*たわごとコラム

「レディ・イン・ザ・ウォーター」その2

前回のつづき

『世の中いったいどうなってしまうのだろう・・』
そう感じている人は多いはずです。
けれども、『そんな世界を変えるには?』という問いに
明確な答えを持っている人は少ないのではないかと思います。
世界中の人が模索し続けているその答え・・・

シャマラン監督は自分なりに見出した一つの“答え”を
「レディ・イン・ザ・ウォーター」で表現したかったのではないかと
私は感じました。
そして、映画のなんたるやとか、おとぎ話のうんぬんだとかを超えて、
その考え方に共鳴したのだと思います。
単に“感動した映画”というのとは違う、
なんとも説明しがたい余韻が残りました。
シャラマン監督作品には、常に意表をつく展開が期待されているので、
どんでん返しのないこの作品の評価は一般的に低め。
私のような見方をする向きは少ないのかもしれません。

あらすじは、あるアパートのプールから突然現れた水の精が、
無事故郷に帰れるように住人たちが団結して奔走するというもの。
こんなふうに書くと、設定をちょっと現実よりにしただけの、
ありきたりなおとぎ話のようですが、
実際にはかなりメッセージ性の高い作品です。
(あまり細かく書くとネタバレになってしまうね)

ファンタジーの世界では、どんなに難しい状況下でも
必ず明るい未来が開けますよね。
その希望は様々なかたちで描かれていますが、
人気作になるのは、ある勇敢な主人公が幾多の苦難を乗り越えて
未来を切り開いていくというもの。その主人公の功績によって、
世界は救われ、人類が希望を取り戻すという筋書きです。
主人公は、かっこいいヒーローだったり、救世主だったり、
覚醒した一般人だったり・・・とにかく“特別”な存在です。

「レディ・イン・ザ・ウォーター」の主人公はというと、
おとぎ話としては水の精に、
映画としてはアパートの管理人に焦点を当てて描かれていますが、
メッセージの主題である“世界を変える”という点においては、
主人公を特定することができません。
このおとぎ話では、
世界を変えるのはある少年だということになっているのですが、
その少年は登場すらしないのです。
アパートの住人は皆、どちらかというと救いを必要としている人たちばかりで、
特殊な能力を持つ人もいません。
水の精をとりまくお話以外は、すべて“現実”そのものです。

主人公なんていない。
それが、この映画の重要なメッセージのひとつなのかもしれません。
・・・・・・・・またまたつづく。

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