*たわごとコラム

「マシュリカの旅」と「ガラスのジゼル」

マシュリカの旅今日は嬉しいお知らせがあります。

このほど、ヨゼフ・パレチェクさんの絵本「マシュリカの旅(原題・DAREK)」と、ベアトリーチェ・アレマーニャさんの絵本「ガラスのジゼル(原題・Gisele de Verre)」が、新進気鋭の出版社・編集工房くうから出版されました。

微力ながらプレシャスブックスも制作のお手伝いをさせていただきましたので、感慨もひとしお・・・
店主A・B共に、刷り上がったばかりの2册を眺めては
ニコニコしています。

ガラスのジゼルもちろんプレシャスブックスでも、入荷し次第販売を開始する予定。「マシュリカの旅」の方には、ささやかですがプレゼントを企画しています。

出版に寄せて、パレチェクさんがあたたかなメッセージを届けてくださいました。
詳細は追ってご報告させていただきますね。

もうすぐ1年

はやいもので、ここに越してきてからもうすぐ1年になります。
最初はとにかく、仮住まいをしてみようという軽い気持ちでやってきたのですが、
今ではすっかりこの土地が気にいってしまい、
『この辺りに根を生やそう』という気持ちが強くなってきました。
私たちのような、他からやってきた人たちのほとんどは、人里からは少し離れた
高台で眺めのいい別荘地などに移り住むことが多いようなのですが、
私たちは、この辺りの人たちのあたたかさに惹かれているので、
できれば人里に家を見つけて移り住みたいねと話しています。

ここは本当に小さな街で、魚屋さんや八百屋さんがポツポツとあるだけで、
スーパーも無いし、もちろん本屋さんも無いし、
かといって、とくに観光名所というわけでもないし・・・
ごくごくありきたりな海町なのですが、
その普通なところがなんだかすごく気に入りました。

例えばこんなところで「古本屋」なんか営んでみたらどんな感じなんだろうと
ふと想像してみたのですが、どう考えても経営が成り立ちそうにありません。
でも、いつも店主Cを可愛がってくれる魚屋さんのとなりに絵本屋なんかがあったら、
地元の子どもたちのたまり場にはなりそうです。
なんてたって、本屋は隣街まで行かないと無いのですから。
(もしかして、プレシャスブックスってこの街唯一の本屋?)

そろそろ本格的に家さがしをしようと思います。

仲良し

うちではいつも、生ごみを古新聞に包んで捨てています。
そのために、キッチンに4分の1にカットした新聞の束を常備しているのですが、
今朝、その中の一枚がテーブルの上にパラリと置いてありました。

仲良し
朝日新聞 10月12日

「なんだか、ゴミ包めなかった。」
ゴミ出し当番、店主Bのセリフ。
その新聞の切れ端には、こんな写真が・・・

これは野ネズミ?
タイトルは「仲良し」ですが、
仲間の頭にかぶりついている“いたずらっこのネズミ”?にも見えるし、ネズミの着ぐるみを着ている“おちゃめなネズミ”?にも見えます。
リアルなネズミ帽子をかぶった“おしゃれなネズミ”?に見えなくもない。
・・・真相は不明。
でもやっぱり、タイトルをつけるなら「仲良し」かな。

It’s gorgeous day!

寒くもなく、暑くもなく、爽やかな風が吹いていて、
雲一つない青い空・・・
今日はそんな一日でした。

いつだったか、今日と同じような秋晴れの日に、知り合いのアメリカ人・J.J.が、
手を大きく広げて「It’s gorgeous day!」と鼻歌まじりに言っていたのを思い出します。
それまでの私は、gorgeous(ゴージャス)という言葉に、きらびやかで高価で、
もっと装飾的なイメージを持っていました。
“ゴージャス=豪華=人工的で、物質的な豊かさ”という印象だったのです。

