*たわごとコラム

決してやってはならないこと

自分に何ができるだろう・・・
未曾有の大災害を目のあたりにして戸惑うばかりです。

けれども、決してやってはならないことだけは、強く意識しています。

それは、自分という “1” の小ささを嘆かないこと、軽視しないこと。

人間一人にできることは、本当に小さい。
けれど、元々それがひと一人の器。
小さな器が繋がって、繋がって、大きな器になる・・・

どんなにささやかなことでも、やる意味があるのだと確信しています。

わずかな義援金でも、節電でも、祈りでも・・・・

売り上げより、バクシーシより・・・その2

【エジプトのおはなし その4のつづき】

列車はなかなか発車しませんでした。

小さな罪悪感を抱きながらも、3つ目のビスケットを青年にすすめて、
その日初めての食べ物をほおばっていると、
先ほどの物売りの少年が再びやってきました。

私は思わず彼を引き止めて、3個目のビスケットの差額分を差し出しました。
彼は「何?」という顔でこちらを見ています。
ビスケットを指差しながら「さっき足りなかった分だよ」と言うと、
対面に座っている青年が再びそれを少年に通訳してくれました。

少年は急に驚いたような顔になって、大きな声で何かを言い始めました。
意味は分からないけれど、ものすごく喜んでいるということは伝わってきます。
最後には私に抱きついてきて、その場からなかなか離れようとしませんでした。

いよいよ列車が動きだし、大急ぎで下車した少年は、
ホームから私たちが座っているシートの窓を懸命に探していました。
私たちが手を振ると、少年はすぐにそれに気がついて、いつまでもホーム走りながら・・・
列車が加速して追いつけなくなっても、私たちに手を降り続けてくれたのでした。

後にも先にも、ものを買っただけでこんなに喜ばれたことはありません。

他と比べても、ビスケットの値段は決して高くはありませんでした。
少しでも売り上げが上がればもちろんうれしいでしょうが、
彼の喜び方を思えば、それだけの理由とは到底思えません。

ある国では当たり前のものが、別の国には全くないことがあります。
ある国の人は”ない”ことが、ない国の人は”ある”ことが理解できません。

私にとって当たり前の何かは、少年にとっては驚くべきものだったのでしょう。
3つ目のビスケットの差額分は、彼にとってはただの売り上げではなく、
もちろん、バクシーシでもありませんでした。
それは、ささやかではあっても、
大人から示された初めての「公平さ」だったのかもしれません。

物売りの少年は、日々大人と金銭的な駆け引きを繰り返しているはずです。
それぞれの国に独自の文化や伝統、価値観があり、
短絡的に幸・不幸を決めつけることはできませんが、
懸命に物売りをする子供たちのことを見ていると、
こんなに小さいうちから世間の不条理にさらされて生きなければならない
子供がいるという現実に、やはり疑問を感じてしまいます。

もしも少年が、
売り上げより、バクシーシより・・・
つまりお金よりも『公平さ』を喜んだのだとしたら、
それは彼が一人の人間として無意識に求めていたものに違いありません。

人種を越えて子供が無意識に求めるものは、
そのまま、全ての人間にとって基本的に必要不可欠なものであるはずです。
『公平さ』もその一つなのではないでしょうか。

エジプトで革命が起きました。
私が出会った少年たちも、デモに参加したかもしれません。
彼らを駆り立てるものは明確です。

売り上げでもバクシーシでもないもの。

【エジプトのおはなし その4】

物売りの少年にまつわる思い出をもう一つだけ。

エジプトを南下する列車の中での出来事です。

私たちの乗った列車は大幅に遅れていました。
全ての駅で気が遠くなるほど長時間停車して、なんのアナウンスもなく発車します。
4人がけの対面式シートに同席していた英語を話せる青年によれば、
エジプトではいつものことだということでした。

その時既に、到着予定時刻から遅れること8時間以上。
いい加減おなかがすいてきて、
駅に停車する度に乗り込んでくる物売りから何か買おうということになりました。
そんなに遅れるとは思っていなかったので、充分な食料を持参していなかったのです。

選択の余地もなく、大きなかごに市販の菓子類を入れて売りにきた少年に声をかけました。
この少年には全く英語が通じませんでしたが、
目の前に座っていた青年が通訳をしてくれました。

