性的な映像作りで注目を集めている三木聡監督の作品ですし、
キャスティングも豪華なので、ひょっとすると
ロケ地を観に南熱海にやって来るファンの方もいるかもしれませんが、
たどり着いた途端に「ここ、どこ?」と思うことでしょう。

同じような「?」を小説でも感じたことがあります。
あるストーリーの中で、主人公が熱海の海に沈む夕日を眺める場面があったのですが、
そこで私は、一瞬お話を楽しむことができなくなってしまいました。

南北に横たわる半島の東岸に位置する熱海では、夕日は決して海には沈まないのです。

ドラマも小説も「フィクション」なのですから、
現実とかけ離れていたってなんの問題もないわけですが、
地元民としては、そんなところになんとな~くひっかかってしまうんですよね。

時々、海外の人が「日本」をイメージして制作した作品に
とんでもないものがあったりしますよね。
変な着物を着ていたり、変な漢字が使われていたり・・・
日本人の私たちから観ると「こんなの日本じゃないよ~」と
突っ込みたくなるような作品が。

あの、なんともいえない違和感。
日本を描いてくれるのはうれしいけれど、
その作品によって、さらに誤解が広がってしまうかもしれないし、
ついつい作者さんに「どうせなら正しい日本を描いてください」と
言いたくなってしまいます。

もちろん、こんなことは世界中で起きていることで、
例えば、あの名作映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも
そんな逸話があります。

最近、この映画の撮影に使われた邸宅がホテルになって、
世界中から予約が殺到しているという記事が新聞に載りました。
その記事には、こんなことも併記されていました。

ザルツブルク市には年間600万を超す観光客が訪れるが、その大半を占める外国人客の目当てはモーツァルトとサウンド・オブ・ミュージックだ。・・・ロケ地を巡るバスツアーが70年代から定番の観光コースになっている。

 だがその名作も実は地元ではなじみが薄く、多くが存在を知らない。映画の受けもいま一つで、1965年に封切られた際は、不人気で早々に上映が打ち切られたという。主人公らが歌う「エーデルワイス」などの曲やセリフの言い回し、民族衣装などが、地元の目には不自然に映り、受け入れられなかったようだ。

 「我々は革のズボンをはいて野山を走らないし、ヨーデルも歌わない。すべて米国が作り出した幻想だ」。トラップ邸近くで生まれ育った農家のルペット・ボルフさん(53)はそう話した。

映画やTVや小説は、あくまでもフィクションということ。
それでも、特にヒット作ともなると影響力が絶大なので、幻想と現実が入り交じり、
予想もできないような夢(誤解?)を生んでしまうんですね。

当事者がそのギャップに違和感を感じてしまうのは仕方のないことですが、
リアル・テイストのフィクションだからこそ、面白いのかもしれません。

「熱海の捜査官」も、フィクションとリアルの混在が面白いです。
なんともいえないアヤシサが漂っていて、
その現実離れした雰囲気が非常に「熱海」らしい。
多分そのあたりが、このドラマに熱海が選ばれた理由なのでしょう。

地元民は「ここ、どこ?」といいながら、アヤシサだけはリアルだと感じつつ
このドラマを楽しんでいます。

どこから見ても、どう見ても、どう見えていても、

これは何?

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ハリケーン?

銀河?

木星の気流?

いえいえこれは、アイス・カプチーノのクリームです。

横から撮った写真は、こんな感じ(下の写真)。
全部飲み終わって、グラスの底に残ったクリームを真上から撮ったのが、
上の写真です。

こんなふうに写すと、コップの底には見えません。
なんだか・・・きれいです。

そういえば昔、こんな話を聞いたことがあります。

ある有名な歌手のYさんが、“コップ”の絵を描いてといわれて、
サササと描いた絵が二重丸◎だったって。
上手だから誰かが赤ペンで二重丸◎をつけた、っていうわけではありませんよ。
Yさんがとっさに描いたコップの絵が ◎ だった、という話です。

