*たわごとコラム

治療師の猫

最近、体調を崩しかけていたので、久しぶりにホームドクターのところにいってきました。
一度身体を壊して痛い目にあっているので、“壊れる兆し”の時点で
なんとかしようという、知恵だけはついているのです。

ホームドクターといっても、片道3時間。
以前は近くに住んでいて、ちょくちょく足を運んでいましたが
今では、いよいよダメだ~という時にだけ、はるばる会いに行っています。

その先生は、自然治療の専門家。
ひたすら理にかなったことを見極めて、ズレを正してゆくという治療方針で
西洋医学的な治療が苦手な私にとっては、 とても心強い存在です。

今回は、顔を合わせるやいなや、先生から悲しい知らせを受けました。
ずっと一緒に暮らしていた猫が、3日前に亡くなったとのこと。

「21年も生きたのよ・・・」

いつも穏やかな表情で、治療院の片隅にたたずんでいた白い猫・・・
毛艶がよくて、足腰もしっかりしていて 、とてもお年寄りには見えませんでした。
20歳になった時も、年をとったというイメージがまったくなかったので、
『先生のところにいると、こんなに健康でいられるんだ~』 と
しみじみ思ったものです。

先生によると、特に病気をしたわけでもなく、
数日前から食べものも水も口にしなくなり、
眠るように、きれいに息を引きとったのだそうです。
つまり、自然死ということですね。

ただひとつ先生が気にしていたのは、
最近娘さんが犬を飼い始めて、それが引き金になったのではないかということ。
もう自分の役目は終わった、と感じたのではないかというのです。

どんなに元気でも、役目を失ったと感じた途端に事切れてしまう・・・
私にはそれが、至極当然なことに思えます。

それとも、役目が終わる時期が、
来るべくして、来るべき時に来たということなのでしょうか。
自然死とは、それほどまでに“自然”なものなのでしょうか。
日々、理から逸脱している私には、とうてい分かり得ないことですが、
自然に生きて、自然に死ぬ、それが生きとし生けるものの、本来あるべき姿なのだと
逝った猫が教えてくれているようでした。

治療というよりも、毎回何かを学びにいっている感じです。
けれどもそれが、私にとっては一番の治療なのかもしれません。

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