C O L U M N
“たわごと”コラム


プロローグ
2002〜2003
2004〜2005
NO.1〜NO.20
NO.21〜 NO.40
NO.41〜 NO.60
NO.61〜NO.86
NO.87〜NO.111
NO.112〜NO.139
NO.140〜



絵本についてのつれづれ
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洋古書探訪
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旅先で出会った絵本たち展
展示会報告
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絵本を巡る旅 - リポート
プラハ・ミュンヘン・パリ
東欧・ボローニャ
リトアニア
イスタンブール
ベルギー
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ただいま帰りました。
長いお休みをとらせていただき、ありがとうございました。

いつもながら、まずは旅のご報告等しながら、少しずつ新着UPを再開してゆこうと思います。
今回のお休みはプライベートな時間が短くて、駆け足の旅になってしまいましたが、
それなりにいろいろな出会いがありました。

本が3、ビールが2、放浪と冒険?が4、あとの1は、不覚にも風邪を引いてダウン・・という顛末。(苦笑)
ちなみに、行き先はベルギーでした。

本もいくらか買い付けて、現地から送りましたので、二ヶ月後くらいには届くでしょう。
(届くかな? ・・・ちょっと不安)
今日中に写真を整理して、明日からこのコラム欄でご報告させていただきますね。
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いい季節になりましたね。 帰ってきたら、空気の薫りが変わっていました。


羊のいる古本屋・・・に行ってきました。


Jeu de Balle広場とメイジコウエン

今回の旅の一番の目的は、Reduというベルギーの村を訪ねることでした。
前々から行ってみたいと思っていたのですが、交通の便が悪く、ついでに立ち寄れるようなところではないために、これまでなかなか機を得られずにいたのです。

目的地に定めたものの、日本のガイドブック等には載っていないようですし、インターネットで調べてもあまり詳しい情報が得られなかったので、出発前は“行ってみなければ、辿り着けるかどうか分からない ”という状況でした。

そんなわけで、とにかく首都のBruxellesに行けば何とかなるだろうと、いつもにもましてケセラセラな旅の始まりとなりました。。。

1週間を切っていたにもかかわらず、すんなりと取れたエア・チケットで同日の深夜に入国、そのまま予約しておいたホテルにチェックイン。渡欧する度に感じることですが、なんだかワープをしているみたいで、どうも“遠い国に来た”という実感が湧きません。

とにもかくにも、せっかくBruxellesに降り立ったのですから、初日は久しぶりにこの街を散策してみることにしました。

時差ボケのせいで早朝に目が覚め、その時間を有効活用するためにまずは蚤の市へ。どこでも週末に開かれることが多い蚤の市ですが、BruxellesのJeu de Balle広場では毎日市が立つのだそうです。売られていたのはほとんどガラクタでしたが、根気よく探せば掘り出し物もあるかも・・・少しですが、古本も売られていましたよ・・この広場でも、バナナ箱が大活躍していました。(笑)

ふらふら歩いていたら、ガラクタのようなオタカラ?を売っていたおじさんに声をかけられました。

「どこからきたの?」

「ニホンです」

「ニホンのどこ?」

「トウキョウ」(他の地名を言っても会話にならないことが多いので、こういう時はトウキョウと答えることにしている・・)

「じゃあ、メイジコウエンの蚤の市知ってる?」

突然そんなローカルな話題を振られてビックリ。

「あそこでは、とにかくよく売れたよ〜〜〜!」
おじさんは日本に滞在したことがあって、メイジコウエンの蚤の市に参加したことがあるのだと、たどたどしい英語に時々不思議な日本語を交えて話してくれました。

「私もメイジコウエンの蚤の市で、引越し前に時計の中身なんか売りましたよ。しかも売れましたよ!  しかもしかも、その時計の中身は、何を隠そうベルギーの蚤の市で買ったものなんですよ〜」
な〜んて答えていたら、初日はおじさんとのおしゃべりで終わってしまいそうだったので、「へ〜〜〜!!!」などとシンプルに答えて、そそくさとその場を離れたのでした。


Jeu de Balle広場で毎日開かれている蚤の市。

ここでもバナナ箱が大活躍 !

