*たわごとコラム
「今日は何の日?」
「今日は何の日か知ってる?」
と、突然店主Bに聞かれて答えられませんでした。
「何の日だっけ?」
何かの記念日だったかしら? 祝日じゃなかったよね~。 え~と・・・
「平成22年2月22日だよ。」
「へえ~、2のぞろ目なんだ。」
「そう、次のぞろ目日は、平成33年3月3日までないんだよ。しかも3が4つ。
今回は2が5つ。平成33年があるかどうかもわからないし。」
なんだか『次に皆既日食が日本で見られるのは・・・』と同じような言い方。
「確かにいわれてみれば『へぇ~』な日だね。ということは、今日の22時22分22秒は
さらにすごいね」
「そうだね~」
「で?・・・今日って何かの記念日なの? 」
「別に・・・」
「ただ、ぞろ目ってこと?」
「そうそう」
「ふ~ん」
人って、“ぞろ目”を見ると、なんとなく意味を感じてしまうものなんですよね~。
ふとデジタル時計を見た時に 偶然数字がぞろ目だと、
ちょっと「おやっ」と感じて、
それが何回か重なると、なんなく“意味”みたいなものを感じて、
勝手にジンクスなんかを作ったりしてしまいます。
ちなみに私は、3時33分(3:33)に、たまたま時計を見ることが多いです。
すると、なんとなく“3”が自分にとって特別な数字と思えてくる・・・
そうすると、逆に“3”にばかり目が行くようになって、
さらに“3”にまるわる出来事が増える・・・
よく考えてみると、起きていることにはそもそも何の意味も無いのに、
人は無意識のうちに、勝手にそこに意味付けをしていくんですよね。
そしてそれが結局、自分の人生の足跡になってゆく。
人間は、自分が意味付けした通りの人生を生きる・・ってことですね。
ちなみに、どんな意味を付けるかは全くの自由・・・であるはず。
ほとんどの場合、人は無意識のうちに意味付けをしていて、
自分の“偏り”を 反映させています。
例えば、不安があれば、どんなことでもマイナスに捉えてしまう。
人間て多かれ少なかれそういうものですよね。
どんな意味でも自由に付けられるのですから、
意識的に、その“意味”を選ぶことが出来るようになれば、
きっと人生の達人になれるのだろうな、と思ったります。
さらに、あえて意味付けすることなく、起きていることを、
ただ、ありのままに見られるようになったら・・・
つまり、現象に左右されずいつでも「ありのまま」でいられたなら、
もっともっと、しなやかに生きていけるんだろうな~、と思うのです。
2月22日、今日はそんなことを考えました。
そうだ!今日は「意味付け」について深く考えたから、
「意味付け記念日」っていうことにしよう!
・・・・・悟りの日は遠い。(苦笑)
そういえば、
「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日
っていう俵万智さんの短歌があったな~。
ちなみに、ちょっと調べてみたら、2月22日は
「猫の日」「世界友情の日」「行政書士記念日」
「食器洗い乾燥機の日」「ヘッドホンの日」「おでんの日」・・・なのだそうです。
1951年のこの日、「行政書士法」が施行されたことから、
「行政書士記念日」に制定された、という理由のものもありますが、
「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」で「猫の日」
「ふう(2)ふ(2)にっ(2)こり」で 「食器洗い乾燥機の日」
「フー(2)フー(2)フー(2)」で 「おでんの日」
毎月22日は「 フー(2)フ(2)」で夫婦の日・・・
なんていう、語呂合わせのものがほとんど。
いろんな意味付けがありますね~。
「フ(2)フ(2)フ(2)」で「微笑みの日」っていうのはどうですかね~。
それとも「不敵な笑い・・」?
「フフフ」← どう思います?
これも捉え方次第、意味付け次第ですね。