差し出されたかごの中から、小さなビスケットの袋を2つ選び、
お金を渡そうとすると、少年が青年を通じて「おつりがない」と言ってきました。
それは、1コインで2つ買えて、おつりがくるという値段(たとえば、1つ40円で、
100円玉を出すと20円のおつりが来るような値段)だったのですが、
細かいコインが足りず、何より、とにかくおなかがすいていたので、
青年に「だったらその値段でかまわない」と伝えました。

すると、青年が少年と何ごとかやり取りを始め、おもむろにかごの中からもう一つ
ビスケットを取り出して私たちに差し出しました。
つまり青年は、3つ買うから1コインにしろと、物売りの少年に交渉してくれたのです。

エジプトでは、日常的に行われている当たり前の駆け引きだと思います。
物売りの方も、それを前提に予め高めの値段設定をしているのかもしれません。
もちろん、青年も親切心でやってくれたことなのですが、
その時私は、なんだかその少年から
搾取をしてしまったような気持ちになっていました。
青年の様子が、ちょっと強引に見えたような気もしたのです。・・・つづく

「バクシーシ」と言ってみた。

【エジプトのおはなし その3】

コーラ売りの子供にまつわる思い出が、もう一つあります。
場所はギザのピラミッド。

観光客が集まる場所には必ず物売りがいて、
私たちのような個人旅行者が有名な遺跡を見学しようと思ったら、
彼らを避けて通る術はありません。

物売りだけではなく、ラクダに乗ってみないかとか、いいツアーがあるとか、
とにかく、多種多様な商売人が声をかけてきます。

もちろん、覚悟はしていったつもりなのですが、
それでも、忘れられない思い出がたくさんできてしまいました。
(いろんな意味で・・・苦笑)

遺跡の全景を撮影したいと思い、ピラミッドの周辺を歩いていた時のことです。
物売りに見つからないように、なるべく人気のない方を選んで進んでいたにもかかわらず、
どこからともなく子供が現れて、小走りに近づいてきました。

「コーラ! ベリー・コールド!」

まだ10歳にも満たないくらいの少年が
ブリキのバケツを下げて、私たちを見上げています。
バケツの中には瓶コーラが3本、氷水に浸してあって、結構重たそうでした。

「ノー、サンキュー」

はっきりとそう答えて通り過ぎようとしましたが、
彼はずっと私たちの後についてきて、
遺跡の全景が視野に収まる程の場所まできても、
立ち去ろうとしませんでした。

バケツの中の氷は、もうほとんど融けてしまっています。
こんな見込みのない客はさっさとあきらめて、
他をあたった方がずっと商売になると思うのに、
なんでこんなところまでついてくるのか・・・

一休みしようと思って岩に腰を下ろすと、
少年も立ち止まって、ただじっとこちらを見ていました。

その時・・・何を思ったのか店主Bが突然、
その少年に片手を差し出しながら言ったのです。

「バクシーシ」

少年も、思いも寄らない展開にかなり動転していました。
バケツを足下におろして、目を白黒させながら
ズボンのポケットをひっくり返してみたり、
Tシャツを裏返してみたり、
とにかく必死に「自分はお金を全く持っていないんだ」と訴え始めたのです。

「わかったよ、わかったよ、冗談で言っただけだよ」

少年のあまりの必死さに、私たちも驚いてしまいました。

その時、私たちは知ったのです。
この国の人たちは、自分がどんなに貧しくても、より貧しい人には、
あるいは求められればいつでも、他に施そうとする人たちであることを。
そして自分たちが、この国の人たちについてどれほど無理解であったかということを。

私たちは、言い値で3本コーラを買って、
そのうち1本を「一緒に飲もう」と言って彼に渡しました。
けれども、彼はそのコーラを飲みませんでした。
それを売れば、またお金になるからでしょうか。
それはそれでいいと私たちは思ったのでした。

コーラが一応完売したというのに、少年は立ち去ろうとしませんでした。
片言の英語でおしゃべりをしながら、
しばらくの間一緒に砂漠に横たわるピラミッドを眺めたのを覚えています。

彼は相当しぶとい「物売り」ですが、それ以前に「幼い少年」です。
コーラを売り終えた後の彼は、100%「幼い少年」でした。

彼が物売りではなかったら、私たちはもっとすんなり友達になれたかもしれません。
けれども彼は、物売りをしなければ、生きることができないのです。

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