 

ベルギーの本屋さん

蚤の市をうろついた後、歩いて旧市街の中心、グラン・プラスに向かいました。グラン・プラスはブリュッセル観光の起点ともいえる場所で、ツーリスト・インフォメーションもここにあります。旅の目的地・Reduについての情報を得るために、どうしても行っておかなければなりません。

グラン・プラスは、Jeu de Balle広場から少し離れていて、メトロに乗った方が楽なのですが、歩くと思わぬ発見があったりするので、旅先ではいつも、なるべく足を使うようにしています。

今回も、“歩いた”お陰でいくつかの魅力的な本屋を見つけることができました。中でも印象的だったのが、グラン・プラスに程近い“古本Galerie”(一番上の写真)。

ベルギーのGalerieは、いくつかの店が集まった商店街で、建物の中だったり、屋根付きだったり、日本でいうところのショッピング・アーケードです。以前、イスタンブールの旅報告でお伝えしたパサージュ=PASAJと同様のスタイル。

今回発見した古本Galerieには、7〜8軒ほどの店が軒を列ねていました。通路の天蓋ガラスから柔らかい光が差し込み、内部は本に優しい明るさです。雨や風、外部の寒気や喧噪から守られた空間は、本を売るにも探すにも理想的な環境で、本好きならば誰でも、長い時間を費やしてしまうことでしょう。他にも、街には大小様々な本屋がありましたが、ブリュッセルで一番居心地のいいところでした。

新本屋で最も規模が大きいのは、フランス系の書店チェーンFnac。児童書コーナーを見る限り、扱っている本はフランスとほぼ同じ。ベルギーは地域によって、フランス語、オランダ語、ドイツ語が使われているそうですが、今回見た新本のほとんどがフランス語でした。

他、ちょっと敷居の高いアンティーク本屋さんや、コミック専門店、児童書の専門店など、各々に特徴のある本屋さんが、魅力的なディスプレーを披露しています。ヨーロッパのお店は、とにかくディスプレーが凝っていて“歩く”ことが苦になりません。ウィンドウを見ている内に、いつの間にか目的地に着いているという感じです。

同居するコミックと絵本

フランスやベルギーではコミックの体裁がA4判くらいのハードカバーに統一されていて、“コミック=ペーパーバック”の国生まれの私には、最初それらが全て絵本に見えてしまいました。薄型のカラフルなハードカバーがたくさん並んでいるのを見て「絵本がたくさんある〜〜」と近寄っていってみると、ぜ〜んぶコミックだった、という具合です。

児童書専門の古本屋が一軒だけありましたが、店に入ってすぐの場所にコミック、奥に児童書が置かれていて、割合的には3:1。どこに行っても、どちらかというとコミックが優勢です。
両方が同じコーナーで売られていることも多く、ベルギーでは絵本とコミックの境界線が、日本よりも曖昧なのかもしれません。


ブリュッセルの古本Galerie


ディスプレーが魅力的な新本屋


美術品のように扱われている本たち


コミック専門店

手前にこちゃこちゃ並んでいるのはフィギュア、カリメロがあって驚きました。日本のマンガはベルギーでもかなりの人気のようです。
(カリメロ知ってるよね??)

 

 

 

本の力

グラン・プラスのツーリスト・インフォメーションでReduへの行き方を尋ねましたが、得られたのは道路マップとベルギー全土のホテル・リストのみ。要は、“Reduへは車で行け”ということらしいのですが、レンタカーを借りたくても国際免許を持参していません。

とりあえず、地図上で最も近い鉄道駅まで行ってみて、他に方法がなければタクシーを使うことに決め、翌日早起きをして、ルクセンブルク行きの列車に乗り込みました。

Reduは、何軒かの古本屋さんが集まりVillage du Livre(本の村)と呼ばれるようになった小さな集落で、ベルギーの北東部、Luxembourg州に位置します。
日本にも、例えば神田のような“本の街”が存在しますが、一番の違いはなんと言ってもその所在地。人が密集するところや学校が多いところに本屋が建つ、という世界共通の常識を覆して、Reduはとても辺鄙な場所にあるのです。

朝7時にはブリュッセルのホテルを出たのに、どうにかこうにかReduに辿り着いた時には、すでにお昼を回っていました。まさに“はるばるやって来た”という感じです。辿り着くことさえできれば、歩いて見て回れるほどの本当に小さな村なので、道に迷うことはありません。それでも、目抜き通り沿いには、地図やショップ・リストをくれるツーリスト・インフォメーションがありました。

