C O L U M N
“たわごと”コラム
 
2002〜2003
NO.9〜 NO.13
NO.14〜 NO.23
NO.24 〜 NO.34
NO.35 〜NO.49
NO.50 〜 NO.57
NO.58 〜 NO.72
NO.73 〜 NO.91
NO.92 〜 NO.114
NO.115 〜 NO.139
NO.140 〜 NO.154
2004〜2005



絵本についてのつれづれ
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洋古書探訪
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旅先で出会った絵本たち展
展示会報告
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絵本を巡る旅 - リポート
プラハ・ミュンヘン・パリ
東欧・ボローニャ
リトアニア
イスタンブール
ベルギー
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無事帰国しました。
“満開の桜”になんとか間に合いました。

現在4月9日の
4時49分、時差ボケのせいで眠気が訪れず、
きれいな朝焼けを見ながら桜を描いたりしています。(笑)

お休み中にもかかわらず、皆さんがメッセージを寄せてくださったことが
本当に嬉しくて、
とにもかくにも、
帰ったらまずお礼がいいたかったので、TOPページだけの更新です。

皆さん、本当にありがとう・・
言葉の通じない国で読んだBBSへのメッセージ、いろんな意味で感動しました。
なかなか、インターネットにつなげることができず、
現地からちゃんとしたお返事ができなかったことを、どうか許してください。

いま、太陽が地平線から顔を出しました。
今日はいい天気になりそうです。
これから少し睡眠をとって、夕方からまた更新作業に取り組もうと考えています。
山のような洗濯物と格闘しながら・・・(笑)

本当にいつもマイペース更新で・・・ごめんなさい。

   

旅報告 -プロローグ

 今回の旅の最終地点はミラノ。4月6日、帰国便がこの街の国際空港からしか飛んでいなかったので、やむなく帰国前日に一泊だけ滞在しました。

 今回は小型のノートパソコンを持参し、海外ローミングの契約までしていったのですが、ついに旅の終盤までインターネットにつなげることができませんでした。
というのも、宿泊したのがほとんど、ペンションやゲストハウス、寝台列車・・だったので、部屋に電話がついていなかったのです。(苦笑)宝の持ち腐れというか、なんというか・・・
結局、アクセスできたのはブラチスラバと、帰国寸前のパルマのホテルからだけ。パルマでキャッチできたBBSのメッセージを、隣街ミラノの宿泊先で、しみじみ読みました。
今や当たり前のことなのかも知れませんが、距離感を縮めてくれるインターネットの恩恵を、これほどリアルに感じたことはなかったと思います。

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 今回、このような世界情勢にもかかわらず渡欧を決意したこと・・・丸腰のいちアジア人として多国を巡ったことで、結果的に私たちは、通常の旅以上に多くのものを得ることができました。ただ幸運だっただけなのかも知れませんが、一度も危ない目にはあいませんでした。丸腰のアジア人・・というのはつまり、“武器を持っていない(もちろんですが)”だけでなく、充分な語学力も、それを補うたくさんのお金も持っていないアジア人・・という意味です。(笑)

 出発直前、確かに私は迷っていました。“危ない”ということより、こんな時期に“本”を目的とする個人的な旅をすることは、どうなのか・・ということで。その思いは出発してからも消化しきれずにいましたが、帰国した今、行ってよかったと心から感じています。 なぜ、そう感じられたかを、少しずつこのコラムでご報告できればと思っています。

 出発前にもお知らせしましたが、エアチケットのみの手配であとは風まかせ・・決めてしまうと決めた通りにしか動けない、という理由もありますが、実はスケジュールを具体的に決めなかったことには、もう一つ大きな理由がありました。

 以前コラムにも書きましたが、私はほんの数年前まで病気でひっくり返っていましたので、体力にあまり自信がありませんでした。20代の頃、バックパッカーの旅を経験しましたが、その後体調を崩して、もうニ度と体力勝負の旅はできないと悲観していたのです。 出発前、いろんなところに行ってみたいけれど、もしかしたら身体がもたないかもしれない・・という不安をぬぐい去ることができませんでした。そんなことで、躊躇している私に店主Bが
「具合が悪くなったら、2週間同じホテルで寝てればいいじゃない。いい休暇になるよ。」といってくれて、それで急に心が軽くなり、決心がついたという訳なんです。
つまり、身体と相談しながら随時スケジュールを立てていったのでした。

 結局、私の身体は最後までしっかりもってくれました。ちょっと 、あっちこっちがグキグキだったけど・・(笑)これはまあ、日頃の運動不足のせいにしておきます。それに年もとったし・・(笑)
 私の身体は、あの頃に比べて随分よくなっているんだなと実感できました。ものすごく個人的なことですが、私にとってこの実感は、大きな収穫です。(笑)

 “本”という目的がなければ、旅立つ動機付けは希薄になり、今回出会えたもののすべてを、得ることができなかったのだと思うと、 感慨深いものがあります。私にとって具体的な目的を持った旅はこれが初めてでした。いつだって何かを捜して旅に出たのは確かなのですが、それは漠然とした“何か”でしかなかったのです。目的は、無条件に惹かれるものであれば、なんでもいいような気がします。目的があるだけで、あっという間に過ぎていってしまう時間も濃密になり、はっきりとした輪郭を帯びるように感じられました。

さてさて、ちょっと前置きが長くなりました・・

 毎度のことですが、今回の旅も、現地ですれちがった多くの人たちの善意に支えられ、促され、右往左往しながらも、しっかり目的地にたどり着くことができましたよ。

 訪れた街はプラハを起点に、なんだかんだで8ケ所。1ケ所につき最長3日、最短半日。(笑) 明日からまたゆっくりとご報告させていただきますね。新着UPの準備に数日かかると思いますので、それまではコラムの更新だけになってしまうかも知れませんが、どうかおおめに見てやってください。



旅の最終地点・・ミラノ
BBSのメッセージを読みながら、眺めていた風景、ほんの数日前。

安宿の裏窓から・・・右手に見えるのは運動場用ネット、ボール遊びをする子供たちの声が響いていました。




ミラノに咲いていた桜。 偶然にも空に飛行機雲・・・ダビンチの「最後の晩餐」が納められている教会の裏。




たくさんの本に出会いました。これはドイツののみの市。なんかたくさんいい本がありそうでしょ?でもここでは一冊も買わなかった。(苦笑)


