*たわごとコラム
気楽に言葉にすることができない
なかなかコラムを更新できずにいます。
思うことは多くても、気楽に言葉にすることができないのです。
世の中が混乱すればするほど、
心を澄ませて「大切なもの」を見失わないようにしなければ・・・と思います。
それを見失ってしまったら、あるいは、
そもそも見極めることができないのであれば、
道はどこまでもそれていってしまいます。
本当に「大切なもの」はなんなのか・・・
今まで「大切だ」と思ってきたものは
本当に「大切なもの」だったのか・・・
ただ、そう思わされてきただけなのではないか・・・
情報は溢れていますが、
その中に答えを求めても空回りするだけです。
どこかの誰かが決めた指針ではなく、
内なる声に耳を傾けながら生きるしかないのだと、今改めて痛感しています。
生きることは、大小の選択の連続・・・
選択・決定を避けて、責任を逃れることはできません。
何も選ばないとしたら、何も選ばないという選択をしたことになるからです。
それが後にどのような結果を生んでも、文句は言えません。
自分が選択したことなのですから。
個が、自分という “1” を侮らず
本当に「大切なもの」とはなんなのかを自問しながら日々の選択を繰り返えせば、
例えそれぞれの選択がどんなに小さなものであっても、
少しずつ未来が、より明るい方へ変わっていくと、信じたい。
そうすれば「何が豊かなのか」という基準そのものが変化するに違いありません。
「分かち合いたいと思えるもの」だけを記す・・・
それがこのコラム欄のささやかなコンセプトです。
これからも、ここには平凡な日常の一コマを記述してゆこうと思っています。
「こんな時代になんて脳天気な」と映るかもしれませんね。
でも、それでいいのです。
何故ならそれが私には、本当に「大切なもの」の一つだと思えるからです。
当たり前だと思ってしまっているもの、それが最も守りたいものなのですから。
わたし(たち)にとって大切なもの
谷川俊太郎の「生きる」という詩を読んで
もうひとつ
こんな詩を思い出しました。
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詩集「死者の贈り物」- 長田 弘 より
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わたし(たち)にとって大切なもの
何でもないもの。
朝、窓を開けるときの、一瞬の感情。
熱いコーヒーを啜るとき、
不意に胸の中にひろがってくるもの。
大好きな古い木の椅子。
なにげないもの。
水光る川。
欅の並木の長い坂。
少女達のおしゃべり。
路地の真ん中に座っている猫。
ささやかなもの。
ペチュニア。ベゴニア。クレマチス。
土をつくる。水をやる。季節がめぐる。
それだけのことだけれども、
そこにあるのは、うつくしい時間だ。
なくしたくないもの。
草の匂い。木の影。遠くの友人。
八百屋の店先の、柑橘類のつややかさ。
冬は、いみじく寒き。
夏は、世に知らず暑き。
ひと知れぬもの。
自然とは異なったしかたで
人間は、存在するのではないのだ。
どんなだろうと、人生を受け入れる。
そのひと知れぬ掟が、人生のすべてだ。
いまはないもの。
逝ったジャズメンが遺したジャズ。
みんな若くて、あまりに純粋だった。
みんな次々に逝った。あまりに多くのことを
ぜんぶ、一度に語ろうとして。
さりげないもの。
さりげない孤独。さりげない持続。
くつろぐこと。くつろぎをたもつこと。
そして自分自身と言葉を交わすこと。
一人の人間のなかには、すべての人間がいる。
ありふれたもの。
波の引いてゆく磯。
遠く近く、鳥たちの声。
何一つ、隠されていない。
海からの光が、祝福のようだ。
なくてはならないもの。
何でもないもの。なにげないもの。
ささやかなもの。なくしたくないもの。
ひと知れぬもの。いまはないもの。
さりげないもの。ありふれたもの。
もっとも平凡なもの。
平凡であることを恐れてはいけない。
わたし(たち)の名誉は、平凡な時代の名誉だ。
明日の朝、ラッパは鳴らない。
深呼吸をしろ。一日がまた、静かにはじまる。
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