普通、モチーフがコップなら、
横からのアングルで描く人が大多数ではないかと思うのですが、
Yさんの場合は真上からのアングルで描いたそうなのです。

この話を聞いた時には、『ホー』と思いました。
横から見ようと上から見ようと下から見ようと、どこから見ようと
コップはコップなんですよね。
考えてみれば当たり前のことですけど。

ものの見方というのは、無意識のうちに偏ってしまいがちですが、
本当は360度どこから見てもいいし、
見る角度によって同じものが違う形に見える。

そして・・・

どこから見ても、どう見ても、どう見えていても、コップはコップ。

コップの底をまじまじを見つめたら・・・
銀河が見えることもある・・・・かもね。

ちなみに、カプチーノを入れたのも店主Bなら、
おもむろに飲み終えたグラスを撮影したのも店主B。

彼はいったい、いつもどんな角度から物事を見ているんでしょうねぇ・・・謎。

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初めて見る光

8月16日の夜、地元の海岸で行われる毎年恒例のお祭りを見にいきました。
日が暮れる時刻に灯ろう流しが始まり、
その後海岸線に250基もの“かがり火”が焚かれます。
その火が絶える前に、花火が打ち上げられてフィナーレ。
壮大なお盆の送り火です。

この街には他にもいろいろな恒例行事がありますが、
私にとっては最も印象に残るイベントです。
だから、1年前の8月16日も、2年前も、その前も、
どんなふうに過ごしたか、はっきりと思い出すことができるのです。

月並みな言い方ですが、「まるで昨日のことのようだ」と毎年のように思います。
「こんな風に、あっという間に年を重ねていくんだな」
「すべてのことが、ぱっと光ってぱっと消えてしまう花火のようだ」

来年もまた同じように
「まるで昨日のことのようだ」と思いながら花火を見上げているんだろうな、
と思って、ふと考え直しました。

それは、当然のことではないのだと。

過ぎてみればあっという間ですが、1年の間にはいろんなことがあって、
昨年の自分と今年の自分は、決して同じではありません。
取り戻すことができないものを思えば、「あっという間の1年」も
決して軽いものではないという実感が湧きます。

いろいろな変化があるにしても、
昨年と同じように花火を見上げることができるのは、とても幸せなことなんですよね。

「来年もここで、今年と同じように花火を見上げることができますように」
そう祈りながら見ると、見慣れたはずのかがり火や花火が、
すべて “初めて見る光” に変わりました。

とても美しい夜でした。

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頭の中もバージョンアップしないと

ようやく新PCへの移行作業が終わりました。

なんでしょう、この疲労感・・・
それとも、夏バテ??

とにもかくにも、本日から最新バージョンのソフトで更新です。
頭の中もバージョンアップしないと、ついていけない・・・(苦笑)

さようなら~、私の夏休み。。。

下記作業、苦戦中・・・
明日あたりから、ようやく通常通りの更新ができそうです。

新しいPCへ

ここ数日、古いPCから新しいPCへの移行作業をしています。
古いPCが故障した訳ではありませんが、そのままのスペックでは
仕事に支障が出始めました。
新しいPCに完全移行すれば、仕事効率は格段に上がる見込みです。

ただ、この移行作業も一仕事。
いろいろな設定をしたり、ソフトをインストールしたりと、
なんだかんだで時間がかかります。
他の会社が一斉にお休みに入るお盆休みのうちに、
この作業を全部終わらせてしまうつもりです。
(とか言っている横で、店主Bがお盆中の仕事の打ち合わせをしているし・・・苦笑)

それにしても、こんな作業を今までに何回繰り返して来たことでしょう。
世の中が急速にデジタル化し始めた当初から、技術の進歩に追い立てられるようにして、
ハード・ソフトを次から次へと更新し続けてきました。

私は決して新しモノ好きではないし、
むしろ1つのモノをできるだけ長く大事に使いたいと思うたちなのですが、
コンピューターに限っては、周りの状況がそれを許してくれません。

