*たわごとコラム

さざんか

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義母が送ってくれた さざんか です。
手作り野菜がいっぱい詰まった段ボールの一番上に入っていました。

義母とはつまり、店主Bの母。
今はもちろん、私の母でもあります。

年に何度か届く荷物には、季節の野菜や果物や
手作りの梅干しやお漬け物や・・・
とにかく宝物箱のようにいろんなものが入っています。

店主Bが、進学のために上京した年から、
今までずーっと続いていること。

こんなにありがたいことがあるでしょうか?

店主Bにとっては当たり前になっているようですが、
独身の頃、私はそういう荷物を受け取れる境遇にはなかったので、
本当にありがたく、幸せなことだと心から感じています。

そして、食品だけではなく、いつも庭に咲く花を添えてくれる
母という人が、とても素敵だと思うのです。

私の母が好きだった水仙の花を、
この季節になると必ず送ってきてくれます。

店主Bによれば、子供の頃によく、
母に渡されて学校に庭の花を持っていったとのこと。

庭の花を美しく咲かせ、それを人に惜しみなく贈る人。
母は、そういう人なのです。

もうすぐお正月、
上の写真を持っていって、母に見せようと思います。

「わりと上手に生けられたでしょう? いつも本当にありがとう」

5歳の頃に比べて10分の1

「時間が経つのは、あっという間だな~」
毎年この時期になると同じことを言っているような気がします。

ん~、実はこの時期にだけではなく、
毎日感じてるんですけどね・・・

「子供の頃に比べると、一日の長さがものすごく短く感じる」
なんていう話をすると、誰もが必ず同意するので、
本当に地球の自転速度が速まったのでは?、なんて思ってしまいます。

先日、ある人から「ジャネーの法則」という説があると教えてもらいました。

19世紀にフランスの哲学者であるポール・ジャネさんが
年長者ほど時間が短く感じられるという現象を心理学的に解明して
「時間の心理的長さは年齢に反比例する」と結論付けたんだそうです。

つまり、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1、
5歳の人間にとっては5分の1。
よって、5歳の人間の1日の感覚が、50歳の10日の感覚に当たるということ。

分かりやすく言えば、50歳になると、5歳の頃に比べて
一日の長さを10分の1に感じるということですね・・・・納得。

人種や文化を越えて

毎年年末になると、
グリーティングカードや年賀状の制作依頼があって、
毎回あれやこれやとアイデアをしぼってデザインを考えます。

特にグリーティング・カードはむずかしい・・・
日本の企業がグリーティングカードを制作する場合、
宛先は海外で、しかも一カ国ではないという場合がほとんどです。
この時期のグリーティングというと、日本ではクリスマス用が一般的ですが、
相手がクリスチャンとは限らないので、
クリスマスに限定してカードを制作することはできません。
日本では、クリスチャンじゃなくてもクリスマスを祝いますけどね。

クリスマスのモチーフは基本的に使えないので、
季節にまつわるものということで、冬のイメージで考えようとしたのですが、
南半球の今の季節は夏!

人種や文化を越えて、通じ合えるものとは?
世界中の人にメッセージを届けようとすると、いろいろな意味で、
余計なものが全部そぎ落とされて、どんどんシンプルになってゆきます。

こんなことで「グローバル・スタンダード」
について学ぶことになろうとは・・・(大袈裟)

それにしても、自分用のカードに着手するのは毎年一番最後。
いつもギリギリです。(苦笑)

無いものねだり

今、ちょっとむずかしいお仕事をしている最中です。
先月、「昔の映像に使われていた手描きの文字をデジタルで再現したい」
という趣旨の依頼がありました。
長いことグラフィックの仕事をしていますが、こんな依頼は初めて。
依頼主も、どこに頼めばいいか分からなかった模様です。

素材は、50年近くも前の映像です。
当時、テレビ局や映像制作会社には、文字描き専門の職人さんがいて、
題字も字幕も、映像で使われる文字は全部その職人さんが一文字一文字、
手で描いていたのだそうです。

小さな文字のほとんどは明朝体やゴシック体で書かれているのですが、
真っ直ぐに見える線も、拡大してみると定規を使わず全てフリーハンドで
描かれていることが分かります。

同じ単語が何度も出てきますが、
当然、一文字一文字全部プロポーションが違う上、
画像自体が荒くて、予想していた以上に高難度な作業になっています。

現代では、フォントというものが豊富に揃っていて、
職人さんじゃなくても、誰でも簡単にきれいな文字を扱えるになりました。

おかげで、映像だけではなくどんな分野にでも、
読みやすくてきれいな文字が行き渡っています。
しかも、デザインも豊富で、「手書き風」の文字もたくさんあります。

文字は「書く」ものでも「描く」ものでもなく、「打つ」ものになりつつありますね。

こんな時代に、こんな依頼・・・

明朝体やゴシック体で描かれている、ということは、
当時の職人さんは、少しでも読みやすくするために「活字」に近づけようと
していたのだ思うのです。

それを今逆に、「手描き」に近づけようと努力している・・・

「無いものねだり」というんですかね~、こういうの。

それとも、ここまで完璧な文字が世界に広く定着して初めて、
「やっぱり手描きの方がいい」と気づいた、ということなのでしょうか?

とにもかくにも、
『この手描きの文字には、手間隙かけて再現するだけの価値がある』
と感じる人が、今の時代にいるということなんですよね。

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