小さな教会を中心に、緩やかにカーブする坂道が枝を延ばしていて、その脇に、ベルギー独特のレンガ造りの家屋がポコポコと並んでいます。

もともとは、何の変哲もない寒村だったこの場所に、1980年代からいくつかの古本屋が普通の家を改築して移り住み、現在のような“本の村”に生まれ変わったのだそうです。もちろん、本には無関係の民家もありますが、約20軒もの古本屋が、歩いて回れる範囲に軒を列ねています。

小雨がぱらついていて人通りもまばらでしたが、お店の中に入ってみると、どこも予想以上にたくさんのお客さんでにぎわっていました。村の規模に不釣り合いなほどのレストランがあり、しかも各々の店が相当な数の客席を用意しています。
つまり、こんな小さな村に、たくさんの人が訪れるということ。インフォメーションでもらったリーフレットには、毎年世界中から20万人以上の人が訪れる、とありました。

本屋の“端の端の端くれ”である私にとってみると、この場所は一つの理想郷です。
こんな小さな村に、しかもこんなに不便な場所に、世界中からわざわざ人がやって来る。(私もその中の一人)それを実現させているものは、まぎれもなく“本の力”です。

情報だけならば、インターネットで簡単に得られる時代になりました。それなのに、わざわざ飛行機に乗り、道を尋ね尋ねやってきて本を手にしたいと思う私のような人間が、他にもたくさんいるのです。

本というものが出現した時代から今に至るまで、人は、性別や国籍に関わらずその“本たち”に魅了されてきました。テレビが発明された時、本が消えるといわれたこともあったそうですが、結局そうはなりませんでした。確かに出版不況だとか活字離れだとか、どこの国でも本に関係する業界は苦境に立たされています。けれども、どんなにデジタル技術が進歩しても、どんなに世界が多様化しても、本そのものがなくなってしまうことは決してないだろうと私は確信しています。

Reduを訪れて、そんな“本の力”を再認識することができました。こんな場所で“本の力”を再認識している私自身を突き動かしているものも、実は“本の力”なのだと。

Reduの公式ページ
http://www.redu.info/

つづく

 


Rudeのセンター


どのお店も、入る前から魅力的


ここだけでも3軒の古本屋


窓の向こうに続くガーデン

 

 

本は必需品?

Reduに集まってきた古本屋の店主は、もともと本のコレクターだったり、愛書家だったり、“本を売る”ことよりも“本と共に生きる”ことを目的にした人がほとんどだそうで、その趣向を反映した店はどこも個性的です。

本の品揃えはもちろんのこと、店構えも、店内の雰囲気も各々全く違うので、店ごとに違った“世界”を体験することができます。

例えば、図書館のように本が整然と並んでいる店もあれば、『ここは倉庫?』と思ってしまうほど無造作な店もあります。

クラッシックがかかっている店、ジャズがかかっている店、暗い店、明るい店、児童書専門店もあれば、哲学書専門店もありました。

ある店では、ドアを開けた途端に、とても暖かな香りがしました。
店内の一角に大きな暖炉があって、パチパチと大きな薪が燃えています。そのすぐ横にカウンターが作られていて、店主が座り心地の良さそうな椅子に腰掛けて本を読んでいます。

「Bonjour」

来客の度に、店主の静かな声が聞こえますが、それ以外は、パチパチと薪が燃える音だけが店内に響いています。ただ本を見ているだけで、身体の芯から暖まる居心地のいい本屋さんでした。

またある店では、何匹もの猫が売り物の本の上で昼寝をしていました。お客さんは皆ニコニコとその猫たちを眺めていますが、誰も追い払おうとはしません。店主も何も言いません。
猫の下に積み重なっていた本の中に、ちょっと興味のあるものがあったのですが、猫の平和な寝顔を見て悟りました。“その本には、もともと縁がなかったのだ”と。


このReduという村では、本そのものよりも、“本と共に生きる”人たちのライフスタイルにとても惹かれました。この村には、マーケットもないし、銀行もないし、学校もありません。住人は皆、必要最低限の暮しをしているように見えます。常識的に考えると、そういう場所には大抵本屋もありません。(私が住んでいる所にもありません・・・笑)

けれども、Reduで本に携わり暮らす人々は、人が生きていく上で最低限必要とされる衣・食・住に“書”を加わえています。
「衣・食・住は命を保つために絶対必要なものですが、本がなかったからといって、生きていけないわけじゃない・・・」と、私は言い切ることができません。音楽も絵も、そういうものは皆、嗜好品や娯楽品などではなく、生きる上での必需品なのだと思っています。人間は、心が死ぬと身体も死んでしまう不思議な動物なのですから。