   

旅報告 -プラハ編

 前回思い立ってプラハを訪れたのは去年の10月、街の中心部が 歴史的な洪水にみまわれた2ヶ月後のことでした。あれから6ヶ月、街はほぼ完全に復旧していました。地下鉄は全線開通していましたし、前回訪れた時には廃虚と化していた被災地域も すっかり手入れされ、見間違えるほどきれいになっていました。

 今回も、前回と同じところに部屋がとれたので「ただいま〜」という感覚でチェックイン。プラハの第一印象は“懐かしい感じ”だったのですが、今回はそれを上回り、昔住んでいた場所に帰ってきたような感覚にとらわれました。早くも余談になっちゃいますが、旅先の印象は、宿泊した場所の印象にかなり左右されると思います。幸運にもプラハで宿泊したアパートは、とてもいいところだったんです。(部屋に電話はないけどね・・・笑)

 今回のプラハでの滞在日数は3日、ほとんどの時間を本屋と郵便局に費やしました。(笑)6ヶ月も経っているのですから当然のことですが、平台に積まれたタイトルはすっかり一新。 前回一番目についたのはラダとチャペックでしたが、今回はHELENA・ ZMATLIKOVAの本がたくさん並んでいましたよ。(この方の本も後日ご紹介しますね。)ピーター・シスの本は本棚に納められ、あまり目立たなくなっていました。一方不変の人気を見せているのがやっぱり、ミレルのクルテク・シリーズ。クルテクの絵本は、ドイツでもハンガリーでもスロヴァキアでも目撃。そうそう、モスクワの空港内でも売られてましたよ!

 ちなみにチェコの人口は1030万人たらず、言語はチェコ語。新しいタイトルを初版からたくさん刷るとは思えません。クルテルのような超人気シリーズは別として、児童書となればなおさら少部数に止めるはずです。もしかすると、ひとつのタイトルが絶版になるまでの期間は、かなり短いのかも知れません。
 また、チェコは今なお歴史的大変動の最中にあり、出版業界も大きな変化を迫られているようです。(1989年のビロード革命で、チェコスロヴァキアが社会主義から資本主義に変化、さらに、1993年にはスロヴァキアとの連邦を解消しています。チェコはここ数十年の間に急激な変化をとげ、現在、EU加盟に向けて時流が大きく変動しています。)

 例えば本の値段・・裏表紙に値段が印刷されているものがあるのですが 、その何倍もする値段のシ−ルが上から何枚も重ねて貼りつけられていたり、棚に掲げられている値段が本に印刷されている値段と全く違ったりする場合がありました。経済状況の変化に、本のリプリントが間に合わないようです。

 実は今回私たちも、プラハがちょっと変わった・・・という印象を受けました。全く漠然とした、ものすごく主観的な感想なんですけどね・・・
もちろん洪水被災からの復旧が急ピッチで進んだ・・・というのが大きな理由ではあると思います。けれど、それだけではない“変化”を、なんとなく肌で感じたのです。
・・・つづく

 



対岸から望んだプラハ城。前回訪れた時は川沿いの建物の1階部分が、ほとんど壊滅状態でした。




今回の戦利品。(笑)全部新本。 数冊ずつ仕入れてきました。


   

旅報告 -プラハ編 その2

今回感じたプラハの変化・・・
まず、下町の、とある大衆酒場のビールの温度・・・
あ・・・「なんだ〜」という声がネットの向こうから聞こえてきそう・・・
しか〜し!「ビールにかなりこだわるプラハにおいて、これは相当大きなポイントだ
」と自称お酒研究家の店主Bは豪語します。それに、前回は手描きだったメニューが印刷物に変わっていました。これには、行きつけの家庭的な一杯飲み屋が、しばらくご無沙汰していたうちに、ファミリーレストランに変わってしまっていたような淋しさを感じました。

 そういえば、チェコの文化を日本に紹介した第一人者である千野 栄一氏も、その著書の中でプラハの変化を寂しがっておられました。(千野さんは革命前からプラハに住んでおられました。)時代によって街が変化するのはあたり前、それを寂しがるのは人の常ですが、プラハには、通りすがりの異邦人にさえ変わって欲しくないと思わせる何かがあります。さらに、
千野さんご本人もつい最近他界され、氏が通っていたという行きつけの飲み屋の前で、ふと妙に淋しい気持ちにとらわれたのでした。千野さんが変わってしまったと嘆いた時代から、さらに時が経っています。私はその当時のプラハを知りません。今のプラハを千野さんがご覧になったら、どのように感じるだろう・・・そんなことを考えながら、石畳の路地裏をさまよいました。

 今回は、チェコの大きな変化について地元の人に聞く機会がありました。前回の旅で知り合った本屋の店主さんが、食事に招待してくれて、近年のチェコの変化について語ってくれました。彼によれば、とにかくここ数十年の間に何もかもが変わってしまったのだそう。時代の急変は人々の宗教感をも変化させ、現在では無宗教の人がかなり増えているとのこと。観光ポイントである旧市街の土地は急激に高騰したそうで、聞けば家賃は東京とさほどかわりありません。しかし、彼自身が最近経験した一番大きな変化といえば、昨年の暮れに結婚したということ。めちゃくちゃキュートなお嫁さん同伴で、終始当てられっぱなしでした。(笑)ごちそうさま。

 今後、チェコの児童文化はどのように変化するのでしょう? 少し気掛かりです。


 



なるべく地元の人でにぎわっている店を選びます。特におじちゃんが一人で呑みにくるようなところが、わたしたちにとって居心地のよいお店です。


前回洪水の被害を受けて閉店していたお店も、今回は開店していました。一方、潰れてしまったらしき本屋さんも数軒目撃。


 

今回、プラハで出会った本は、少しずつですが一通り向こうから発送しましたので、本自体の詳細については、後ほど詳しくお知らせしますね。まずは旅報告をざーっと進めます。

