C O L U M N
“たわごと”コラム
 
2002〜2003
NO.9〜 NO.13
NO.14〜 NO.23
NO.24 〜 NO.34
NO.35 〜NO.49
NO.50 〜 NO.57
NO.58 〜 NO.72
NO.73 〜 NO.91
NO.92 〜 NO.114
NO.115 〜 NO.139
NO.140 〜 NO.154
2004〜2005



絵本についてのつれづれ
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洋古書探訪
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旅先で出会った絵本たち展
展示会報告
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絵本を巡る旅 - リポート
プラハ・ミュンヘン・パリ
東欧・ボローニャ
リトアニア
イスタンブール
ベルギー
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 COLUMN・・・VOL.1  絵本の第一印象 
 絵本の第一印象は、やはりイラストに大きく左右されますよね。イラストが好きだというだけで、即座にその絵本を購入することがあるほどです。もちろん絵本は読んで字のごとく絵の本なのですから、絵が内容と並んで、最も大切な要素であるのは当然のこと。ストーリーを把握するには、読むための時間が必要になるので、 絵本の第一印象はやはり、絵で決まるといって過言ではないと思います。
 けれども私の場合、仕事柄もう少しいろんなところに目がいってしまいます。 もちろん“第一印象=絵”であることには変わりないのですが、絵本もひとつの印刷物なので、そういう部分のクオリティーがどうしても気になってしまうのです。絵本だけではなく、ひとつの印刷物ができるまでには、それはそれはたくさんの人が係わっています。絵本も、作家、イラストレーター、 編集者、グラフィックデザイナー、印刷者・・・といろんな人の力が合わさってはじめて形になります。どの行程ひとつ抜けても、絵本は生まれません。私は、ものづくりに於いてはどんなものでも、携わる人間の意識が完全に反映されると思っています。いいかげんな思いで作られたものは、いいかげんになります。良心のこもったものは、人を魅了するものになると思うのです。ですから、印刷物のように、制作行程にたくさんの人が係わるものは、ある意味で本当にいいものを仕上げるのが難しいと言えるかもしれません。ストーリーが良くても絵がいま一つ・・・とか、せっかくいい絵本なのに、装丁がひどい・・・とか。好みの問題もあるので一概には言い切れませんが、こんなにたくさんの絵本があるのに、全部に納得のいくものはそんなに多くありません。・・・つづく


 ●COLUMN・・・VOL.2  絵本から感じ取るもの 
 絵本を手にした時、私たちは予想以上に多くのことを感じ取っていると思います。もちろん、まずは“絵のイメージ”が 目から飛び込んできますね。ページをパラパラとめくって、全体の雰囲気を見ます。その時無意識のうちに、本を持つ手が、表紙の手触りを感じています。ページを開いた瞬間、インクや紙のにおいを感じているかもしれません。紙の質や色が、その本の印象を少なからず左右します。文字はどうでしょうか?文字そのものの大きさや形、レイアウトの仕方でも、イメージはかなり変わってきます。
 子供のころに出会った絵本を思い出す時、絵やストーリーはもちろんのこと、その本のにおいや、手触りまでもが一緒に蘇ってきませんか?もっといえば、そのページに自分で書き込んでしまったいたずら書きや、貼ってしまったシールまでも・・・私たちは、その絵本から無意識のうちにいろんなことを感じ取って、その時の思い出までも一緒に、心にストックしているんですね。・・・つづく


COLUMN・・・VOL.3  大切な人のために絵本をつくるとしたら
 
絵本の印象を左右する要素はたくさんあって、それらが調和するととても“素敵な絵本”が生まれます。もしもあなたが、誰か大切な人のために絵本をつくるとしたら、どの要素ひとつとってもおろそかにすることはできないと思うはず。実際にその絵本を手にする人のことを思えば思う程、気を配りたいところはたくさんあるはずです。
  例えば、その絵本を手にするのがわが子だとしたら? その絵本がもしかすると子供の心象風景に強く焼き付き、一生その子の思い出の傍らに生き続けるかも知れません。実際に、子供のころに出会った絵本を、私は鮮明に思い浮かべることが出来ます。そう、紙の手触りや、においや、落書きも含めて・・・
 だからこそ、内容や絵のみならず、それ以外のディティールにも少なからずこだわってしまうのです。 もちろんすべてが揃ってなければダメなのだといっている訳ではありません。体裁がどうであれ、いい絵本はいいし、逆に体裁ばかりが良くて、中身に疑問を感じるものもたくさんあります。 ・・・つづく