児童書&コミック専門店もありました。
手前側はほとんどコミック

一般書の棚の下段に、何気なく絵本が置かれていました。親が本を見ている間に、子供が手にするかもしれません。店主の気遣いを感じるいい店でした。

村のはずれのレストラン。
センターから徒歩2分。


“影”の少ない国

一日3本しかないという駅行きバスの最終便が、5時過ぎに来るというので、後ろ髪を引かれながらも停留所に向かいました。

やってきたバスは空っぽ、古本屋にいた他のお客さんたちは皆車で来ているらしく、乗り込んだのは私だけ。結局、終点まで“貸し切り”状態でした。

バスは途中あちこちの村に立ち寄るので、駅まで1時間近くもかかります。ブッリュセルの観光案内所が、車で行けと勧めた訳が分かりました。確かに、レンタカーで訪れた方がいろいろな意味で便利ですが、路線バスでの旅もオツなもの。“不便さ”や“ゆっくり”から得られるものもたくさんあります。

途中で運転手が突然バスを止め、「ちょっと待っててね」なんて言い残して、小さな店に入っていってしまったのですが、その店というのがまた可愛くて、私も思わずバスを降り、店構えをパチリ。運転手はほどなくおいしそうなパンを抱えて戻ってきました。
車窓の向こうには、どこまでものどかな風景が続いています。家々はどこもよく手入れされ、エントランスの周りに花が植えられています。エクステリアに凝っている家も多く、素朴ながらも豊かな暮しぶりが垣間見えます。

ベルギーには“影”の部分が比較的少ない、という印象が私にはあります。これは以前この国を訪れた時にも感じたことでした。“影”というのは、例えば“観光客にはあまり見せたくない”というような部分のことです。どこの国でも、観光地の環境保全には力を入れていますが、それがそのままその国の“現実”ではありません。旅行パンフレットに豪奢な歴史的建造物が華々しく紹介されている国でも、町の路地裏にゴミが溢れ、落書きが蔓延している・・・ということは、珍しいことではありません。もちろん、現実=“影”と言っているわけではなく、実際“影”のない国などどこにもないのですが、ベルギーは比較的そういうギャップが少ない国だと感じます。それは、国民の貧富の差が少ないということなのでしょうか、それとも、この国の人たちの性格によるものなのでしょうか。とにかく今回は、普通の民家を見るのがとても楽しい旅でした。




貸し切りバスの車窓から

途中、運転手がパンを買った店



普通の民家を見るのが楽しかった


 

古本の秘境

ベルギーで迎えた日曜日、私はLiegeという街の朝市で、お祭り気分を味わっていました。出店をひやかしながらふらふらと歩いていた時、偶然大きな古本屋を見つたのですが、その店でちょっと珍しい光景を目にしましたのでご報告します。

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その店は、市が立つ通り沿いにあって、表の賑やかな雰囲気とは対照的に、店内には重たく湿った空気が漂っていました。
壁は本でうめ尽くされ、床には雑誌やコミックが大量に平積みされています。足元にも無造作に本が積まれていて、注意深く歩かないととんでもない事態を招いてしまいそうです。店の奥に並んだ本棚は、棚板が歪んでいたり全体が傾いていたり、どう見ても“一発触発”の状態。ほとんどの本がほこりをかぶっていて、触るのも勇気がいる感じでした。

一ケ所、本が全く置かれていない棚があって『?』と思ったのですが、何やら周囲が濡れている・・・見上げると天井に穴が開いていて、雨漏りしていました。

「!!!」



なるべく息をしないように店を一回りしてみたところ、幸か不幸か床に直接積み上げられている山の中に、どうしても見てみたい本を発見。周囲にもたくさんの本があって、手前に積み上がっているものを少しずつ移動しないと取り出すのは難しそうでした。そこかしこに綿ぼこりが溜まっていて、本自体もかなり汚れています。
『どうしよう・・・』
Reduでは、昼寝する猫の下敷きになっていた本を“もともと縁がなかった”と悟ることができたのに、どういうわけかこの店では悟りを得ることが出来ませんでした。

意を決し、周囲の本を移動してもいいかを尋ねるために、脚立に乗って本棚を整理していた店主らしき男性に声をかけました。

「すみません・・・」

ところが「自分はただの客で本を探しているだけだ」という返事。「店主ならあそこにいるよ」と指差された先を見てみると、積み上がった本の狭間で年齢不祥の男性が書きものをしていました。