旅報告 - いざ!ブタペスト編
     今日は旅らしい旅のお話・・・  

 『ハンガリーの絵本も見てみたい』そう思いついたのは、ほんとに出発直前のことでした。ハンガリーには行ったことがないし、この国の絵本と言えば、マーク・ベロニカの本と、私自身の探求書「木のうた」「鳥のうた」・・・くらい・・・全くといっていいほど、実質的な知識がありませんでした。幸運にも、身体に余力がありましたので、プラハから夜行列車でブタペストに向かうことにしました。

 プラハからブタペストまでは、夜行で約9時間、奮発して個室寝台をブッキング。サンドイッチなんか買い込んで修学旅行気分で乗り込んでみると・・・室内のイメージは、ウ〜ン・・ちょっとだけ“動く独房”スタイル、車両が古いせいでもあるけど。(笑)だけど、“目が覚めたら目的地”っていうのは、時間が有効に使えるという意味で、かなり利用価値大です。ところが、夜中に4回もやってきたパスポートコントロールで、熟睡はかないませんでした。プラハからブタペストに向かうには、スロヴァキアを経由しなければいけないので、何度も出入国審査があるのです。(泣)

 駅に降り立つと、案の定、いましたいました、宿の客引き。部屋の写真などをファイルにして、到着したばかりのお客さんに強力にアプローチしてきます。旅ずれしてくると、何かをしつこく売り込んでくる人に、条件反射的に「ノー・サンキュー」と言ってしまいます。ファイルなんて見てしまうとややこしくなるので、目をあわせないようにします。笑いながら近づいてくる人が 、皆いい人とは限りません。下心のある笑みと、本当の笑みを見分けられなければ、大変なことになってしまいます。私たちも、ひたすら早足で出口に向かいました。

 だけど今回、私はある客引きの女性の前で、足を止めてしまいました。どうしてだろう?・・予想通り、彼女はファイルを開き、部屋の写真を見せようとします。いろんな国の言葉で書かれた“おすすめです”みたいなメッセージまでファイリングされており、見れば見るほどお定まりで懐疑心がつのります。それなのに、私はこの女性が、なぜだかすぐに好きになってしまったのでした。
横を見ると、店主Bが眉間にシワを寄せて首を横に降っています。絶対に騙されないぞっていう顔です。
一瞬『そうだよな・・・危ないよな・・・』と思ったのですが、やっぱり断る気になれません。
宿泊料を問うと、一泊朝食付き二人で25ユーロ。ちなみにプラハの駅で出会った日本人大学生が横にいたのですが、その値段を聞いて「高い」と一言。彼は1ベット10ユーロのドミトリ−(相部屋)に泊まる予定でいたので、そのまま素通りしていきました。
25ユーロは高い・・つられて一瞬そう思いかけた私。
脳にシャッターが降りているのでなんと言われても高く感じてしまうのです。 『だけど、ちょっとまってよ。星付きホテルに泊まれば最低でも100ユーロ、25ユーロは高くない。』
「この年になって25ユーロ が高いなんていっていたら、この先いったいどうやって生きていけばいいのさ」
そんな訳の分からないことを言う私に「たまには騙されてみるのもいいかもね」としぶしぶOKした店主B。
で?・・・どうだったかというと・・・・“正解”でした。

 何が正解だったのか問われると、ちょっと言葉につまります。(笑)建物と部屋は写真みたいな感じ。もちろん窓からはドナウ川もお城も見えません。(笑)いわゆるバックパッカー向けのゲストハウスです。民家の一室に泊めて
もらうような感じ。決して便利な場所にあるとも言えません。
だけど、とにかくわたしは、この女性に出会えてよかったと心から思ったのです。
この人を、私はその日のうちに“マム”と呼ぶようになってました。言葉ではうまく表現できませんが、心にまったく壁のない人でした。初対面の私たちにも、素の心で接っしてくれている感じがしました。

 ダイニングには、様々な国の旅人がメッセージを寄せた、ボロボロの分厚いノートが2册置いてありました。
日本語、韓国語、中国語、英語、アラビック・・・皆この宿にかつて宿泊した人たちです。 各国の現地情報や、ブタペストの危険地域情報。ボッタクリバーの所在地。どういう手口で、いくら騙されたか。安くて美味しいレストラン・・・
それから、長旅の最中に襲ってくる虚しい気持ち。これからどうやって生きようか?という不安。自己嫌悪。淋しさ・・・
多くのページに、この宿にきて、マムに出会えてよかったというコメントが添えられていました。 “マム”は黄色いおばちゃんと呼ばれていたり、おかあちゃんと呼ばれていたり、マザーと呼ばれていたり・・・

 バックパッカーの中には、半年、一年という単位で貧乏旅行を続けているつわものもいます。かつて私たちもそうでした。自分で自分の身を守るために、いつもどこかが緊張しています。そんな旅の道中に、無条件にリラックスできる場所、出会った瞬間家族のように暖かく接してくれる人と出会えることは、何にもまして嬉しいことなのです。
ノートにはその喜びがたくさん書き付けられていました。

 簡素なベットに横たわり、「どうしてだろう?」と考えていました。
彼女は毎日駅で客引きをします。警戒心に凝り固まったたくさんの旅人に、何度もむげにされてきたはずです。嫌な思いもいっぱい経験したことでしょう。小さなイタミも積み重なれば深い傷になっていきます。 それなのに、どうして彼女は素性も分からない旅人にはじめからこんなに自然に接することができるのでしょうか?彼女は簡単な英語を話します。けれど、何故か日本語で会話をしているかような錯角を覚えます。言葉の違いなど、あまり意味がないと実感できるのです。

 翌朝マムは、朝ごはんにおいしいグヤーシュ(ハンガリーのスープ)をつくって食べさせてくれました。


駅で出会ったマム。横でぎゅっと抱き締められてるのはわたし。恥ずかしいから削っちゃった。(笑)後ろに見えているのは世界各国のキーホルダー、旅人が置いていったもの。



民間アパートの一室にあるゲストハウス。ハンガリーの普通の生活、日本と同じ。



一泊二人で25ユーロの部屋。悪くないでしょ?


