*たわごとコラム

村上春樹氏のスピーチ 「日本人は核(原子力)に対してNoを叫び続けるべきだった」

6月9日、村上春樹さんがスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で行った
スピーチが大きな話題になっています。

有名な人であればあるほど、発する言葉の影響力も大きくなるので、
保身のみを考えれば、どんな意見を持っていようと「だまっているのが一番」
ということになりがちです。
にもかかわらず、村上春樹さんのような立場の人が、
国際的な舞台で、あえてこうした発言をしたその覚悟の大きさを、
私たち日本人は特に、深く慮る必要があると思うのです。
また、流暢な英語を話す村上さんが、あえて日本語でスピーチをされたことにも、
意味があると思えます。

このスピーチには「非現実的な夢想家として」というタイトルがついています。

<スピーチからの抜粋>--------------------

我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。
       ‡
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

  

この部分を読んで、私すぐに、ジョン・レノンの「イマジン」を思い出しました。

But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us 
And the world will be as one

君は僕のことを単なる夢想家だと言うかもしれない
でも、僕独りじゃないんだ
君もいつか、僕らに加わってくれるといいな
そして世界は一つになるんだ

>>歌詞全文はこちら

私自身は、このスピーチにとても感動しましたが、
翌日には「村上春樹氏のスピーチに賛否両論」というニュースが流れました。
どのような意見にも、賛否両論があるのは当前のこと。
全ての人が同じ意見に傾くことは危険だ、とする教訓もあります。
けれども私には、このスピーチを【否】とする意見の意図が、
よく理解できないのです。

人類の過ちを省みて、
国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ろうとする人と
今尚、原子力のようなもので未来の豊かさ?を築こうとする人

いったいどちらが「非現実的な夢想家」なのでしょうか?

>>6月9日、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された原稿全文
>> 村上春樹さんのスピーチ(映像)

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