*たわごとコラム

「ぶた にく」

「たべもの」の話つながりで、本日はこんな絵本をご紹介します。

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タイトルは「ぶた にく」 。
表紙の題字は“ぶた” と “にく” の間に
スペースがあり、字体も違います。

表紙で愛くるしい表情を見せているのは“ぶた”。
私たちが普段食べている「ぶたにく」は
言うまでもなく“ぶた”の“にく”です。

“ぶた”が “にく”になるまでを綴った写真絵本で、
出版社による内容紹介は以下の通り。

『お米や野菜は、どうやって育つかを知っている。
 でも、ぶた肉がどうやって食卓へあがるのかは知らない!』

鹿児島市にある知的障害施設が舞台。
そこでは障害をもつ方たちが、とても大切にぶたを育てている。
ぶたの餌は小学校の残飯。私たち人間が残したものをぶたは食べ、
10か月で出荷され、ぶた肉となる。
その繰り返しで、我々は生きている・・・・
「いのち」「食」を学ぶドキュメンタリー写真絵本。

店に並んでいる“にく”が、元々は生きた動物であることを大人は誰でも知っています。
けれども、その過程を実際に見たことがある人は、どれくらいいるでしょう?

この絵本を開いて頭に渦巻く思い・・・

 これを実際に見たら、“にく”を食べられなくなってしまうかもしれない。
 だとしたら、見てないから食べられるのか・・・頭では知っているのに?
 知っているけど、現実を見ないようにしている?
 それでも、肉を食べることができる。それどころか、おいしいと思っている。
 屠殺を見たことはないけれど、想像することはできる。
 それでも、肉を食べられる・・・
 家で飼っている犬や猫を家族のように大切にしている。
 保健所での動物の大量処分に眉をしかめる。
 どうにかならないかと真剣に考える。
 それでも肉を食べる。
 豚も牛も犬の猫も同じ動物なのに。
 この矛盾はなに?
 いちいち考えてたら、生きていけない?
 だったら肉は食べないで、ベジタリアンになる?
 植物だって、命だよ・・・
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       ・
       ・
       ・
                

答えはどこにもありません。
いずれにしても私たちは、命をいただいて生きています。
強いて言うなら、問い続けることに意味があるのかもしれません。

*「ぶた にく」  大西 暢夫
  幻冬舎
 

「有機マーク」よりずっと確実

ふと見ると、隣で店主Bが「奇跡のリンゴ」を読みながら泣いていました。
シルヴァスタインの「おおきな木」を読んだ時のような感動だ、と言っています。
「奇跡のリンゴ」や「おおきな木」を読んで泣ける店主Bは、なかなか素敵な人間です。

ところで、このマークをご存知ですか?
「有機JASマーク」といって、オーガニックの農産物や加工食品に表示されています。

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農林水産省のHPによると・・・

有機食品のJAS規格に適合した生産が行われていることを登録認定機関が検査し、その結果、認定された事業者のみが有機JASマークを貼ることができます。  

このマークがない農産物と農産物加工食品に、「有機」「オーガニック」などの名称の表示や、これと紛らわしい表示を付すことは法律で禁止されています。

市場の「偽オーガニック」を駆逐すべく、2001年4月から義務づけられた法律です。
つまり、このマークがついている商品は、お墨付きの「オーガニック」という訳です。
この制度ができる迄は表示基準が曖昧で、その商品が本当にオーガニックなのか、
パッケージなどからは判断できない状況でした。
現在では、このマークを目安にすればとりあえず安心です。

が・・・
我が家ではあくまでも“目安”と考えています。

有機認定を受けるには、農家の方にかなりの経済的負担が強いられるようで、
小規模農家にはとても無理だと言われています。

けれども、小規模でも・・・と言うよりも小規模だからこそ
誠実な生産者はとても多いのです。

認定のために費用をかけ、商品の値上げしなければならないくらいなら、
その分を消費者に還元した方がいいという方もいます。

例えば、我が家で定期購入しているオーガニックのお米やお茶には、
有機JASマークがついていません。
けれども私たちは、日々安心してそれらをいただいています。

生産者の方とやり取りしているうちに、
その方の誠実さがとても伝わってきたからです。

もちろん初回はお試し購入ですし、
完璧を求めている訳でもありません(そんなもの、あるわけないしね)。
会ったことがない人でも、
『人となり』は、やり取りの端々に表れるんですよね。
生産者が信頼できるということは、「有機マーク」よりずっと確実だと思うのです。

「商品を買う」という行為には、
「その商品を作る人や売る人を応援する」という意味もあります。

世の中のために何の役にも立てない私にできる、数少ないことのうちのひとつ。

全部は到底無理だけど、
世の中に迷惑かけてる方がすっと大きいけど、
それでも、できる範囲で。

「奇跡のリンゴ」を読了

年末年始の休み中に「奇跡のリンゴ」を読了。

絶対不可能言われていた無農薬無肥料によるリンゴ栽培を実現させた
農家・木村秋則さんの記録です。
現在木村さんのところには農業関係者だけではなく
会社経営者から自殺志願者までが相談に訪れる上、
世界中から講演依頼があるそうですが、
この記録が一農家の単なる苦労話に過ぎないなら、
これほど大きな反響を呼ぶことはなかったでしょう。

確かに、全ての人間が気づくべき理に触れる内容でした。

それにしても、リンゴの無農薬栽培がそれほど難しいことだったとは・・・
この本を読んで初めて知りました。
全くの不勉強で、情けない限り。
普段『なるべく食べるものは自然食に』と心がけているつもりですが、
言われてみれば、減農薬はともかく完全無農薬のリンゴを目にしたことは
これまでに一度もありませんでした。
木村さんが無農薬栽培に成功した今でも、無農薬リンゴの絶対数は極僅かで、
簡単に入手することはできないようです。

以前、農薬会社に勤める知人がリンゴを剥く時に
上半分をかなりざっくり切り捨てているのを見てびっくりしたことがあります。
ヘタ周りのくぼみに農薬がたまるからだそうで、
社内では常識になっていると言っていました。
この本を読んでも分かるのですが、
通常の栽培方法だとリンゴにはかなりの量の農薬が散布されるようです。

「りんごは医者いらず」ということわざも、まんざら間違えでもないようなのですが 、
農薬のことを考えると複雑な気持ちになります。

これは「だったら食べなきゃいいじゃない」という単純な問題ではありません。
また、現代農業のリンゴ農家を責めるべき問題でもありません。
どうしてリンゴは、『無農薬栽培は不可能」と言われるような状況になってしまったのか、
まずはそこから知る必要があるようです。

教育問題や温暖化問題や、日本国債の現況を指摘して
子供たちの将来が心配だと憂う人がいます。
それらの話題にくらべると、
農薬と子供の将来がむずびつけられて語られることはあまり多いとはいえません。

「子供の将来」とはつまり、
「ありとあらゆるものにとっての未来 」と同義。

子供の未来を考える時、食の問題についてまったく無関心なのは、
致命的な認識不足なのだということが、この本を読むとはっきりと分かります。

ちなみに、この世界に木村さんのような人間がいるのだと知るだけでも
幸せな気持ちになります。
表紙の写真! 何とも素敵な笑顔ですよね。

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2011年 更新スタート!

あけましておめでとうございます。

本日から新着アップ再開、相も変わらずのんびりペースの更新になると思いますが、
本年も何卒よろしくお願いいたします。

今年、一番最初に入荷したのはハンガリーの絵本でした。
昨年末に出版されたReich Karolyさんのボードブック絵本2冊からスタートです。

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こちらは静岡県の中田島海岸で撮影した初日の出です。

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