COLUMN・・・VOL.4  疑問を感じた絵本
 制作に携わる人たちの意識が、その絵本に大きく影響していると思う・・・という話をしました。ここに、そ ういう意味で、私が疑問を感じている2册の絵本があります。2册とも同じ作者による、同じタイトルの絵本で す。出版社も同じ。違うのは発行された年で、装丁が変わっています。古い方は文章が縦書きで、新しい方は横 書き、カバーデザインも若干ですが、変更になっています。
  この2冊を見比べると、おかしなことに気付きます。絵もストーリーもまったく同じですが、その絵のうちの何枚かが左右逆転しているのです。同じ絵ですが一方には、ページの片隅に作者のサインが入っています。恐ら く、故意に逆転してある方の絵は、そのサインが消されています。
 これはあくまで憶測ですが、どうやら文章をレイアウトする時に、おさまりが悪かったために絵を逆転したのではないかと思われます。 また、よくよく見ると、絵の色調が全然違います。2册とも使用している紙が異なる ので、同じ条件で印刷しても色味が違ってくるのは、ある程度仕方ありません。けれど、これはもうその許容範 囲をはるかに越えていて、登場人物の一人はほとんど別人のようになってしまっているのです。  この本は、世界的に有名な作家による作品で、こんな状態で絵本化されてもなお、十分に魅力的なものなので すが、それにしても、もしこれが本当に故意に行われたものだとしたら、やっぱり制作者の意識を疑ってしまい ます。・・・つづく


VOL.5・・・“キレイ”な線  

 だいぶ昔に発行され、ロングセラーを続けている絵本は、当然何度も増刷をくり返しています。もちろんイラストやストーリーそのものは変わりませんが、印刷や製本の技術がどんどん進歩しているので、本自体の雰囲気は刷年によって異なるのです。特にここ数年のIT革命は、出版や編集、印刷業界にもおおきな変革をもたらしました。
 我が事務所もご他聞にもれず、コンピュータの導入を余儀無くされました。それまで握っていたペンや筆を、マウスに持ち替えたのです。 はじめは「あたしゃ根っからの文系だ!(死語?)とかいって抵抗していましたが、そんなこともいっていられない社会に、いつの間にかなってしまいました。

 コンピュータがもたらした、印刷や製版技術の進歩に加え、インクや紙の質の向上したことで、現在、本はすばらしく“キレイ”に仕上がる訳です。しかも日本の印刷技術は世界的一だといわれています。

 でもね、 “キレイ”であることは、そんなに大切なことでしょうか?

 例えば、絵本の表紙をレイアウトする時、タイトルの下に1本の細い線を入れることになったとします。0.1mmの太さの黒いシンプルな線です。現在では、コンピュータに太さ「0.1mm」長さ「○cm」と指定して、Reternボタンを押すだけでOKです。初めから終わりまで絶対的に0.1mmの “キレイ”な線が瞬時に現れます。

 それが、ペンで線を引いていた頃はこんな感じでした。

 まず、紙を用意して表面にヨゴレや指紋がついていないか確かめます。次にキレイに拭いたものさしを、線を引きたい場所に注意深くセットします。使うペンも入念にチェックして、インクの状態を確かめます。さて、ここからが勝負です。姿勢をただし、息を止めたら、ペンをほぼ垂直に立ててスッと定規に当てます。線の始まりは少し力を弱めて、引いている最中は一定の力加減とスピードで、最後はまたスッと力を抜いて速やかにペンを紙から離します。 最初と最後に若干力を抜かないと、インクだまりが出来て、線が一定の太さになりません。息を止めるのも同じ理由。もちろん考え事なんてしてはいけません。線を引いている途中で『夕ご飯なににしようかなぁ』なんてチラリとでも思おうものなら、もう線は歪んでしまいます。(笑)・・・こうして書くと、なんだか大袈裟に見えますが、この間ものの数秒です。

  どんなに経験を積んだ人が引いても、そこはやっぱり人間ですから、コンピュータのようにはいきません。まっすぐに引いた線でも、厳密にいえば微かな滲みや歪みがあります。時にはその線に『夕ご飯』への思いが込められてしまっていたりする訳です。コンピュータでつくった、初めから最後まで絶対的に0.1mmの線のほうが、そりゃあ“キレイ”
に決まっています。・・・つづく長くなっちゃったから、つづきは明日)

P.S. こんな話をすると、「あなたは何時代に生まれたの?」って聞かれちゃいそうですけど、私はれっきとした昭和生まれです。(注!)昭和初期ではありませんよ!といって後期でもないけど・・・

明日は新着絵本のUPをお休みします。(コラムのつづきは更新します。)


VOL.5    “キレイ”な線(昨日の続き)  

