*たわごとコラム

立て!卵

卵は立ちます。
もちろん、種も仕掛けもありません。

これまで何度かトライして、その度に成功してますので
そんなに難しいことではありません。

数日前、「こどもの方が成功しやすい」というような新聞記事を目にして、
久しぶりに(たぶん、10年以上)やってみようと思い立ちました。

以前と同じようにすぐに出来るだろうと、なんの気なしに始めたのですが、
今回はわりと苦戦しました。

指先に神経を集中して、ひたすら卵のバランスをとるだけなのですが、
なにせその一点がなかなか定まらない。

卵が前後左右にふらふらしている時間が長引くと、
雑念がどんどん湧いてきます。

その雑念を客観的に観察してみると・・・

『この卵、いびつなんじゃないかしら?』
『机が微妙にゆがんでいるのかも』
『殻の表面に小さな凸凹があるのかも』
『・・・なんでわたしこんなことやっているんだろう?』
『私今、こんなことやっている場合じゃないんじゃない?』
『あれもやらなきゃいけないのに・・・これもやらなきゃいけないのに・・・』

苦笑・・・ほとんどが出来ないことへの無意味ないいわけです。
こんな状態で、集中できる訳がありません。
卵はさらにふらふらになります。

こんな雑念をタラタラと抱く自分を観察して、笑ってしまいました。
何かができない時って、頭の中は大抵こんな状況なんだと思います。

そこで、そんな自分を戒めて、ひたすら指先に意識を集中。
できるとも、できないとも考えない。

すると、ほどなくして卵はすっと立ちました。
一度その一点を見つけると、卵は意外なほど安定して立っています。
そしてその感覚を指先が覚えると、次からは結構簡単に出来るようになります。

C1504-19

物語の入り口

最寄り駅の駅前に、無人の小さな小屋が立っています。

看板にはタクシー会社の名前が書いてあって、電話番号まで記載されているのですが、
この小屋に人がいるところを今迄に一度も見たことがありません。

この街に引っ越してきた時にはもう、同じ状況でここに建っていましたから、
少なくとも10年以上は使われていないことになります。

そんなに長い間使われていなければ、普通はかなり傷んでしまいそうですが、
状態は当時からあまり変わっていないように見えます。
かといって、誰かが整備をしているふうでもありません。

今年も桜が咲き、散り、間もなく夏が巡ってきますが、
この小屋だけは、まるで時間が止まってしまったようにここにたたずんでいます。

何かに利用できそうで、見るたびにいろいろイメージが膨らむのだけれど、
一方で、このままずーっとこのままであって欲しいという望みがあります。

10年間もそんな思いで見つめてきたので、なんだか思い入れが強くなってしまい、
もしも鍵を開けてこの扉を開いたら、ここじゃないどこかの世界に繋がっていそう。

おそらく今後も、ずっと開くことのない物語の入り口です。

C1504-9

 

「紙片の宇宙」本というアート

箱根のポーラ美術館で開催されていた
「紙片の宇宙 シャガール、マティス、ミロ、ダリの挿絵本」という企画展を観に行ってきました。
訪れたのは最終日前日、決して交通の便がよいとは言えない山の中にある美術館ですが、
往復に少し時間をかけても、それに充分値する見応えたっぷりの展示内容でした。

「挿絵本」は、「絵本」とは定義が異なります。
この企画展で展示されていたのは「芸術家による挿絵本」(リーヴル・ダルティスト)で、
主にフランスで19世紀末〜20世紀中頃にかけて制作された版画による書籍です。
画商や出版者の依頼を受けた画家たちが腕利きの版画職人とともに生み出した、
言わば本というスタイルの芸術作品なのです。

マルク・シャガール 『ダフニスとクロエ』、アンリ・マティス 『ジャズ』
ジョアン・ミロ 『あらゆる試みに』・・・
これらの作品の実物を、一斉に見ることができるなんて・・・
ブラックやフジタ、ローランサンによる挿絵など
初めて目にする作品もたくさんあって、丸一日かけても時間が足りませんでした。

これらの挿絵本は、画家たちのある夢から生まれたものだそうです。
それは「より身近に絵画と向きあえる作品をつくること」
直筆の絵画は、この世界にたった一枚しかありません。
どこかの壁にかけられて、窓の中の景色のように眺められるだけです。
けれども本という形にすれば、たくさんの人が実際に手にとって作品を見ることができると、
画家たちは考えたのです。

とはいえこれらの挿絵本も、今となっては稀少な芸術作品。
美術館のガラスケースの中に収まってしまい、
誰もが手に取れるような、身近かなものではなくなってしまいました。

そのかわり印刷技術が進歩して、たくさんの人が気軽に多種多様な本を手できる時代になりました。
確かに、画家自身が制作したものに比べたら見劣りがするかもしれませんが、
当時でしたら出会うことすらできなかった世界中のアート作品に、
本を通して触れることができるのです。

残念ながら現在ではデジタル技術の台頭で、当時活躍していた版画職人のような存在は激減し、
まるで工業製品のような本が大量に流通しています。
それでも、書籍制作に関わる人たちの情熱が失われたわけではありません。
その在り方は変わりましたが、制作に携わる人たちの高い意識によって、
作家が伝えようとするものを最大限に具現化した質の高い書籍が存在します。

書籍という媒体そのものが消失しない限り、美しい本を作ろうとする人たちは必ず存在し続けることでしょう。
そして、そうした本はやはり、それ自体がれっきとしたアートなのだと思います。

「紙片の宇宙」展・ガイドムービー

PADE TOP