*たわごとコラム

エジプトで出会った子供たちのことを思い出しました。

前回のコラムでご紹介した新聞記事を読んで、
かつてエジプトで出会った子供たちのことを思い出しました。
もう大分前のことになりますが、エジプトには一度だけ訪れたことがあります。
数ヶ月間ヨーロッパを放浪した後、トルコを経由してカイロに渡りました。

その時にもうかなり旅慣れしていて、それなりに図太くなっていたのですが、
それでも、エジプトではたくさんのカルチャー・ショックを経験しました。

なかでも”バクシーシ”というフレーズは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
エジプトにいると、いろんな人からいろんな場面で頻繁に「バクシーシ」と言われるのです。

「バクシーシ」とは、イスラム教の教えで、
「富める者は貧しい者に施し、喜捨すべし」ということ。

要するに「バクシーシ」と声をかけられたら「施し」を要求されているということです。
当時は、自分が「富める者」であるという自覚は全くありませんでしたが、
どんな貧乏旅行でも、若くして他国に旅ができる日本人は、
エジプトの多くの人たちから見れば十分に恵まれた身分なのです。

その教えからすると「バクシーシ」は、他の国で経験する「ギブ ミー マネー」とか
サービスに対して感謝の気持ちで渡すチップなどとは、本質的に意味が違います。
施す者に対して、施される側は徳を積ませてあげるという感覚なのです。

ところが、イスラム教徒ではない者からすれば、
実質的に「ギブ ミー マネー」と「バクシーシ」の区別がつきません。

「施し」を要求されているという点においては同様で、
それどころかエジプトの「バクシーシ」の方がかなり強引な感じなのですが、
少しだけ状況が異なる印象がありました。
「ギブ ミー マネー」とは違い、「バクシーシ」は、
どう見ても貧しそうには見えない人からも求められるのです。

例えばある時、市場で突然背後から「ハロー」と肩を叩かれました。
振り返ると、そこにはきれいな身なりをした若い女性の二人連れが立っていて、
おもむろに「バクシーシ」と言いながら、片手を差し出してきました。

「ハロ~! バクシ~シ」
「・・・?」
あまりの唐突さに思わずポカンとしてしまい、
なんの反応もできずにいると、
二人は「意味が通じてないみたい・・・」と思ったようで、
ほどなく立ち去ってゆきました。

とにかく、連日の多様な「バクシーシ」に最初のうちは戸惑うばかりでした。
嫌な思いもしましたが、滞在時間が長くなるうちにだんだん慣れてきて、
少しだけイスラムの教えと向き合うことができるようになりました。

・・・つづく

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