 本を制作する行程の、ほとんどすべてがデジタル化されたのですから、現在出版されている本は、ある意味とっても“キレイ”です。線はどこまでも歪みなく、文字もきっちり並んでします。もちろんイラストの分野だけは“手描き”が多いのですが、徐々にコンピュータを使うイラストレーターも増えてきています。

 コンピュータがなかった時代、本の制作行程には文字通り、たくさんの人たちの“手”が加わってました。そういう意味で、仕上がった本には微妙な歪みや、にじみ、遊び、思い・・・が集積されていて、それらが、その本の“味”の一部になっていたんですね。

 “手描きの線”でよく話題にのぼるのが、オランダの絵本作家ディック・ブルーナさんです。彼の絵は、コンピュータで描くのに最も敵したタッチとも言えるのですが、今でも頑に“手描き”を続けていらっしゃいます。
 「私はいつも筆で描きます。手描きの線は震えますが、手描きとはそういうものです」という彼の言葉は、とても有名ですね。

 ブルーナさんの絵をよ〜く見てみてください。一見定規を使ったように見える線も、微妙に震えています。ひとつとして同じ線がありません。もしも彼がコンピュータで絵を描いたら、その絵本はたちどころに魂を失ってしまうでしょう。

 普段そんなことには気にも止めずに絵本を開いている人でも、無意識のうちにすべてを感じ取っているものなのだと私は思っています。『何となく冷たい感じ・・・』とか、『なんとなくあたたかな感じ・・・』とか、頭ではなく五感で感じているはずですから「なんで冷たく感じるの?」と問われても、具体的には答えられないかも知れません。でもちゃんと感じとっているんですよね、すべてを。もちろん子どもたちも・・・いえいえ子どもたちの方がずーっと確かに。だからこそ、ブルーナさんだけでなく、多くの絵本作家さん、おもちゃ作家さんは、手作り、手描き、素材などにこだわるのです。

 ところで我が事務所に往来する人々も、そういうこだわりのある輩ばかりです。コンピュータ以前の時代からモノを作っていた年代ですからね。しかし今となっては、データ化しないと効率的に印刷物が出来ない世の中になってしまいました。だから、どうしても手描きの線にしたい時は、まず紙に筆やペンで線を引き、それをスキャナで読み取って使うという、とんでもなく手間がかかることをやってみたりします。コンピュータで引けば数秒なのに! そんなことをしているから「朝までコース」になったりするのです。しかしまあ本人たちは、深夜にその“手描きの線”を見て「これこれ、これでなくっちゃぁ・・・フフフ」とにやけていたりするのですから、徹夜になっちゃったって同情の余地はまったくありません。やらせとけ、って感じです。

 

職業病的コラム その1 

 *特色印刷の絵本

今日UPした「わたしのワンピース」は特色で印刷されています!
そんなところを見てしまうのが、私の“職業病”です。

カラー印刷の方法は大きく分けて2つあり、ひとつは“4色刷り”で、もう一つが“特色刷り” です。
“4色刷り”というのはブラック、マゼンタ、シアン、イエローという、たった4色のインクで、あらゆるカラーを表現するもので、フルカラーの印刷物はほとんど全てと言っていいくらいこの方法で刷られています。

一方 “特色刷り”というのは、その色ズバリのインクで印刷する方法です。
例えば緑を印刷する場合、“4色刷り”ではシアンとイエローを基準に、4つの色の掛け合わせで色を再現するのですが、“特色刷り”の場合は、緑のインクを作ります。一言で緑といっても、若草色から、深緑まで、ありとあらゆる緑があるのですから、特色の数は理論上無限大です。

どちらがいいとか悪いとかいう問題ではないのですが、 “4色刷り”では再現しずらい色味というのがあって、どうしてもそういう色を表現したい場合には“特色”を使うしかありません。
その代表が、金や銀・・・ もっと職業病的にいうと、鮮やかなオレンジなども難しい色味です。
“4色刷り”では、マゼンタとイエローを“掛け合わせ”て再現するので、色が微妙に濁ってしまうのです。

「わたしのワンピース」のページを開くと、なんとも透明感のある色が目に飛び込んできます。この鮮やかさは“特色刷り”ならでは!この絵本がロングセラーなのは、そんなところにも理由があるかも知れません。もちろん、そんな説明はどこにもされていませんが、わたしたちの目は、無意識のうちにも微妙な違いを読み取っているのだと思います。

ちなみに特色をたくさん使った印刷は、とってもコスト高なので、一般的にはあまり見かけません。残念ながら絵本も例外ではないのです。

ああ、 職業病・・・重症かも。



職業病的コラム その2

先日“特色印刷”についてのたわごとを載せましたところ、いくつか質問をいただきましたので、ちょっと追記しますね。
“特色”をいっぱい使った印刷はコスト高になるのであまり見かけない・・・と書きましたが、 “特色印刷”そのものは珍しいものではないので、どうか誤解のないよう・・・
例えば、2色〜3色で刷られた印刷物は、特色であることが多いです。“4色刷り印刷 ”より、2色のインクで印刷する方がコストが安上がりだからです。よく見かけますよね、赤と黒とか、グリーンと黒とか・・・

