*たわごとコラム

「My pleasure.」

「My pleasure.」

私は旅先で何度も何度も見知らぬ人の親切に助けられました。
だからこそ、言葉に不安があっても、メアリーに声をかけずにいられませんでした。
何語を話す人でも、多分声をかけていたと思います。
自分も同じように声をかけてもらったからです。
声をかけてくれた人は、私が何語を話すかなんて、まったく気にしていませんでした。
その人たちのお陰で旅の思い出はとても豊かになりましたし、
何より、『人間ていいな』としみじみ思うようになりました。
もちろん、どこの国にもよこしまな人もいて、時には嫌な思いもしますが、
そんな人でも、よこしまなだけではないはずだと思えてきます。
連日どんなに暗いニュースが飛び交っても、
同じこの世界のどこかに、親切な人が生きているのだと思うと、
絶望する必要はないのだと感じられるのです。

彼らは何故声をかけてくれたのでしょうか?
文化や習慣、宗教によるものでしょうか?
確かに、そういう部分もあるかもしれませんが、
人種や世代に関係なく、人間はみなそういうものを持っているのだと私は信じています。
そしてそれを“善”というのだと思います。

「Thank you.」とお礼いった時、
「My pleasure.」と応えてくれる人がいます。
日本語に訳すと「どういたしまして」という意味ですが、
直訳すると「私の喜び」です。
『そうさせていただいたことは、私にとって喜びなのでお礼には及びません』
というニュアンスで、私はこの言い方が大好きです。
メアリーにも、心からそう応えることができました。
自分が貰ったものに対して、少しでも恩返しをしたいと思っていたからです。

ここに書いたことは、“きれいごと”でしょうか?
確かに、世界中でたくさんの悲惨な事件が起きています。
旅人が巻き込まれることも珍しくありません。
けれども、だからといってこの世は危険に満ちている・・とだけ考えるべきでしょうか?

この世界には光も影もあり、影ばかり報じられるからといって
世界は闇だと思ってしまうのはもったいないと思います。
少なくとも人間は「Thank you.」という言葉を生み出し、
それに対して「My pleasure.」という応え方を生み出した生き物です。
そういう言葉があるということは、そういうものが人間にはあるということ。
それだけでも、『捨てたもんじゃない』・・と私には思えるのです。

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