『今日のような日は、一生のうちにどれくらいあるかしら?』
ついついそう考えてしまうのが私の癖。
爽やかな日というだけではなくて、とりあえず、こういう日を楽しめるような心のゆとりが少しでもあること。平穏や健康が大きく失われていたなら、そんなゆとりは失われてしまうかもしれないので「It’s gorgeous day!」と叫ぶことのできる日は、そう多くないような気がするのです。

そう思うと、こんな日を漫然と過ごしてしまうのは心底もったいなくなって、いつも即興でイベントを企画します。即興ですから、大したことをするわけではありません。ちょっと遠くまで散歩をしてみたり、高いところに登ってみたり・・とにかく外に出て行きます。
仕事とか、家事とか、あれとかこれとか、やらなくてはいけないことが山積していても、大勢に影響がないものはとりあえず一時停止にして、できるだけ頭を空っぽにして出かけます。たった一時間でもいいのです。人生に何度とないgorgeous dayを味わうためなのですから・・・

今日は、“海でコーヒーを飲もうじゃないか!”というイベントを実行しました。
家を出る直前に、丁寧にコーヒーを入れてポットに詰めました。
gorgeous dayに缶コーヒーは似合いません。紙コップでもダメだ!・・と思いました。
ですから、カップも持参して、それから店主Cのおやつも持って出かけました。

ゴージャスデーコーヒーはほんのちょっとだけ浜砂まじりになりましたが、 それも海のスパイスということで・・・
いつものお散歩が、なかなかゴージャスなイベントになりましたよ。

次はビールかな・・(笑)

ゴージャスデー2
*浜辺にある小さな公園のベンチは、地元のおじさんたちの特等席。
藤棚が日よけになっています。

アユ・チーム

最近、浜でイカ・チームを見かけないなぁと思っていたら、
カワセミや鷺の餌場でアユを狙っていました。
つまり、アユ・チームになっていたのです。

ちょっと複雑な気持ち・・・
カワセミ、カム・バック・・・サギ、カム・バック・・・

シルエット絵本といえば・・・

シルエット絵本ほるぷ出版が1982年に発行した「複刻 世界の絵本館 ベルリン・コレクション」(*)の中に、“Neue Silhouetten-Fibel”というタイトルのシルエット絵本があります。→
タイトルの意味はまさに“新シルエット絵本”。
添付資料によると、1859年にブレスラフで発行された本で、
作者はFrohlich, Karl-カール・フレーリッヒ (1821-1898)
この方は、ドイツにおけるもっとも優れた切り絵作家といわれているそうです。

シルエット絵本2カール・フレーリッヒの作品
Titel: Schatten-Liliput. 1917

影絵や切り絵によるシルエット画は、18世紀後半、ヨーロッパで流行し
ドイツでは19世紀半ばまで、とくに横顔のシルエットが盛んに制作されたとのこと。
何につけ簡単、ローコスト、・・なのに美しい、というのが普及の理由だったようです。

中原淳一さんも、いつかどこかでこういった本たちを目にしたのでしょうか。
だとしたら、それらはとても異国情緒あふれる意匠として、中原さんの胸に焼き付いたに違いありません。
初めて手掛けた翻訳童話の挿し絵を「外国らしい雰囲気を出すために影絵で描いた」という氏の言葉からも、想像できます。

絵本に限らず、文化はこうして互いに影響しあって、変化し、それぞれに熟して独自の世界を築いていきます。そしてそれがまた他に影響を与え、新たな潮流を生み出してゆくのです。

自分が感動したものを作りだした人・・・その人を感動させ、影響を与えた人・・・
私はしばしば、そんなふうに作品を手繰り寄せて観賞します。すると、結局日本の作家や作品に辿り着くことも多く、それが自国の文化を見直すきっかけにもなりました。

この流れをミクロに考えれば、“感動して影響を受ける”ことの、くり返し・・・感動は創造の源なんですね。そう思うと、なるべく多くのものに出会いたいと、願わずにいられません。