けれども「わたしのワンピース」という絵本には6色(多分)もの特色が使われていました。同じ絵を“4色刷り印刷”で印刷することも可能なのですが、そうすると、若干くすんだ色になってしまうと思います。
そういえば、同じこぐま社から出版されている、馬場のぼるさんの絵本も特色刷りでした。
ふふふ・・・こぐま社さん、こだわってますね。・・素敵。(笑)

なんかこういう話をしていると、はてしもなく職業病が悪化してしまうので、この辺りにしておきましょうね。(笑)






 



 



職業病的コラム その3

フランスは言わずと知れた芸術の国。 現在パリに住んでいる友人夫婦によれば、 フランス人はアートを生活の一部として楽しむ国民性で、 日常のいたるところに、そのエッセンスをふりまいている・・・とのこと。 例えば、閉店後に必ず店の前に花びらをまく花屋があるとか、 クリスマスになると、お菓子だけでツリーを作ってショーケースを飾るケーキ屋さんがあるとか、 そんな便りが定期的に送られてきます。

彼らにフランスの絵本について聞いてみたところ、とにかく“絵本=子供の本”という感覚は薄い、ということをとても強調していました。もちろん、フランスにだって子供のための絵本はあるのですが、もっと大きな意味で絵本をいうものを捉えているというのです。つまり、それは表現手法の一つであり、本という形をしたアートなのだということ。確かに先日訪れたボローニャ・ブック フェアでも、フランスの絵本はすごく凝っているという印象を受けました。

どの国の絵本にもお国柄が出ていて、その独自性が強いほど、他国の人間には魅力的に映ります。フランスの絵本には、“しゃれている”という感想を持つ人が多いと聞きました。絵のタッチや色彩感覚はもちろんのこと、ストーリーの切り口や企画そのものが斬新で、児童文化という枠に押し込めてしまうのはもったいないクオリティーです。“しゃれている”という印象が、フランスの絵本の独自性になっているんですよね。

でも、斬新だから“しゃれている”のかというと、そんなに単純なことでもないような気がします。私個人としては、斬新なものばかりに魅力を感じるたちでもないので、それこそ、無限大の表現手法の一つ・・・くらいにしか捉えられません。世界には、いろいろな意味で魅力的な絵やお話が溢れているのです。けれども、フランスの絵本には、他の国の絵本にはあまり見られない印刷技法が使われたりしていて、そういう部分にはとても感心しました。
通常の印刷では使われないような特殊インクや特殊紙が使われている絵本がけっこう多いのです。しかも、その使い方がとてもハイセンス。

例えば、グロスインク/マットインクという無色透明の印刷インクがあります。簡単に言ってしまうと、ツヤ出しインクとツヤ消しインクです。ツヤありとツヤなしの差は、人間の目ではっきりと感じ取ることができます。けれども、原画を描く段階でその要素を絵に取り入れても、印刷物でその違いを表現することは出来ません。印刷の段階でグロスインク/マットインク
、光沢紙/マット紙 、を使って表現するしかないのです。

フランスのある絵本には、こんな表現手法が使われていました。黒のマット紙にグロスインクで三日月の形を印刷していて、そこだけがつやありの黒になっています。つまり、同じ黒でも、“つやあり”と“つやなし”を使い分けているのです。言葉で表現するのは難しいのですが、こういうデザインは、印刷行程までをも、表現手法の一部と考えていなければ絶対に出来ないことなのです。デザイン関係の本などにはよく見られる手法ですが、絵本ではあまり見かけませんよね。

さらに、特殊印刷や特殊紙は、当然コスト高になり、絵本の価格に跳ね返ってきます。ですから、あまり頻繁には使われないのです。

フランスの絵本は、結構高価なものが多いです.特に特殊印刷が使われているものは、画集クラスのお値段です。けれど、フランスではそれでOKなのだと、先述の友人夫妻は言いました。
「いいものを作ったのでお金がかかりました。だからこの本は高いんです。何か問題でも?」
という感じでしょうか?(笑)コストを下げるために妥協なんかしないから、フランスでは文化が育つのかも知れませんね。


そういえば、イタリアの絵本・ブルーノ・ムナーリの「霧の中のサーカス」 などは、特殊技法を集めてできた絵本みたいなものですね。ムナーリがはじめてあの絵本を出版しようとした時には、印刷屋さんは卒倒したと思います。(笑)