   

な・な・な・なんと!プラハから送った荷物が1つ、もう届きました!!
???前回は、ものすごく時間がかかったのに? 船便の送料しか払ってないのに??
郵便局の人も「2 month」と言っていたのに????
前回がアクシデントなのか、今回がアクシデントなのかよく分かりませんが、
とにもかくにも、嬉しい誤算・・・
一部だけですが、チェコの絵本を予定よりも早く新着UP出来そうです。
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帰ってきてからの数日、ちょっとお返事が遅れ気味で申し訳ありません。
不在中にいろんなものがたまっていて、数日前まで額に100本くらい縦線が入っていたのですが、今は30本くらいに減りました。もうちょっとで10本くらいになって、そのまま落ち着くものと思われます。すみません。

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数日前に店主Bの言葉(2週間ホテルでねてればいい・・というセルフ)を掲載しましたところ、
店主B本人から 「これじゃまるでいい夫婦みたいじゃないか!」とクレームが入りましたので暴露します。
店主A&Bは日々つまらないことでバトルを繰り広げております。(笑) でもこのセリフは本物。
店主Bは時々こういう太っ腹なことを言います。本当のお腹も太いけど・・・あ・・・こんなこと言ったら、またバトルになる。

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今日はちょっと、コラムを中休み。


 

   

旅報告-ブタペストの本屋 編

 道中、人への警戒心が強くなるのは、痛い目にあった経験があるから、もしくは油断すると“痛い目”にあうよと教えられたから。変な言い方になりますが“痛い目にあわせる人”が存在するからです。
犯罪が存在しなければ、セキュリティーも不要なはず。
・・・ブタペストは、セキュリティーの厳しい街でした。(苦笑)

  この街で一番大きいといわれる書店に行ってみましたが、売り場のそこかしこに店員が立っていて目を光らせていました。出入り口にはセキュリティ・ゲートがあるにもかかわらずガードマンもいます。さらに、買い物のためにクレジットカードを出すと、パスポートの提示を求められ、入念にサインをチェックされました。こんなに厳しくチェックされたのは初めてです。あ・・・これって、私たちが“あやしい”ってことでしょうか?(笑)

  ブタペストは“ドナウの薔薇”と称される美しい古都ですが、観光スポットを素通りして本屋ばかりを渡り歩く丸腰のアジア人からは、ちょっと危ない街に映りました。(笑) 極端な言い方をすれば、大都市はどこだって“危ない”のですが、それにもましてこの街から“荒れている”という印象を受けたのは、町中が落書きだらけだったからかもしれません。

  本題・本題・・・本のお話。(笑)

 トラムやバスに乗って町中を移動すると、結構本屋や古本屋が目に止りました。
大きな新本屋さんで見る限り、児童書の量はチェコと同程度。西ヨーロッパ、もしくは近隣諸国からの翻訳本、ディズニーの本が目立ちます。ちなみに日本の絵本は一冊も見かけませんでした。
 ハンガリーのオリジナル絵本は、豊富にあるとはいえませんが、復刻版が多いのか懐かしいタッチのイラストが多く、私の目にはそういう本がことの他魅力的に映りました。特に昔のパペットアニメの写真をつかった童話などが、印象的でしたよ。
一方古本屋さんは、稀覯本と、いわゆるリサイクル本を両方扱っている店も多く、ウィンドウに豪華なアンティーク本が飾られている店でも、比較的入りやすいところが多かったです。

 ざっと見て廻っただけですが、新本屋さんでも古本屋さんでも、アメリカで60〜70年代に出版された、ある種の絵本のテイストに近い本を、何冊か見つけました。もしかすると、“アメリカの・・・”と思っていただけで、このあたりの国の絵本が源流なのかも知れません。(向こうで写真を撮り忘れちゃった。ごめんなさい。)今、そのあたりのことを、もう少し調べてみたくなったりしています。

蚤の市で・・・

 このテディベアの前で、しばし金縛り・・目が合っちゃった。(笑)
わたしになんか言ってないか?このベア・・・
だけど、写真だけとって、バイバイ。

右側が古本屋さん。
町じゅうに落書きが・・・


地下鉄に乗るために階段をおりると、小さな地下街・・・本屋さんもけっこう見かけました。 ちゃんと絵本も売ってました。


週末だったので、蚤の市にも行ってみました。本はほとんどなかったけど、いろんなものがひしめいていて、おもしろかったです。東欧いちの規模だとか。

使い古しの歯ブラシなんかも売っていそう。しかも、買う人がいそう・・ (笑)


   

旅報告-帰国便で思い出していたこと 編

 『例えば、電車に乗るためにJRの駅に行くと、いかにも旅行者らしき外国人が、路線図の前でじっと首をかしげているのを目撃したとする。 西洋の人だけど、どこの国の人かは分からない。何語を話すかも分からない。でも多分、何かが分からなくて困っているんだろうな〜と感じたとする。で・・・私は自分からその外国人に声をかけるだろうか? 今だったら声をかける。だけど、昔の私だったら? 父だったら? 多分声をかけない。かけられない。・・・』
なんてことを、2時間も遅れて離陸した帰国便の中で考えていました。

 国が違えば文化も違う、言葉も習慣も違うのですから、どんなに優れたガイドブックがあったって、現地で迷うのは当たり前。例えばイタリアでチケットを2枚買おうと、 売り場でVサインを出しながら「2枚ください」と頼んだとします。すると相手は「3枚か?」と聞き返してきます。向こうでは“1”を親指一本で示します。2枚だと親指と人さし指で示さなければなりません。Vサインで示すことのできる数字はないみたいなのです。
 こんな小さなことでも、最初は戸惑ってしまいます。今回の旅でも、いろんなところで立ち止まり、首をかしげました。 そして、何回も通りすがりの人に助けられました。

 プラハの駅で、乗る電車が何番線から発車するのか分からずにいた時 、おじさんが声をかけてきてくれて、案内が貼られている掲示板まで連れていってくれました。

 日本とはまったく使い方の異なるロッカーの前で戸惑っていた時、身ぶり手ぶりで、懸命に教えてくれた人もいました。

 ドイツの駅でコーヒーを飲んだ時、こっちの席があいてるよと教えてくれたおじさんは、立ち去る時にもバイバイと声をかけてくれました。

 イタリアで地図を見ながら立ち尽くしていたら、通りすがりのお兄さんが声をかけてきてくれて、丁寧に道を教えてくれました。

 まだまだ、あんな人もいた、こんな人もいたと・・思い出すことができます。いずれも、気がついたら側にいて、無条件に善意を示し、すぐに立ち去ってしまった人たちです。もちろん、今回の旅だけで経験したことではありません。さらにいえば、私たちだけが経験したことでもありません。それは、様々な人が記した旅行記などを読んでも明らかです。

これはいったいどういうこと?