見渡してみると、店の中にいる何人かの客が、あっちこっちで何やらもくもくと作業をしています。よくよく見ていると、それらの客たちはみな、果敢にほこりだらけの本と格闘している様子。本を探しているか、私のように積み上がった本の中に、お目当てのものを見つけてそれを発掘しようとしているか・・とにかく勇気ある人々であることには間違いなさそうでした。

店主に承諾を得る必要はなさそうなので、『とにかくこの本だけ・・』と心に決めて、発掘作業に取りかかりました。なるべくほこりを立てないように、ゆっくりと注意深く手前に積み上がっていた本を取り除いてゆきました。思わず息を止めてしまうような個性的な?綿ぼこりに何度も遭遇しましたが、その度に感覚のスイッチを切って作業を進めました。

そうしてやっと手にした本は・・・“世紀の大発見!”と言いたいところですが、残念ながら期待していた程のものではありませんでした。(苦笑)
再び掘り起こした本をもとの場所に収めながら、私はいよいよ悟りました。 “もともと縁がなかったんだ”もっと早く悟るべきだった・・・

けれど、きっとこの店には何かある・・・知恵と勇気と体力さえあれば、きっとその何かを見つけることができるはず。
ここは、私のようにひ弱な人間が足を踏み入れてはならない古本の秘境なのだわ。

開けっ放しの入り口の向こう側には、新鮮な野菜やフルーツが並ぶ明るい朝市が広がっています・・・
「戻ろう戻ろう、向こうの世界へ!」
空中を漂うカビの胞子が脳に作用したのか、そんなことをぶつぶつ言いながら、店を出ようと決意したその時・・・

「!!!!!!!!!!!!」

私は、巨大な本棚の底板と床の間にとんでもないものを見つけてしまいました。

そこには、ほこりにまみれて変色し、ほとんど化石化した本たちが詰め込まれていたのですが、
その中に不思議な様相の本が!

『き・・・きのこが生えている〜〜〜!!』

その場で息をのみ、 呆然とそのきのこを眺めていましたが、
あまり近寄ってまじまじと観察すると、脳裏に焼き付いてしまいそうだったので、写真を一枚だけ撮って店を出ました。

外に出た瞬間に、朝市の賑やかな空気の中で思わず深呼吸。
さながら“異世界から無事生還”という感じ。 (笑)

とにかく!
古本屋の店内で、自生きのこを目撃したのは初めてです。
私は早々に探索を切り上げましたが、
知恵と勇気と体力のある古本探求家のみなさま。
是非ともこの秘境を訪れて、お宝を発掘してください。
あの店には、きっと“何か”があります。

 

Liegeの朝市

おいしそうなものがたくさん!


ベルギ-旅報告--つづき

素敵な日曜日の昼下がり

古本屋でキノコ観察をしたら、なんだか妙〜に疲れてしまったので、
まだお昼を回ったばかりでしたが、一旦ホテルに戻って休むことにしました。
『とにかく、手を洗いたい、シャワーをあびたい・・・その前に、まずうがい・・・』
などと思いながら、バスに乗って、前日チェックインした駅前の小さなホテルへ。

ところが・・・
中に入ろうとしても、エントランスのガラス戸が開かない。

『???』

何度も引っ張りましたがびくともしません。
『何でカギかかってるの?』
ガラス越しに中を覗き込むと、レセプションのおじさんがこちらに視線を送りながら
船を漕ぐような仕種をしています。

『え? なに? おじさ〜ん、船なんて漕いでないで、早くカギ開けて〜』

『はっ!』
次の瞬間気がつきました。
『このドア、引くんじゃなくて、押すんだ!!』

恥ずかしさを笑いでごまかしながら、今度は難なく扉をを開けて中に入り、
カギを受け取ると、すぐさま自分の部屋に向かう為にエレベーターのボタンを押しました。
待っている時間がなんとなく長く感じられます。

すると!またもや レセプションのおじさんが船を漕いでいる!!

