*たわごとコラム

「ツバメさん、ごめんなさい」

新居にはシャッター付きのガレージがあるのですが、
今はまだ、未整理の荷物が散乱しています。

今日、シャッターを開け放って中で整理をしていたら、
どこからか突然ツバメの夫婦が舞い込んできて、すぐにまた飛び去ってゆきました。

『中に人がいるって気がつかなかったのね・・・』

ところが、しばらくするとまたやってきて、
ちょこっと壁の角やライトの端にとまってみたりもして、
すーっとまた外へ。

そんなことを何度も繰り返して、
どうやらツバメ夫婦は巣作りの場所を下見しているようでした。
しかもこのガレージが、かな~り気に入った様子・・・苦笑

ツバメたちにはとっても申し訳ないのだけれど、
常にはシャッターを閉めてあるので、ここで巣作りをするのはちょっと無理。。。
開けっ放しにするということが難しい場所なのです。

「ごめんね、ツバメさん。この物件は、契約済みなの」

ツバメたちがこの場所に決めてしまうといけないので、
中の整理は後日にすることにして、取り急ぎシャッター を閉めました。

・・・・

夕方、車を出そうと思ってガレージに行ってみると、
シャッターを空けた途端に、またツバメたちが・・・

よっぽどここが気に入ったんだね。
本当にごめんよ~。

引越し完了

本日、ご近所の方々にご挨拶をして、よ~~~やく引越しが完了しました。
といっても、部屋の中はまだ段ボールの山。
その半分以上が “本” です!!
仕事の資料やら実用書やらも含め、
本棚に収まっている本を段ボールに移し替えたら、荷物の量は予想以上でした。
本棚1つで段ボール箱が10個は必要です。
引越し屋さんに「まるで本屋さんみたいですね」と言われてしまいました。(笑)

新着UPのリズムを取り戻すまでには、もう少し時間がかかりそうですが、
今回の引越しで、棚の奥の奥に眠っていた本たちがいろいろ出てきましたので、
準備が整い次第ご紹介してゆくつもりです。

気がつけば、桜はすっかり散ってしまって山の緑がだいぶ濃くなっていました。
もう燕たちも来ているようですね。
オレンジの花も咲き始めました。

新居の窓から見える 斜向いの古家の戸袋に野鳥が巣を作っているようです。
つがいの二羽がどこかから小枝や羽毛をくわえてきては、戸袋の中に持ち込んでいます。
うちも、先週は何度も旧宅と新居を行ったり来たりして荷物を運んでいたので、
「なんだかうちと同じだなぁ」と思いながら眺めています。
そのうち引越しの挨拶に来てくれるでしょうか・・・笑

27年目のソメイヨシノ

日曜日は引越作業の中休み。
この街に住み始めて恒例になった、陶芸家Mさん宅でのお花見です。
毎年思うのですが、自宅の庭でお花見が出来るなんて本当に贅沢。

今年も見事に咲いていました、苗木を植えてから27年目だというソメイヨシノ。
27年でこんなに育つのかと思うほどに威風堂堂とした大樹です。
ご夫婦が工房を建てたその年に植樹した3本のうちの1本で、
他の2本はうまく育たなかったのだとか。

「あとで分かったことなんだけどね。
ここは土地が荒れていてね、とても桜が育つような場所じゃなかったんだよ。
この樹は、よくぞここまで育ってくれたとつくづく思うよ」
と満開の桜を愛でるように見上げるMさん。

工房を建てたら、庭に桜を植えることがご夫婦の夢だったのだそうです。

この桜は、27年間毎年少しずつ少しずつ成長しながら、
この工房とそこで暮らすお二人を見守ってきました。
満開に咲く桜は、ご夫婦の人生そのものです。

今では毎春、この桜を見る為に人が集まってきます。
そしてみな口々に、その美しさをたたえるのです。

「まるでこの家の守り神ですね」というと
「本当にその通りだよ」とMさんは笑いました。

『“育む”とは、こういうことなのだなぁ』と思いながら、
Mさんが焼いた器で、奥様がつくった美味しい桜ご飯をいただいたのでした。

雨ニモマケズ風ニモマケズ

雨ニモマケズ風ニモマケズ

この言葉は、小学校の授業で全文を習う前から知っていたような気がします。

雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・
その部分だけを、ことわざか何かのように時々口ずさんでいました。
もちろん、意味なんてよく分かりませんでした。

初めて全文を読んだ時、『こんな詩の一部だったのか』と思いました。
もちろん、言葉の意味は分かったけれど・・・それだけでした。

この詩が心の底にまでしみてきたのは、大人になってからのこと。
それもだいぶ経ってから。
特に最後の部分・・・・

ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイウモノニ ワタシハナリタイ

この詩は「そういうものに私はなりたい 」 という言葉で結ばれています。
子どもの頃の私に「あなたはどういうものになりたいですか?」と聞いたら
なんて答えるだろうか? 10代の頃の私に聞いたら?
想像すると、思わず苦笑してしまいます。

ホメラレ、クニサレルことによってしか、
自分の存在を認識できなかったあの頃・・・
こんな詩が心の底にしみ込んでくるはずもありません。

この詩は、当時勤め人だった賢治がセールスの為に上京して再び病に倒れ、
花巻の実家に戻って闘病中だった1931年秋に、自分の手帳に記したもの。
没後に発見された遺作のメモです。

この世に肉体を持って生きている限り、どんな理想を口にしても、
健康でなければ思うようにはいかない。
病に苦しんだ賢治は、そう思ったに違いありません。
そして、病に苦しんだからこそ見えた“本当に大切なこと”が、
この詩にしたためられているのだと思います。

私も20代の頃に体調を崩して、それから価値観が大きく変わりました。

この世界から、命をつなぐ為に必要最低限のものだけをいただいて、
縁のある他の為に力を尽くすこと。
自然に逆らわず、ぶれることなく、
自分以上でも以下でもない自分をただ生きること。

サウイウモノニ ワタシモナリタイ

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雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、
そして怒らず 野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて、
東に病気の子どもあれば、行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、
日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、
苦にもされず そういう者に私はなりたい

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