*「ベルリン・コレクション」 
 1951年、ドイツ国立図書館に児童図書部門が設立され、第2次大戦で荒廃したヨーロッパ諸国の児童書を収集。現在では1945年以前に出版された古い児童書だけでも約3万8千点を所蔵。
 ほるぷ出版から1982年に発行された「複刻 世界の絵本館ベルリン・コレクション」では、ドイツ、フランス、ロシアなどの名作20点を復刻しています。所蔵している図書館も多いので、是非ご覧になってみてください。

思い出のハンカチ

ハンカチ
先日シルエット絵本をご紹介した時のこと、なんだかとても懐かしい気持ちになって、急に、子どもの頃に大切にしていた宝物を思い出しました。
それが、このハンカチ。
何度も引越しを繰り返しているので、子どもの頃のものはほとんどどこかにいってしまったのですが
「もしや・・・」と思って探してみたら、アルバムと一緒の箱にしまってありました。

5.6才の頃、10才年上の親戚のお姉さんが、集めていたハンカチを全部譲ってくれて
その中に、何枚かこういうシルエット画のものが含まれていたのです。
2枚とも使われた形跡がなく、片方にはタグシールが残っています。
やはり、中原淳一さんのものでした。

あの頃、お姉さんが持っているものは、どれもこれも素敵に見えました。
少女雑誌や、文房具や、部屋に飾られている雑貨の中に、
いくつかシルエット画のものがあったことを今でもはっきりと覚えています。

中原さんは、『少女の友』で初めて翻訳童話の挿し絵を手掛けることになったとき
「外国らしい雰囲気を出すために影絵で描いた」とおっしゃっています。
その後、『ひまわり』に同氏の影絵による
「シンデレラ姫」や「ハンセルとグレテル」が掲載されたのが1940年代後半。
やはり、ブームの火付け役は中原さんだったと言えそうです。
もちろん、影絵といえば藤代清治さんなども有名ですが、
中原作品の乙女チックなイメージに、当時の少女たちはすっかり魅了されていたのですね。

私の中では、親戚のお姉さんへの憧れと、乙女チックなシルエット画が結びついて、
懐かしい思い出になっています。
こんなふうに、オランダのシルエット絵本が、追憶の切っ掛けになるとは思ってもみませんでした。

最近、中原淳一さんの本の復刊が続いているようですね。
JUNICHIシルエット絵本」というシルエット画の本も発行されています。
ブーム再来?でしょうか。
時代が一巡したのですね・・・しみじみ。

イカ・チーム

「最近、獲物が減った」とイカ・チームがぼやいています。
イカ・チームというのは、夕方仕事が終わった後に、
浜に釣りをしにくる地元のおじさんたち3人組のこと。
店主Cの散歩時間と重なるので、頻繁に顔を合わせます。
ちなみに今は“イカ・チーム”だけど、冬は“ナマコ・チーム”、
ちょっと前までは“イワシ・チーム”でした。

各々仕事着のままやってくるので、青のつなぎ姿だったり、
安全第一と書かれた白いヘルメットをかぶったりしていて、
なかなか個性的な釣り人たちです。
仕事が長引いて浜にやってくる時間が遅くると、
他のメンバーに「今日は出勤が遅せ~じゃねえかよ~」と言われてしまいます。

釣れれば、晩ご飯のおかずが増えるので、3人とも真剣そのもの。
私たちも、獲物入れのバケツを覗かせてもらうのが楽しみになりました。
たくさん釣れていると、自分の獲物でもないのにうれしくなって、
おじさんたちとの会話も弾みます。

ところが、夏頃からバケツが空っぽの日が多くなりました。
夏休みの直前、海岸整備のための工事があって、
それ以降さっぱり釣れなくなってしまったというのです。
気のせいか、ここ数日イカ・チームの姿を見かけません。

浜にイカ・チームがいないということは、海にイカがいないということです。
イカ・チームのいない海なんて、海じゃない・・・
イカ・チーム、カム・バーック! イカ、カム・バーック!

