*たわごとコラム

ただいまの机上絵本–「わたしは青なの」

「一番好きな絵本は?」とか、
「おすすめの絵本ベスト3は?」とか
そんな質問をされると私はいつも考え込んでしまいます。

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わたしは生きてるさくらんぼ
ちいちゃな女の子のうた
>>本屋さんで是非!!

好きなイラスト、好きなお話、好きなデザイン・・・
はいくつもあって
どれが一番かを決めることなど到底できません。
しかも、多くの感動は自分の趣向を越えたところにあるので
お気に入りは増える一方です。
けれども、折にふれ脳裏に浮かぶ“プレシャスな絵本”は 確かにあります。
例えばこの作品もその一つ。
昨日、なぜかまた急に思い出して、
本棚から引っぱりだしてきました。
懐かしい思い出がからんでいるとか、
作者に思い入れがあるとか、
そんな特別な理由があるわけではありません。
初めてこの本を開いた時に感じたものが、
純粋に心に強く焼きついているのです。
絵のタッチが好きとか、お話が好き、
というのともちょっと違います。
私にとってとりわけ印象的なのは、
この作品の「私は青なの」という部分です。
その“青”が、バーバラ・クーニーの美しいイラストと共に見開きで表現され、
他にも、赤や緑や金の頁があります。
「私は青が好きなの」でも
「私は青ざめているの」でも
「私のイメージは青なの」でもなく
「私は青なの」・・・です。

わたしは なりたいとおもったら いつでも
あたらしいなにかに なれるのよ
わたしは リンゴ わたしは プラム わたしは 木 わたしは 猫
・・・・

わたしは いつも わたしでしょう
わたしは いつも あたらしくなるのよ(一部抜粋)

木のようになるのではなくて、木そのものになる
青くなるのではなくて、青そのものになる

わたしはあなた
わたしはわたし以外のすべて・・・

こんなことを、小さな女の子のうたにのせ
“絵本”というかたちで表現してしまうなんて!!
それは「わたしは青なの」という言葉と同じくらいに
感動的なことに思えます。

こんな本にわたしごときが書評をつけることなど
とてもできません。
「わたしは青なの」という存在のどこに
偏狭な概念を投影する隙があるでしょうか。

だからもう、ただ「こういう絵本がありますよ」としか

紹介できないのです。

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