  一つの国だけで遭遇したことではないので、“国民性”で説明がつくことではありません。ましてや、SARSの感染症騒ぎは、向こうでも大きなニュースになっていましたので、アジア人である私たちが警戒されても仕方のない状況だと覚悟していたにもかかわらず・・・

 もちろん今回の旅が、いいことだけだった訳では決してありません。 ちょっと語弊があるかも知れませんが、旅に危険はつきもの。多かれ少なかれ不快なことにも遭遇します・・でもそれは、日本にいても同じこと。 私は“嫌な思い”に慣れることなんて出来ませんが、“あって当然”とは思っています。
 今回も、ジプシーの子供たちに狙われたり、不機嫌そうな駅員につつかれたり・・・(笑)命の危険を感じるようなことはありませんでしたが、どんな小さなことでも、不快は不快。でも最近では、それも当たり前なのだと感じるようになり、いやだけど・・・まあ、こんなもんだ、と思って、ため息一つで終わりです。

 だからこそ、 どんなに小さくても、見知らぬ人の無条件の善意に遭遇すると、ものすごく感激するのです。小さな不快は茶飯事ですが、小さな善意は特筆に値します。(笑)そんな小さな善意が、丸腰の異邦人である私たちに、どれほどの“元気”を与えたか、なんて、彼らは考えてもいないことでしょう。それどころか、覚えてもいないかも知れない。ましてや!こんなところに“特筆”されてるなんて、夢にも思わないはずです。(笑)

 彼らに再会することはまずないでしょう。だけど、『そんな人がどこかに住んでいる』と思うだけで、その国が好きになれる単純な私です。



ブダペスト西駅、国際線切符売リ場がなかなか見つからなかった。ここからブラチスラバに向かいました。



ミラノの中央駅。広すぎて何を捜すのも大変。



トラムやバスは、外を見ながら移動できるのでいいのですが、どこで降りればいいのかがわかりずらい・・・



バス内部、犬や自転車もOK。だけど、スリなども多い。


ミラノの中央駅、国会議事堂みたい・・・


はやいもので、帰国してからもう1週間。
今回はいろんな街を渡り歩いたので、
コラムを短くまとめることができません。
時差ボケも解消してきたことですし、せっかく荷物が一つ届いたので
少しずつ新着UPを始めようかと、日中本の写真撮りをしました。
金曜日の午前中から再開しようと思います。
しばらくは旅報告と新着UPを、交互に進めますね。

このあと、コラムでご報告しようと思っているのは
ブラチスラバ、ウィーン、 ベルリン、イタリア各地・・についてです。
よくもまあ、こんなに動けたものだ ・・・と、
今になってから思います。
長らく冬眠していたので、力がたまっていたのかも知れません。(笑)

とにかく、今回の旅で“筋力”の衰えをしみじみ実感しました。
それに、“金力”も足りない。(笑)
何かトレーニングでも始めようかしら・・・
同時に“金力”もつくトレーニングはないものかしらねえ。

↑やっぱりまだ、時差ボケまっただ中かも・・・

   
 

旅報告 - 国境を感じた日 編


チェコの面積は北海道と同じくらい。首都プラハから隣国の主要都市(ウィーン、ブラチスラバ、ベルリン)へは、列車で約5時間の距離です。多くの国が互いに国境を 接し合うヨーロッパでは、短期間のうちに多国を巡る旅も不可能ではありません。移動の多い旅は荷物を開けたり詰めたりで、ほんとにせわしないものですが、その分出会えるものの密度は濃くなります。

今回、いろんな国のいろんな本屋に入り、地続きの国々でありながら、その狭間にははっきりとした国境が横たわっていることを、リアルに体感しました。もしも、観光ポイントだけを見て廻っていたなら、これほどはっきりと“国の違い”を感じとることはできなかったと思います。観光ポイントのほとんどは、ある意味“過去”の産物。一方、市民が日々出入りする商店には、常に“現在”という時が流れていて、その国の、その街の“普段”を垣間見ることができます。

例えば、チェコとドイツは国境を接する隣同士の国ですが、店で売られているものも、国の空気感もまったく違いました。ドイツには先進国の明るさ、華やかさがあり、チェコにはまだ、首都プラハにさえ古のしっとりとした空気、あるいは、革命前のかすかな重さ、が残っている感じです。
チェコとスロバキアはつい最近まで一つの国だったので、国の体制も似ているだろうと予想していましたが、その予想は見事に外れました。プラハの郵便局では簡単にできることが、ブラチスラバではそのサービス自体がなかったりします。

一番驚いたのは、ブラチスラバからウィーンに列車で移動した時のことでした。どちらの街も国の首都ですが、列車で1時間ちょっとの距離。
ブラチスラバの『これが首都の中央駅?』 と思えるようなセントラルステーションから、“国際列車”に乗ってウィーンへ。小さなブラチスラバの街はすぐに見えなくなり、途中小さな街をまたぎながら、麦畑の中を走り続けます。列車の音に驚いて走り出す野うさぎやキジを目で追いながら、小さな国なのにこんなに広大な平地があること自体に驚いていると、いつの間に国境を超えたのか、突然パスポートコントロールがやってきます。
ということはつまり、そこからはもうオーストリアということなのです。 しばらく同じような平地が続きますが、建物が見えてくると、隣国スロバキアとの違いは歴然としています。オーストリアの民家は古くてもよく手入れされ、花が植えられ、短絡的にいってしまえば“きれい”です。これはドイツにもいえることですが、全体的に明るい雰囲気。ガーデニングに手を尽くしているお家もあって、風景がなんとなくメルヘンチックです。ウィーンの街に降り立てば、もうそこは“別世界”という印象。たった1時間足らずしか離れていないのに、この二つの街は、言葉も、文化も、空気感も・・・何もかもが違う別々の国の首都なのです。

