*たわごとコラム

金木犀が満開

この辺りでは今、金木犀が満開。
町中がいい香りになって、窓を開けるだけで幸せになります。
毎年心待ちにしている大好きな季節。

好きなものには鼻がきくので(笑)、いつも、つぼみがほころび始めた時点で
「あ・・咲き始めたな」と分かります。
例年は、9月の下旬に咲き始めることが多かったように思うのですが、
今年は10月に入ってからとなりました。
この地域が温暖だからなのでしょうか? 

花期はたった1週間~10日で、その間に強い雨が降ったりすると、
花はあっという間に落ちてしまいます。

子どもの頃、その香りが名残惜しくて、なんとか保存しておけないものかと
落ちた花を集めて小さな瓶に入れてみたり、ポプリのように乾燥させてみたり、
押し花にしてみたりしましたが、うまくいきませんでした。

大人になって、芳香剤やお酒など“キンモクセイの香り”をうたっているものは
なんでも手に取ってみましたが、どれも本物には程遠いものでした。

季節の花とはそういうものですが、
花期が短く儚い花というのは、いっそう愛おしく感じられます。

この時期だけ・・・と思うと、散歩の時間も長くなります。

この時期だけ・・・と思うと、呼吸が深くなります。

この時期だけ・・・

この時期だけ・・・

ブログデビュー

“最近のコラム”をブログでストックすることにしました。
「ブログならWeb制作が出来ない人でも、自分のホームページを簡単に開設できる!」という前ふりだったので、それならちょっとした空き時間でまとめられるだろうと気楽な気持ちで着手しました。

確かに、いろんなデザインのテンプレートが用意されていて、その中から好みのものを選ぶだけで、あっという間に準備完了。
ところが!よくよく見てみると、不要なものがいっぱい!
これもいらない、あれもいらない・・などとレイアウトに手を加えていたら、結局ものすごく時間がかかってしまいました。
世間じゃそれを“カスタマイズ”と呼ぶそうですが、何故にサービスを減らす方が時間がかかるのか、理解に苦しみます??? ようやく仕上がったものを見ると、こんなものは最も短時間に出来てしまうだろうというような簡単なデザイン・・・

私みたいなデジタル原始人は、こんな簡単なレイアウトでも100万回試行錯誤を繰り返さなければならず、1時間で終わるだろうと思っていた作業が1日仕事になってしまいました。(泣)
気がついたら、足がジ〜ン・・・集中してしまうと、ついついボディケアを忘れてしまうのが私の悪い癖。

あ〜、こんなことに時間をかけるくらいだったら、新着本のUPをすべしと、心の声が叫んでいます。

とにもかくにも、プレシャスブックスのささやか〜〜〜〜なブログデビューです。

“海のにおい”を

・・前回コラムのつづき

例えば“海のにおい”を、一度も海を見たことがない人に伝えるためには
どんなふうに説明したらいいのだろう・・・

写真や映像を見せて、録音した波の音を聞かせて、瓶に入れた海水を味わってもらって
海に関する膨大な資料を読んでもらっても、うまく伝わらない気がします。
その人が、とてつもなく想像力豊かな人だったとしても、
イメージできるのはその人なりの“海のにおい”でしかありません。

そう考えて自分を省みると、知っていると思い込んでいて実は知らないことが
まだまだたくさんあるのではないかと思えてきます。

私が知っていると思い込んでいるものは、本当に“ほんもの”なのかな?

ふと、「グッド・ウィル・ハンティング」という映画の中に出てくるセリフを思い出しました。

主人公は、世界中の本を丸暗記しているような天才で、
自らを守るために他人を見下し強がっている青年ウィルと、
妻を失って傷心の日を送る心理学教授ショーン。
ウィルのカウンセリングを任されたショーンは、
彼の傲慢さに翻弄され、傷つき、一時自信を失ってしうのですが、
「考え込んだ揚げ句にある結論が出て、その後君のことを忘れてぐっすり眠った。」
とウィルに言葉を投げ掛けるシーンがあります。