はじめて仕事にコンピューターを導入した頃は、
1台のMACに、車が買えるような値段が付いていました。
それがわずかのうちに陳腐化してしまい、買い替えを迫られます。
数十万円もはたいて買ったMACと同じ機種の中古が、
1万いくらで店に並んでいるのを見た時の虚脱感といったら・・・(遠い目)。
テレビだって、初代は当時で100万円近くもしたと言いますしね。
これが機械もの商品の定式なのでしょう。

昔に比べたら、一般的にPCはかなり安くなりました。
それでも、 投資額は馬鹿になりません。
仕事に使うなら、最低でも減価償却できるぐらいには、
働かなければならないということなんですよね~。
駆け出しの頃、1本1800円だった製図用のペン先を『高いな~』と思っていたことが
懐かしく思い出されます。(苦笑)

コンピュータのおかげで世の中は本当に便利になりましたが、
その分ゴミも増えたでしょうし、人は忙しくなりました。
私たちは本当に豊かになっているのでしょうか?

ちょっと、涼んでいってください

今年の夏は、本当に暑いですね~。
快晴の日に外出すると、暑さで気が遠くなりそうです。(笑)

ちょっと、涼んでいってください。

*餌をあげてみてね。

梱包にもお国柄

うちは洋書を扱っているので、毎月いろんな国から小包が届きます。
これまでに相当数の荷物を受け取りましたが、
今でも毎回、箱を開けて中を確認してみるまでは、ドキドキヒヤヒヤです。
とにかく、輸送中に荷が傷んでしまっていることがとても多くて、
受け取った時点で大きなため息が出てしまうことも少なくありません。

まあ、遠い所から海を越えてはるばる運ばれてくるのですから、
外箱に関しては、全くの無傷という訳にはいかないでしょうが、
内容物の損傷は梱包の仕方である程度までは防げるはずなのです。

もちろん、その都度くれぐれも厳重に梱包して欲しいと依頼していますし、
時にはかなり具体的に指示することもあるのですが、
実際に荷を受け取ってみると、不十分だなと感じることの方が多いです。

どう考えてもダメージを受けて当然、というレベルから、
ものすごく頑張ってくれているのは分かるけど、
これじゃあやっぱり無理でしょう、というレベルまで。

梱包の仕方には、包んだ人の人柄が出ますが、お国柄も出ます。
例えば、国によって段ボールやテープの質が違い、それが大きく影響してきます。
外箱をわざわざ二重にしてくれているのに、そもそも段ボールの強度が足りないために、
荷が原型を留めていないとか、クッション材の質が悪くて何の役にも立っていないとか。

そんな小包を受け取る度に、
一昔前、モスクワで初めて買い物をした時のことを思い出します。
入国した初日に売店でビン入りの飲み物を何本か買ったら、
日本のスーパーで貰えるのと同じ様なビニールの手提げ袋に入れて渡してくれたのですが、
店を出て何メートルも歩かないうちに、突然持ち手の部分が切れて、
せっかく買ったジュースが全部割れてしまったことがありました。
日本ではあり得ないことですが、それが当たり前という国もあるのです。
だからもう、こういうケースはクレームのつけようがありません。

どんなものでも一定以上の質が約束されている日本のような国で生まれ育つと、
こんなことでも最初はちょっとびっくりしてしまうんですよね。

日本の当たり前が、他の国では通用しない。
文化の違いによる感覚の差は、一朝一夕には埋りません。
それが、諸外国から送られてくる小さな小包一つにも、如実に表れているのです。
そういう違いは、梱包だけではなく、もちろん商品そのものにも表れるので、
時には、輸送中にダメージを受けたものなのか、
送る前からそういう状態だったのか分からないこともあります。

でき得る限りの対処をしてきたつもりですが、
今では、100%日本の基準に合わせるのは無理だと悟りました。
国際小包を受け取る時のドキドキヒヤヒヤは、これからも続きそうです。

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