*たわごとコラム

「レディー・イン・ザ・ウォーター」その3

前回のつづき

もしも“主人公”が世の中を変えてくれるなら、
主人公でも脇役でもないその他大勢は、映画の鑑賞者や物語の読者のように
ことの成り行きを見守っているだけなのでしょうか?

そんなふうに考えてしまうと、逆説的に、
主人公でも脇役でもないなら、世界の未来とは何の関わりもない
いても、いなくても同じ存在だ・・・という意識が芽生えてしまいそうです。

シャマラン監督は「レディー・イン・ザ・ウォーター」を通して
そうじゃない・・と語りかけてきます。
あらゆる微細な存在と、それらの関わりの行方が未来なのだと。

「人間は皆つながっている」と、ストーリーという名の水の精がつぶやきます。
だから、未来に関わりのないものなど何もないと。

どんなに小さな存在でも“変化の種”を担っている・・・
在るべくして在る・・・
それは事実? それとも、単なるおとぎ話なのでしょうか?

「レディー・イン・ザ・ウォーター」はおとぎ話です。
飛躍したストーリーも、よくある展開。
おとぎ話なのですから『何でもあり』です。

でもそれは、現実の未来にも同じことが言えますよね。
まだ起きていないことは、どうなるか分かりません。
あらゆる可能性があります。
ある意味、『何でもあり』です。

あるシーンで、世の中を見限って引きこもりになった賢人がこういいます。
「もう、おとぎ話を信じるのはやめよう!」と。

けれど、「君には傷ついた水の精を癒す力がある」といわれた管理人が
「私にはそんなことできない」と弱気になった時に
「いいから、やれ!」といったものこの賢人です。

監督は、水の精の存在を信じろと言っている訳ではないはずです。
子供のように、そういうものを信じられる純粋な気持ちが大切だというような
単純なお話ではありません。
おとぎ話仕立てであることは、単なる手段なのだと思います。
もちろん、他にもたくさんのメッセージが込められていますので
このコラムで書いたことは、感想のごくごく一部です。
ちなみに、ある映画レビューでこの作品が
「シャマラン映画史上最もちっぽけだが、最も壮大かつ深刻な作品」
と紹介されていました。
私としては、この一文が結構気に入っています。

今日も、暗い気持ちになるニュースがたくさん流れています。
昨日もそうでした。
世の中いったいどうなってしまうのでしょう?

『お先真っ暗だ~』と捨て鉢な気持ちになったら、
もう一度この映画を観てみようと思います。

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