金木犀が満開

この辺りでは今、金木犀が満開。
町中がいい香りになって、窓を開けるだけで幸せになります。
毎年心待ちにしている大好きな季節。

好きなものには鼻がきくので(笑)、いつも、つぼみがほころび始めた時点で
「あ・・咲き始めたな」と分かります。
例年は、9月の下旬に咲き始めることが多かったように思うのですが、
今年は10月に入ってからとなりました。
この地域が温暖だからなのでしょうか? 

花期はたった1週間~10日で、その間に強い雨が降ったりすると、
花はあっという間に落ちてしまいます。

子どもの頃、その香りが名残惜しくて、なんとか保存しておけないものかと
落ちた花を集めて小さな瓶に入れてみたり、ポプリのように乾燥させてみたり、
押し花にしてみたりしましたが、うまくいきませんでした。

大人になって、芳香剤やお酒など“キンモクセイの香り”をうたっているものは
なんでも手に取ってみましたが、どれも本物には程遠いものでした。

季節の花とはそういうものですが、
花期が短く儚い花というのは、いっそう愛おしく感じられます。

この時期だけ・・・と思うと、散歩の時間も長くなります。

この時期だけ・・・と思うと、呼吸が深くなります。

この時期だけ・・・

この時期だけ・・・

ブログデビュー

“最近のコラム”をブログでストックすることにしました。
「ブログならWeb制作が出来ない人でも、自分のホームページを簡単に開設できる!」という前ふりだったので、それならちょっとした空き時間でまとめられるだろうと気楽な気持ちで着手しました。

確かに、いろんなデザインのテンプレートが用意されていて、その中から好みのものを選ぶだけで、あっという間に準備完了。
ところが!よくよく見てみると、不要なものがいっぱい!
これもいらない、あれもいらない・・などとレイアウトに手を加えていたら、結局ものすごく時間がかかってしまいました。
世間じゃそれを“カスタマイズ”と呼ぶそうですが、何故にサービスを減らす方が時間がかかるのか、理解に苦しみます??? ようやく仕上がったものを見ると、こんなものは最も短時間に出来てしまうだろうというような簡単なデザイン・・・

私みたいなデジタル原始人は、こんな簡単なレイアウトでも100万回試行錯誤を繰り返さなければならず、1時間で終わるだろうと思っていた作業が1日仕事になってしまいました。(泣)
気がついたら、足がジ〜ン・・・集中してしまうと、ついついボディケアを忘れてしまうのが私の悪い癖。

あ〜、こんなことに時間をかけるくらいだったら、新着本のUPをすべしと、心の声が叫んでいます。

とにもかくにも、プレシャスブックスのささやか〜〜〜〜なブログデビューです。

“海のにおい”を

・・前回コラムのつづき

例えば“海のにおい”を、一度も海を見たことがない人に伝えるためには
どんなふうに説明したらいいのだろう・・・

写真や映像を見せて、録音した波の音を聞かせて、瓶に入れた海水を味わってもらって
海に関する膨大な資料を読んでもらっても、うまく伝わらない気がします。
その人が、とてつもなく想像力豊かな人だったとしても、
イメージできるのはその人なりの“海のにおい”でしかありません。

そう考えて自分を省みると、知っていると思い込んでいて実は知らないことが
まだまだたくさんあるのではないかと思えてきます。

私が知っていると思い込んでいるものは、本当に“ほんもの”なのかな?

ふと、「グッド・ウィル・ハンティング」という映画の中に出てくるセリフを思い出しました。

主人公は、世界中の本を丸暗記しているような天才で、
自らを守るために他人を見下し強がっている青年ウィルと、
妻を失って傷心の日を送る心理学教授ショーン。
ウィルのカウンセリングを任されたショーンは、
彼の傲慢さに翻弄され、傷つき、一時自信を失ってしうのですが、
「考え込んだ揚げ句にある結論が出て、その後君のことを忘れてぐっすり眠った。」
とウィルに言葉を投げ掛けるシーンがあります。

