*たわごとコラム

クロッキー ありがとう さようなら

クロッキーがいなくなってから、一年が経ちました。

最近になってようやく、街を歩いていても
「クロちゃんは?」と問われることがなくなりました。
それでもまだみんな、クロッキーのことを覚えてくれています。

命日の日、写真の前にクロッキーの大好物を供えて、
それから浜に行きました。
元気だった頃のクロッキーが、はしゃぎ回っていたお気に入りの場所です。
そこでもう一度「ありがとう、さようなら」をいいました。

次の日からはもう、わずかな遺品もかたずけて、
写真の前に毎日お水を供えたり、お花を飾ったりすることも、
やめることにしました。

本当は、四十九日の日にそうしようとしたのですが、できませんでした。

実は、四十九日にはいったん遺品をかたずけたのですが、
数日後に遠く離れて暮らしている幼なじみのAから
「クロッキーの夢を見た」という内容のメールが送られてきて、
考えを改めたのです。

クロッキーのことは、機会ができた時に自然に伝わればいいと考えていたので、
Aにもあえて連絡はしていなかったのですが、
Aが見たというその夢は、まるでクロッキーが自ら彼女のところに
メッセージを伝えにいったかのような内容でした。
もちろん彼女は、何も知らずにメールを送ってきたのです。
クロッキーが亡くなったことを伝えると、すぐに、
夢の詳しい内容を記したメールが送られてきました。

「今朝は あまりにも鮮明でクロッキーのぬくもりまで残っていたので 目覚めてすぐにメールをしてしまいました 夢の中でクロッキーはもう天国にいってしまっていて・・・・ クロッキーは もう いないんだ…って思った瞬間に 青い半透明の姿からクロッキーが現れてくれて 歩み寄ってきてくれたの… 私は とにかく わんわん泣きながら クロッキーに抱きついて悲しかったこととか聞いてもらったの クロッキーは お気に入りの布ブランケットと離してほしくないの… って言ってました きっと まだお家にいたいのでしょうね」

私は、一度かたずけてしまったクロッキーのブランケットを、
もう一度、いつもの場所に敷き直しました。
写真の前に、お水や好物を供えて、それを一年間続けました。

けれども、それももう終わりです。

四十九日や一周忌に、意味があるのかどうかはわかりません。
Aが見た夢に、意味があるのかどうかもわかりません。
ただ、遺されたものにはなんらかの“区切り”が必要です。
意味のないことに、あえて意味付けをして、
前を向いて生きてゆくための動機付けをする必要があります。

私たちは一周忌を“区切り”と決めたのです。

「クロッキー ありがとう さようなら またいつか会えるといいね」

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