「君に芸術のこ とをたずねたら、
これまでに書かれたあらゆる芸術関係の本の情報を話すだろう…
たとえばミケランジェロ?
きっと、ミケランジェロについて君はたくさんのことを知っている。
生涯の作品、批評、政治的な野心。
だが、システイーナ礼拝堂の中はどんな匂いがするか、君は言えやしない。
そこに立ったこともなければ、あのすばらしい天井画を見上げたこともないんだから。
    ・
    ・
    ・
君に戦争のことを聞けば、フィクションやノンフィクションの資料についてどんどん話すだろうが、
君は、一度も戦争を体験したことはない。
親友の頭をひざに抱きかかえて、彼が助けをもとめながら息を引きとる姿を見た経験なんてない。

君に、愛について訊ねても、14行詩は言えるだろうが、
女性をしっかり見つめたこともなければ、本当に自分をさらけ出したこともない。
眼差しで君を殺せる女性がいることを知っているから。
でも、その女性は、君を深い苦悩から救うこともできる、
神様が君のためだけに地上に送ってくれた天使だ。
でも、自分が彼女の天使になることがどんな気持ちか君にはわからない。

彼女のためだけに永遠の愛を持つこと。なにがあっても、癌になっても。
2カ月のあいだ、病室で彼女の手を握りしめながら、坐ったまま寝たり、
医師たちが面会時間のことなんて言い出せない目をして、
ずっと彼女を見守っていることがどういうことか、君にはわからない。
本当に失うとは、どういうことかを君は知らない。
それが初めて分かるのは、自分以上に愛するものを失った時だが、
君はそこまで何かを愛する勇気がない。

君のことを理解できそうな人間は誰もいなかっただろう、ウィル?
なのに、君は私の絵を見て、私のことが分かったと思いこんでいる。
君は孤児だろ?僕がこう言ったら?
「君のなめた苦しみはよく分かる。『オリバー・ツイスト』を読んだから」

どういう気がする?僕にとってはどうでもいいことだ。君から学ぶことは
何もない。本に書いてある。君自身の話なら喜んで聞こう。」

注) 様々な翻訳があります。

空気感やにおい、音・・を感じられる絵本

空気感やにおい、音・・を感じられる絵本が好きです。
そういう作品は、 言語やイラストのタッチに関わらず、
ほとんどが“お気に入り”になります。
先日ある方と、好きな絵本についての話をしていて再認識しました。

その時に名前が挙がったのが、
ユリー・シュルヴィッツの「よあけ」や
アイリーン・ハースの「カーリーおばさんのふしぎなにわ」(*絶版)
ピーター・スピアの「雨、あめ」など。

「よあけ」は、未明から日の出にかけての静寂さや朝のにおいを
「カーリーおばさんのふしぎなにわ」は立ちこめる草いきれを
「雨、あめ」は雨から受ける感覚の全てを

このような作品から五感に響いてくる感覚をよくよく味わってみると、
それらはみな、子どもの頃の遠い記憶の中から、
あるいは、いつかどこかで実際に経験した思い出の中から
呼び起こされているような気がします。

つまり、それらの感覚は既に私の中に存在していて、
絵本たちがその記憶を鮮やかに再生してくれているのではないかと思うのです。
だからでしょうか。頁をめくりながら、音やにおいをリアルに感じることが多いのです。

しばらくして、ふと考えてしまいました。
もしも自分の中に、そういう記憶や思い出・経験がまったく無かったとしたら、
絵本から感じられるものはもっと少なくなるのだろうか??

何かを連想したり、想像することは出来るかもしれないけれど、
リアルな感覚を味わうことはできないだろうな・・と、
それこそ“想像”してはみるのだけれど、
“無いもの”をイメージするのはとても難しく、思いは巡るばかり。

想像することそのものが、絵本の魅力の神髄ですが、
自分の中に色んなものがあればあるほど、
感動や、想像力そのものが豊かになるのは確かなように思えます。
これは絵本に限ったことではありませんよね。

そう思うと、あまり外で遊ばなくなったという最近の子どもたちが、
ちょっとだけ心配になります。
図鑑やテレビやパソコンで、どんなにリアルな画像を見ても、
結局それは無味無臭です。

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