*たわごとコラム

むやみに撮影をするよりも

デジタル・カメラが一般に普及してから、まだ十数年しか経っていないんですよね。
といっても、今の十代はすでにフィルム・カメラを知らない世代なので、
もうすっかり“過去の遺産”になってしまったのかもしれません。

今では携帯電話にも高性能なカメラがついていますし、
いつでも、どこでも、誰でも、気軽に撮影ができるようになりました。
メモリーの容量や設定にもよりますが、枚数を気にする必要もありません。
24枚撮りフィルム、36枚撮りフィルム・・・なんていっていた時代がウソのようです。

フィルム・カメラは、フィルムにも現像にもお金がかかりましたから、
どこでシャッターを切るか、それなりに考えながら撮影をしていました。
お店に現像してもらって、仕上がったプリントを受け取るまで、
どんな写真が撮れているのか確認することもできませんでした。
ピンボケの写真だって、それはそれで大切でしたから、
しっかりアルバムに入れて残しておいたものです。

今、うちのデジタル・カメラには結構大きな容量のメモリーが入っているので、
解像度を高く設定しても、そのまま数千枚単位の撮影ができます。
いつでもカメラを持ち歩いて気軽にシャッターを切るので、
日々写真が増え続け、すでに膨大なデータ量になっています。
一応、写真アプリケーションを使って整理はしているのですが、
とにかく枚数が多いので、時系列でまとめるのが精一杯。

“思い出のワンシーン”よりも、単なる記録画像のようなものが多くなって、
一、二度目を通しただけであとはストックしてあるだけ、
なんていうデータも少なくありません。
枚数が増えたからといって、
昔のように、アルバムをめくりながら思い出話を・・・
なんていう機会が増えた訳でもないんですよね。

たいして見もしないなら、何のために撮るのだろう??(苦笑)

最近ではむやみに撮影をするよりも、肉眼に焼き付けたいという思いが強くなりました。
その一瞬がかけがえのないものであればある程、レンズを通してではなく、
しっかりと自分の目で直接それを捉えたいと思うようになったのです。

私は、旅に、本や音楽プレーヤーを持って行きません。
それがどんなにたわいのないものでも、
その時、その場でしか味わえないものを、しっかり味わいたいと思うからです。

考えてみれば、カメラも同じですね。
撮影ばかりしていたら、本物を直接見る機会がどんどん失われてしまいます。
後に残るのは、鮮やかな記憶ではなくて、どうでもいいようなデジタル画像ばかり。
それらの画像は、deleteボタンを押しただけで一瞬で消えてしまいます。

撮影は記憶のINDEXになる程度にして、
五感でじっくり感じ取りながら生きてゆきたいと思うのです。

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