ドイツ、チェコ、ハンガリーの本屋さんはこれまでにご報告した通り。
スロバキアとオーストリアの本屋さんについても、簡単にご報告させていただきますね。

スロバキアの首都ブラスチラバは、国際絵本原画展が開かれる場所とあって、どんな絵本があるだろうかと大きな期待を抱いて訪れました。
街自体はこじんまりとしていて、それほど賑やかではありません。この街には地下鉄がない・・・それで街の規模がだいたい把握できます。新本屋は結構目につきましたが、古本屋はついに一軒しか見つけられませんでした。
スロバキアの作家といえば、私がすぐに思い浮かべるのはDUSAN KALLAY。本屋でまずチェックしたのも、この方の絵本です。しかし!なんと国際的に有名なDUSAN KALLAYの本を、お家元であるブラチスラバで一冊も見つけることが出来ませんでした。児童書売り場の店員に確認してもらいましたが、その店員はDUSAN KALLAYの名前すら知らないようでした。数軒の本屋を廻りましたが、結果は同じ。すっかり気落ちして、結局ブラチスラバでは本を買いませんでした。

そこから1時間の距離にあるウィーンでは、公用語がドイツ語であるためか、ドイツの本屋さんで見かけた本とほとんど同じタイトルが並んでしました。本屋さんの雰囲気や規模、本の量もドイツと同じです。いわゆる専門書店の数も多く、児童書専門の本屋さんも数軒見かけました。
ウィーンの中心部にはアンティーク屋さんがたくさんありますが、どうやら古本屋さんもアンティーク屋さんのカテゴリーに属するらしく、どの店でも主に100年以上経った本を扱っています。どこにいっても30〜50年前の本は「too new(新し過ぎる)」といわれてしまいました。これはベルリンでも同じ状況でしたが、ヨーロッパの歴史ある街では、100年前の本を捜す方が容易なのかも知れません。(苦笑)

ウィーンを訪れたのはボローニャ行きの飛行機に乗るため。よく晴れた日で、街ゆく若者が、あちらこちらで合唱をしていました。物価は高いけど、豊める国だけが持つ独特の安定感が、この街にはあります。ほんの半日でしたが 得るものの多い体験ができました。本はほとんど買えなかったけどね。(笑)



ブラチスラバの中央駅から近い安宿・・・という条件で捜したら、こんなホテルが見つかりました。・・・びっくり。ここで初めて、インターネットにつなげることが出来ました。

ブラチスラバの本屋さん

ウィーンの大道芸。路上にチョークで絵を描きます。ヨーロッパではよく見かける芸。

ウィーンの本屋

店先にバーゲン本が並んでいる。30〜50%引き

 
   

旅報告 -ボローニャ・ブック・フェア 編

何故、
エアチケットを買い足してまでわざわざ東欧からイタリアに渡ったかと言えば、例年春にボローニャで開催される世界最大の児童書見本市を見るためでした。
このブックフェアは、版権取引きを目的とするビジネスショーですから、基本的に本の売買は行われません。しかし、世界中の児童書が一堂に集まるこのフェアを 、一度は見てみたいとずーっと思っていたのでした。

今年の出展社数は55ヶ国、約1400社、 もちろん日本の出版社も多数参加しています。会場はおおまかに「イタリア」「アメリカ/イギリス(英語圏)」「ヨーロッパ/アフリカ/アジア」と分かれており、それぞれが相当な広さ
。各国の出版社が自社の新刊書を展示する他、原画展や講演会、ワークショップ、コンペなど、様々なイベントが同時開催され、世界中からの来場者で賑わっていました。

今回は、イラク戦争を理由にいくつかの出版社が急きょ出展を見合わせたり、また、アメリカの会場をガードマンが頻繁に巡回したリと、例年にない動きがあったようですが、どの会場も盛況で、世界情勢による悪影響が大きく出ているようには見えませんでした。

とにかく!集まってきている本の多さにびっくり!
それでも、展示されている本はほとんど新刊のみですから、既刊本まで含めれば、それぞれの国にさらに多くのタイトルが存在するわけです。
どちらにしても、 会期中にじっくり全タイトルを見て廻るなんてとても無理なので、私たちは普段あまり見ることのできない国の絵本に、的を絞ることにしました。

プレゼンテーションの仕方にもお国柄が出ていて、派手だったり、地味だったり・・・当然、展示されている本自体にも文化の違いがはっきりと表われています。
例えば・・・
フランスの絵本はイラストやレイアウトが洗練されているものが多く、児童書というよりも、“アート本”というイメージ。印刷や装丁にもさまざまな趣向がこらされていて、いいものを作るためなら金額が高くなるのは当たり前・・・と言う感じ。
アメリカの本は多種多様で会場全体が派手なイメージ。やはりディズニーのブースが一番目立っていました。
チェコのブースは地味ですが、版権の引き合いが多いのか、常に担当者が打ち合わせ中。
今回意外に感じたのは韓国のブースで、質の高い児童書に感心することしきり。よく考えてみると、お隣りの国なのにあまり韓国の出版物を目にする機会はありませんよね。

・・・これだけたくさんの本を一度に見てしまうと、自分の中にあるさまざまな“基準”が一新してしまいます。どのような作品が国境や時代を超えて読み継がれていくのか、肌で感じることが出来ました。

このフェアには、世界中の“作家の卵”、特にイラストレーターになりたい人たちが自らの作品を持参して集まってきています。もちろん自分の作品を売り込むためで、有名な編集者の前には順番待ちの列が出来ていました。
会場入り口近くに自由に貼り込みができる大きな壁が設けられて
いて、たくさんの作品がところ狭しと掲げられていたのですが。どの作品も皆クオリティーが高く、充分に見ごたえがあります。つまり、皆一様に“うまい”のです。
そんな“うまいイラスト”の洪水の中にあっても、決して埋もれない作品が存在します。そういう作品の前では、自然と足が止まってしまいます。
“うまい”とか“へた”とかいう感想はまったく浮かんできません。“好き”とか“嫌い”とかいう感覚も薄れていくように思います。

1日ではとてもまわりきれないほど大きな会場。

ヨセフ・ウィルコンさんの講演。

ブルーノ・ムナーリの版権ブース。ムナーリの本ってこんなにあるんだね。



イラストレーターが 自分の作品をアピールするために設けられた壁。

   

旅報告 - イタリア編

ボローニャの児童書ブックフェアで同時開催される児童図書展は、新人作家の登竜門として世界的に有名で、今年も2000人近くの応募があったそうです。そんな厳しいコンペにもかかわらず、日本からは毎年たくさんの入選者が出るらしく、かなり優秀。絵本作家を目指している方、是非トライしてみてください。また、現在勉強中の方も、このフェアに行けば、目からウロコが落ちること間違えなしですよ!