「君に芸術のこ とをたずねたら、
これまでに書かれたあらゆる芸術関係の本の情報を話すだろう…
たとえばミケランジェロ?
きっと、ミケランジェロについて君はたくさんのことを知っている。
生涯の作品、批評、政治的な野心。
だが、システイーナ礼拝堂の中はどんな匂いがするか、君は言えやしない。
そこに立ったこともなければ、あのすばらしい天井画を見上げたこともないんだから。
    ・
    ・
    ・
君に戦争のことを聞けば、フィクションやノンフィクションの資料についてどんどん話すだろうが、
君は、一度も戦争を体験したことはない。
親友の頭をひざに抱きかかえて、彼が助けをもとめながら息を引きとる姿を見た経験なんてない。

君に、愛について訊ねても、14行詩は言えるだろうが、
女性をしっかり見つめたこともなければ、本当に自分をさらけ出したこともない。
眼差しで君を殺せる女性がいることを知っているから。
でも、その女性は、君を深い苦悩から救うこともできる、
神様が君のためだけに地上に送ってくれた天使だ。
でも、自分が彼女の天使になることがどんな気持ちか君にはわからない。

彼女のためだけに永遠の愛を持つこと。なにがあっても、癌になっても。
2カ月のあいだ、病室で彼女の手を握りしめながら、坐ったまま寝たり、
医師たちが面会時間のことなんて言い出せない目をして、
ずっと彼女を見守っていることがどういうことか、君にはわからない。
本当に失うとは、どういうことかを君は知らない。
それが初めて分かるのは、自分以上に愛するものを失った時だが、
君はそこまで何かを愛する勇気がない。

君のことを理解できそうな人間は誰もいなかっただろう、ウィル?
なのに、君は私の絵を見て、私のことが分かったと思いこんでいる。
君は孤児だろ?僕がこう言ったら?
「君のなめた苦しみはよく分かる。『オリバー・ツイスト』を読んだから」

どういう気がする?僕にとってはどうでもいいことだ。君から学ぶことは
何もない。本に書いてある。君自身の話なら喜んで聞こう。」

注) 様々な翻訳があります。

空気感やにおい、音・・を感じられる絵本

空気感やにおい、音・・を感じられる絵本が好きです。
そういう作品は、 言語やイラストのタッチに関わらず、
ほとんどが“お気に入り”になります。
先日ある方と、好きな絵本についての話をしていて再認識しました。

その時に名前が挙がったのが、
ユリー・シュルヴィッツの「よあけ」や
アイリーン・ハースの「カーリーおばさんのふしぎなにわ」(*絶版)
ピーター・スピアの「雨、あめ」など。

「よあけ」は、未明から日の出にかけての静寂さや朝のにおいを
「カーリーおばさんのふしぎなにわ」は立ちこめる草いきれを
「雨、あめ」は雨から受ける感覚の全てを

このような作品から五感に響いてくる感覚をよくよく味わってみると、
それらはみな、子どもの頃の遠い記憶の中から、
あるいは、いつかどこかで実際に経験した思い出の中から
呼び起こされているような気がします。

つまり、それらの感覚は既に私の中に存在していて、
絵本たちがその記憶を鮮やかに再生してくれているのではないかと思うのです。
だからでしょうか。頁をめくりながら、音やにおいをリアルに感じることが多いのです。

しばらくして、ふと考えてしまいました。
もしも自分の中に、そういう記憶や思い出・経験がまったく無かったとしたら、
絵本から感じられるものはもっと少なくなるのだろうか??

何かを連想したり、想像することは出来るかもしれないけれど、
リアルな感覚を味わうことはできないだろうな・・と、
それこそ“想像”してはみるのだけれど、
“無いもの”をイメージするのはとても難しく、思いは巡るばかり。

想像することそのものが、絵本の魅力の神髄ですが、
自分の中に色んなものがあればあるほど、
感動や、想像力そのものが豊かになるのは確かなように思えます。
これは絵本に限ったことではありませんよね。

そう思うと、あまり外で遊ばなくなったという最近の子どもたちが、
ちょっとだけ心配になります。
図鑑やテレビやパソコンで、どんなにリアルな画像を見ても、
結局それは無味無臭です。

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