*たわごとコラム

城のような殻、殻のような城

先週末、“ハウルの動く城”を見ました。(遅過ぎ?)

シンプルなラブ・ストーリーだという解説を、度々目にしていたので、
『なぜ今 、宮崎監督が“ラブ・ストーリー”を?』と、
変なところに興味を抱いていましたが
やっぱりというかなんというか、
シンプルだけど決して単純なストーリーではありませんでした。
(今頃そんなことを言っているのは、私ぐらいなもんですね、、、きっと)

いつだったか、宮崎監督が、前作「千と千尋の神隠し」の制作動機を語る
TV番組を見たことがあります。
監督は、時々山小屋で子供たちと一緒に過ごすそうで、
その子供たちから感じたことがストーリーの根幹になり、
またその子たちを喜ばせたいというシンプルな思いが制作動機に繋がった、
とおっしゃっていました。
また“(子供たちが)生きる力を発揮できる環境がなくなっているような気がする”とも。

要するに監督は、なにかと行く末が不安がられる現代の子供たちの中に、
うまく発現できていなくても、“生きる力”が確かに宿っている・・・ ことを確信した、
とおっしゃっていたのだと思います。

そういえば「千と千尋の神隠し」以前の作品の主人公は、
ヒーローや優等生的な主人公が多かったように思うのですが、
千尋やハウルやソフィーには、
“行く末が不安がられる現代の子供たち”に近い要素がたくさん
盛り込まれているように感じられます。

原作のソフィーは「きれいな娘」で、
しかも「帽子や洋服を作ることにかけては天才」といわれる
目立った資質を持った女性なのですが、
宮崎監督はソフィーをあえて地味な女性に描いていました。
ハウルは、スタジオジブリ作品の伝統からは異例ともいえるハンサム・ボーイですが、
一見完璧に見えても、実は殻に閉じこもっている繊細な心の持ち主で、
髪の毛の色にこだわり「美しくなければ生きている意味がない」と嘆いたりもします。

あの城は、“殻”だったんですね。
ソフィーが住み着いたその日から、
だんだんきれいになって、最後には木っ端みじんに壊れてしまいました。
「千と千尋・・」もそうでしたが、主人公が内に秘めていた“生きる力”を発現することで
めでたしめでたし...になるというストーリーなんですね〜。
(もちろん、私の個人的な所見ですが)

改めてジブリ作品を振り返り、
『世界はたった一人のヒーローや救世主によって救われるわけじゃないのね・・』
などと、じみじみ考えてしまいました。

そして・・・

毎日のように報道されている
子供が被害者になったり加害者になったりする事件の本質的な原因が、
“ハウルの動く城”の中に比喩的に描かれているのではないかしらと
今、再びストーリーを思い起こしています。

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