*たわごとコラム

終の栖

今年の春から、身内の物件探しを手伝っていました。
昨年暮れにうちに遊びに来て、この辺りの暖かさが気に入ったらしく、
お正月にはもう、移住の決意をしていたというのです。
私たち自身も定住先を探そうと思っていた矢先だったので
軽い気持ちに引き受けましたが、これが予想以上に困難でした。

夏から秋にかけて数えきれない程の物件を見に行き、
ようやく条件に合う家に巡り会ったのが11月。

74才の一人暮らし、「終の栖だ」と言われたら、
条件が厳しくても、妥協するわけにはいきません。
終の栖の条件は・・・
体力がなくても生きられる家。
そして、生きることを楽しめる家。

といっても、若輩の私に全てが理解できるわけもありません。
それでも、自分がもし70代で、一人暮らしをするとしたら・・と
思いを巡らしながら、物件探しを続けました。

そもそも、70代で引越しをすること自体、一大決心だったと思うのです。
その思いに答えられる物件は、そう簡単には見つかりませんでした。

この物件探しは私に、“生き場所”について、あるいは“死に場所”について
真剣に考える機会を与えてくれました。
自分が年老いた時、どんなところで暮らしていたいかというとこも含めて。

この辺りでは、リタイアした方たちが
静かな別荘地に越してこられるケースが多く見られます。
緑が多く、温泉もついていて、見晴しもいい。
おまけに出物がたくさんあって、比較的安い。
一見、セカンドライフにはピッタリの条件です。
けれども、 出物がたくさんあるということは、離れる人が多いということなのです。

人は、人の中でしか生きられません。
田舎であっても、人のつながりの中でしか生活できないのです。
人間関係で悩んで人から離れたいと思うこともあるかもしれませんが、それでもやはり、
人は独りでは生きていけません。

最後に出会った物件は、とにかく気のいい家でした。
不動産屋さんも、売り主さんも、ご近所の方々も、
ちょっと奇跡的だと思える程に、いい方々でした。
こんなご時世に、こんな 事もあるのかと思うくらいです。

気のいい縁が生まれるところ。
それが、見晴しより温泉よりも大切な
「終の栖」の絶対条件だと、今では思っています。

そんなこんなで、今年の年末年始は、例年にも増して忙しくなりそうです。
今度はお正月返上で、引越しのお手伝いです。
私たちの“気のいい定住先”は、いつ見つかるのやら。 (苦笑)

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