『え? なに?』

私はエレベータを待つ必要はなかったのです。
つまり、そのホテルのエレベーターは手動扉で、
エレベーターが来ても、自動的に開くわけではありませんでした。
というかそれ以前に、エレベーターは最初からグランドフロアに停止していたのです。

『はっ!! 』

乾いた照れ笑いを浮かべながらおじさんにお礼を言い、
観音式の 扉を開いてそそくさとエレベータに乗り込みました。
『何やってるのかな〜私・・・』

『ここで気を抜いてはいけない』
と、私は自分を戒めました。空のエレベーターに一人で乗り込んだ後、目的の階のボタンを押さず、
不動の空間でぼんやりしていたことが過去にも何度かあったからです。

そうしてなんとか部屋に辿り着き、うがいをしてシャワーを浴びたら、やっとホッとした気分になりました。
その後何の気なしにテレビを付けたら、偶然にも日本の映画を放映中。
出国してから数日しか経っていないのに、 なんだかとても懐かしい感じがして、思わず画面に見入りました。
なにやら、真田広之さんと中谷美紀さんが水の中でお話をしています。
会話の内容は、フランス語に吹き替えられているのでわかりません。
何の映画かしらと思っているうちに・・・・・

サダコが井戸の中から這い上がってきました〜〜〜!

「!!! ひえ〜〜〜〜〜〜〜っ!! 」

キノコやサダコにうなされそうで、昼寝も出来ない日曜日の昼下がり、
ぼんやりと、ただぼんやりと、ホテルの窓から駅前の風景を眺めていたのでした。

追記:そういえば町中で何度もリングの映画ポスターを目撃しました。
   日本映画のポスターをヨーロッパの町中で目撃するのは
    宮崎アニメの「千と千尋・・・」以来のことです。
   まさかこんなところでサダコさんに再会するなんて。。。
   日本でもなるべく、お会いしないようにしているのに・・・


 

ケルン、ふたたび。

今回の旅の終点はドイツのケルンでした。
15年位前に一度訪れたことがあって、大聖堂の大きさに腰を抜かした記憶があるのですが、今回受けた印象はそれほどでもありませんでした。もちろん、大聖堂の大きさが変わったわけではありません。 ただ、周辺にショッピングセンターやブランドショップが建ち並び、当時の趣ある町並みは消えつつありました。

15年・・・長いような、短いような年月。
たった15年で・・・というのが、私の正直な感想ですが、町並みを変えてしまうには充分すぎる長さのようです。

私の場合、旅先での時間は 日常よりも強く記憶に焼き付くことが多くて、例えば、一昨日何をしたか、なんてことはすぐに忘れてしまうのだけれど、15年前にケルンで食べた夕食のメニューなんかを、はっきりと思い出すことができたりします。
つまり、私の中のケルンは15年前のまま止っていて、その鮮明な思い出と、現代のケルンとのギャップから、違和感が生じたのだと思います。

そして何より、私自身がこの15年の間に、かなり変わったのだということ・・・
普段は感じないことですが、時を開けて思い出深い場所に再訪すると、当時の自分をはっきりと思い出せるからか、 通り過ぎていった長いような短いような時間に、しみじみと感じ入ってしまいます。

自分がどんなふうに変わったのか、今回の旅で一つ気付いたことがあります。
15年前、私は異国を旅すると、“日本と違うところ”にばかり目がいっていました。
日本とは違う、文化。
日本とは違う、町並み。
日本とは違う人や風習・・・・日本に無いものが、新鮮で、驚きで、感動でした。

ところが最近では、何を見るにつけても“日本と同じだな”と感じることが増え、その思いは“どこの国も一緒”という感覚に広がります。

例えば、どこの国にいっても家の周りで花を育てる人がいて、
通りすがりにその花を見て微笑む人がいます。
お店があって、売る人がいて買う人がいます。
こんにちはというと、こんにちはと返ってきます。
暮しがあり、家族があり、互いのつながりがあり、食べて、寝て、笑って、泣いて、生まれて、暮らして、死んでゆきます。
各々の国の“スタイル”はありますが、人間の基本的な営みは同じです。とても当たり前なことなのですが、最近その当たり前な光景が妙に心に染みるのです。

言葉が違い、人種が違い、生い立ちも・・・何もかも違っても
必ず通じ合えるものがあると思えるような、
“安心感”?みたいなものを感じるからかもしれません。

だから私は、どこの国に行っても下町の路地裏を歩くのが好きです。
夕べの食事のにおいが漂ってきたり、子供たちの遊ぶ声が響いてくると、なんともいえず懐かしい感じがして、その感覚が“今”の私の、旅の醍醐味になっています。

15年ぶりの大聖堂

下町で出会えるもの