この展示会は、ボローニャでの展示を終えた後、毎年日本にやってきます。
詳細は板橋美術館のホームページで。

http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/bologna/index.html

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さて私たちは、イタリアでもいろんな人にめぐり会いました。 ボローニャに住んで9年になるという日本人女性Yさんもその一人。この人に出会えたことで、私たちはより深く、イタリアの絵本や児童教育について知ることが出来ました 。

Yさんは、ブックフェアにブースを出している、あるイタリア人女性を紹介してくれました。
その人は、多分40代くらい、2児の母。ボローニャで最大規模の児童書専門店を経営しながら、絵本の出版やワークショップの企画等も手掛けているそうです。後に彼女のお店を訪れましたが、かなりの規模でした。いったいどこにそんなパワーが潜んでいるのかしらと思えるほど小柄な人で、それでも、イタリアの教育事情について話してくれている時の彼女の目は、とても知的で、そして情熱的でした。

彼女は自らが企画制作したという絵本を1册プレゼントしてくれました。タイトルは「Storie di bambini」、命がお母さんの体内に宿り、誕生するまでのストーリーです。性教育的な要素もあって、ページを開いて少し驚きましたが、イタリアではこのような本を8才の子供でも見るそうです。
彼女の児童教育に関する話を聞けば、イタリア語が読めなくても、この本が単なる性教育の本でないことは明らか。 この本の最後のページには、お母さんが生まれたばかりのお赤ちゃんを抱くシーンが描かれていて、それはそれは愛おしそうに新しい命を見つめています。つまりこの絵本は、子供たちに“自分がいかに大切な存在であるか”というメッセージを伝えるための絵本なのです。
彼女が子供たちに、根源的な何かを伝えようとしていることが分かります。その思いが、彼女を突き動かし、その人生の中に、児童書店の経営や絵本の出版・・・を、具現化させているのだということが、強く伝わってきました。この大きなフェア会場の中で、彼女のムーブメントは非常に小さく、目立たないものかもしれません。しかしわたしが彼女の生き方から学んだものの大きさは、言葉では到底表現できません。

彼女とYさんから教えてもらった、イタリアの教育事情について少しだけご報告しますね・・・・

 イタリアは“デザイン大国”です。デザインが自国を支えているということを深く認識しています。ですから、独創性や創造力を養う教育が、非常に重視されていて、 子供たちは、小さい頃から“自分の思っていることをはっきりと伝える”ための表現方法を学ぶのだそうです。ただ、Yさんによれば、自分を主張することばかりを学び、他人を思いやることについてはあまり重視されないとのこと。どこの国でも、なかなかバランスよくはいかないものですね〜(笑)ちなみにYさんは、子供ができたら小学校まではイタリアで育て、それ以降は違う国で学ばせたいといっていました。

そんなデザイン大国で、今日本文化がブームになっているそうです。私たちが滞在したB&Bのオーナーは、日本の古い茶筒にコーヒー豆を入れていましたし、日本の文化がいかに魅力的かを熱弁していました。また、日本のアニメやコミックに人気があるのは、イタリアも例外ではないようです。
日本はイタリアに憧れ、イタリアは日本に憧れ・・・結局無い物ねだりなんでしょうかね〜。

表から見えるショーウィンドウに絵本をディスプレイしている書店が多いです。
これはミラノのお店。そういえば、今回訪れた国はいずれもそうでした。



こんなディスプレーを見ると、ついつい入店したくなります。(笑)

 


ボローニャで一番大きな児童書店

平台にはやっぱりムナーリ

お店の奥にビンテージ絵本が展示されていました

図書館で開かれていたワークショップ。テーマは"FOOD" イタリアでは、このようなワークショップが、頻繁に開催されるそうです。

旅報告 - 何も知らない? 編

前回の旅でもそうだったのですが、わたしには、渡欧したら是非本国で原書を捜してみたいと思っていた絵本が何冊かありました。そのタイトルがなくても、同じイラストレーターが描いた、別の本が当然あるだろうと思っていました。例えば、昔、学研や偕成社からシリーズで出版された世界のどうわ、既に日本ではほとんどが絶版になっているパレチェクやクドゥラーチェク、カーライ・・の本等々。
ところが、実際にその国に行ってみると、原書どころか、他のタイトルさえも、なかなか見つけることができませんでした。特に新本屋に並んでいるのは、現在日本でも出版されているタイトルか、見たこともない作品ばかりです。昔出版されたタイトルが再版されていたり、ミレルのクルテク・シリーズのようにロングセラーになっているものを除いて、お目当ての本を捜すのは非常に困難であることを知りました。

私たちは、日本で翻訳出版されたものからしか、他の国の出版物を知ることができません。英語圏の本は比較的入手しやすくなりましたが、それ以外の言語の本を原書で目にする機会は、決して多いとは言えません。
ひと昔前に翻訳出版された絵本に思いを寄せて、そのイメージを追って旅立つと、現地でちょっとしたカルチャーショックを受けることになるようです。どの国でも次々に新しい作家が生まれていて、世代交代が進んでいます。私たちが何年も前の翻訳絵本を見て『これぞ**の国の絵本!』と思っているものは、本国でも既に、一世代前のタイトルになっているようでした。

「私は何も知らないんだな」と実感しました。去年の夏、プラハは大洪水に襲われました。テレビや新聞、インターネットでもニュースを見ていましたが、現地を訪れてその傷跡のひどさに驚きました。ベルリンの壁の跡も予想以上に大きかった。・・・テレビや新聞、ネットや雑誌で報じられていることは、そのことのほんの一部に過ぎないと言うこと。しかも、ほんの一つの見方にすぎないと言うこと。
報道の自由が約束されている日本でさえ、メディアからすべてを知り得ることはできないのだということを肌で感じました。
今回、いくつかの国を廻りました。その中にはかつて訪れたことのある国もあります。
・・・で、何を知ったか。・・・やっぱり何も知らないんだということを知りました。

今回の旅では、現地の人と話す機会が多かったので、ちょっとだけその国の実情を教えてもらうことができました。そしてさらに、自分が何も知らないこと、長期間住んでみない限り、 知り得ないのだということを知ったのです。

今回は、旅立つ数日前に世界情勢が不安定になりました。
“他を
知らない”のは当然のこと。知っていると思い込むことが問題なのだと思います。


   

はやいもので、帰国してから1ヶ月が経ちました。
帰ってきてからの1ヶ月間は、ただただバタバタしていただけで、何をしてたか はっきり思い出すことができません。 けれど、どういう訳か、旅をしていた期間のことは、どんなに細かなことでもはっきりと思い出すことができます。不思議ですね。 時間の濃度が違う・・とういう感じです。


旅報告 - なんだかんだで無事帰国 編

ボローニャ・ブックフェアの会期は4日間ですが、私たちは最終日を見ることなく、パルマへと移動しました。というのもこの時期、 ボローニャ市内のホテルはどこも満室、しかも料金が通常の1.5〜2倍に跳ね上がり、風まかせの旅人が悠長にしていられる状況ではなかったからです。パルマは、ボローニャからミラノに向かう途中にある町。ふらりと途中下車して、駅前ホテルに飛び込みでチェックインしました。

パルマは、良質な生ハムやチーズを生み出す美食の町。プロシュートハムやパルメザンチーズは、世界的に名の知れた食材ですよね。たった一泊ですがこの町に滞在しようと決めたのは、自称FOOD研究家の店主Bのため。
今回の旅で店主Bは、本当にたくさんの本を運んでくれました。本はとにかく重い! 2.3册ですぐに1kgを越えてしまいます。10kgなんてあっという間。私一人では到底、本の買付けなんて実現できなかったと思います。それどころか重量オーバーで飛行機にも乗せてもらえなかったかも。(笑)パルマでの1日は、店主BへのありがとうDAY、“本”のことは忘れて、ひたすらハムとチーズを見て歩きました。(笑)「味見、味見」と言いながら少しずついろんなハムやチーズを食べ比べ、多少塩分過多になりながら、翌日ミラノからの帰国便に乗り込んだのでした。(笑)

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今回は出発直前に戦争が始まり、世界情勢が不安定な中での旅になりましたが、お陰さまで何ごともなく帰ってくることができました。けれども、旅している間はずーっと不安でしたし、戦争のことやSARSのことが頭から離れませんでした。
日本にいる時には、スポーツの世界戦でもない限り自分のことを“日本人”だとか“アジア人”だと意識することはあまりありません。ところが、他国を訪れる時には、いやおうなく自分の国籍や人種を意識することになります。国境を越える時には必ずパスポートを示す必要があり、町を歩けば国籍を問われることも少なくありません。世界情勢が不安定な時には、自国の首相の発言によってさえも、旅程を左右されることがあります。“アメリカを支持するかしないか”そんな首相の一言で、イスラム圏への旅を再検討しなければならなかったりするのです。

これまで日本人は比較的“無害な人種”と見られており、ほとんどどんな国でも自由に旅することができました。学生でもがんばってアルバイトをすれば、海外を旅することができる・・・という意味でも、大きな“自由”を許された国だと思います。実際、ヨーロッパを旅する若いバックパッカーは、豊かな国の人たちばかりです。アジアでいえば日本人か韓国人、香港の人。旅行中にタイやベトナムの若者に出会ったためしがありません。例え貧乏旅行でも、若い人が海外旅行を許された国はそれほど多くないのです。
経済的な理由だけではなく、国籍が自由を阻むこともあります。アメリカは自由の国といいますが、今となっては、彼らがイスラム圏を旅するのは難しい状況です。“自由”とはいったいなんなのでしょう・・・私は日本を出る度に、自分がいかに恵まれているかを実感します。そして自らの“平和ボケ”を少なからず反省します。平和や自由が“当たり前”ではないことを再認識するのです。

現在、 SARSの問題で世界各国で“アジア人”に対する警戒感が強まっているそうですね。私たちも残念ながらその対象になっています。 これはある意味自然発生的なこと
なので仕方ない問題なのかもしれませんが、人が自らの意志で他を傷つけることによって、世界から自由が失われていくようなことは、これ以上起こらないように、祈るばかりです。

今回はこの旅報告を楽し気な文章で終わらせることは、どうしてもできませんでした。
月並みな言葉になりますが、世界の“平和”を心から祈りたいと思います。

複数の国を旅して気付いたこと・・・どこの国も落書きが増えています。特に都市部がひどい。落書きの多い場所には退廃のイメージがつきまといます。この現象が国境を越えて広がっている・・・帰国して、「日本はなんてきれいなのだろう」と思いました。

イタリアでは窓に虹色のフラッグを掲げている民家がたくさんありました。このフラッグにはPEACEと記されています。
静かなる反戦運動・・・こんな意志の表わし方もあるのですね。

どこの国でも子供たちは、くったくなく笑みを投げかけてくれる ・・ありがとうね    

*これで今回の旅報告はおしまい。めでたしめでたし。

パルマには、ハム&チーズの専門店がたくさんありました。

ボローニャ駅構内の本屋さん。ちゃんと絵本も置いてありました。

吉本ばななの本。ヨーロッパで一番見かけた日本の本は、“吉本ばなな”と“村上春樹”。二人の本はかなりの人気だそうです。

ミラノで・・・人の名前を絵文字にして、3ユーロ。あっという間に描き上げてしまいます。たくさんの人だかりができていました。特にフランスやイタリアでアジアの文化が注目されています。

 

 


  Imagine>> Imagine there's no heaven it's easy if you try no hell below us above up only sky imagine all the people living for today... Imagine there's no countries it isn't hard to do nothing to kill or die for no religion too imagine life in peace... Imagine no possesions I wonder if you can no need for greed or hunger a brotherhood of man Imagine all the people sharing all the world... you may say I'm a dreamer but I'm not the only one I hope someday you'll join us and the world will be as one