*たわごとコラム

たまには古本屋的お話でも・・・その4

先日ご紹介したTrnkaの作品「PHADKY Z TISICE A JEDNE NOCI」は
2000年に発行されたものが、現在でも入手可能(在庫僅少−
在庫切れの可能性もあり)ですが
この版の本体表紙は、布張りではありません。
布目の入った特殊紙で、孔雀の絵は通常の一色刷り
ダストカバーにはマットのPP加工(防汚コーティング)が
施されています。
ちなみに、1975年版・1985年版 のダストカバーには
PP加工がされていないため、
少々経年劣化が目立ちます。

現在、チェコで出版されている児童書に、
布張りの装丁のものはほとんど見当たりません。
それどころか、ダストカバー付きのものも稀です。
日本やアメリカでは、まだまだカバー付きの絵本は健在ですが
世界的に見ると、“カバーなし”の方が
主流になってきているようです。
カバーはもともと、本を保護するために付けられているもの。
本体の表紙にPP加工が施されていれば、それで充分ともいえますし、
カバーを付けない分、制作コストも下がりますしね。
合理的に考えれば当然の動向ですが、だからこそ一層、
重厚な装丁の古書には、今の本にはない特別な存在感を感じるのです。

5-28.jpg
2000年版の本体表紙

たまには古本屋的お話でも・・・その3

最近ちょっと、おもしろい発見をしました。
この写真は、旧ソ連(ベラルーシ)の絵本の表紙画像です。
2枚とも同じ写真に見えますが、よ〜く見ると微妙に違うのが分かるかと思います。
実はこの写真、同じ作品の1982年版(左)と、1986年版(右)です。

5-25a.jpg  5-25b.jpg

最初は印刷の違いだと思っていたのですが、2册をじっくりと見比べてみて
原画が違うことに気がつきました。
下の写真は、中ページを比べてみたところです。
ほとんど同じに見えますが、細かいところを見ると、違う絵であることが分かります。

5-25c.jpg

ページの左上に描かれている猫を拡大してみました。
こうしてみると、さらに違いが分かりやすいと思います。

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どちらの本も、イラストレーターの名前は同じ。
発行年が違うだけで
、テキストや構成はまったく同じです。
1986年版にアレンジした部分や、修正を施している部分はありませんので、
“なるべく同じように”
描いていることが分かります。

原画が消失してしまった作品を再刊する場合でも、このようなパターンは
あまり目にしたことがありません。
いったい、この作品に何があったのでしょうね?

たまには古本屋的お話でも・・・その2

版によって違いあることを知ると、
『じゃあ、どの版が一番いいの?』と
思ってしまうかもしれませんが、こればっかりは一概には言えません。
好みの問題もありますしね。

市場では、初版に付加価値が付くというのが常識ですけれど、
何度も改訂を繰り返しているタイトルは
カバーデザインによって、人気度が違ったりすることもあります。

例えば絵本の場合、“原画の色に近い”という意味では、
古い版よりも印刷製本技術が進歩した
新しい版の方が優位かも知れません。
けれども、ことはそんなに単純ではなく、
原画そのものが経年による劣化を起していることがあります。
それどころかすでに消失してしまっていることさえあるのです。
となると、劣化のない原画から版を制作した古い本の方が、
“原画の色に近い”場合もあるわけです。

まあ、そういうことを論ずる以前に、
同じ作品の全ての版を見比べることなど、
滅多にできることではありません。
結局、古本との出会いは一期一会。
出会えた本が、自分にとって縁のあった本だと、私は思っています。

こんなちっぽけな古本屋でも、出会える本が少しだけ多くなるので、
前述のコラムのような、“違った版を見比べる”
という機会がたま〜に巡ってきます。
どちらがよりいいか、ということよりも、
その違いそのものがとても興味深く感じられるのです。
そこには、時代の流れや、その国の出版事情や、
携わった人たちの思いが表われています。

たまには古本屋的お話でも・・・

このまま梅雨になってしまうのかしらね。
“五月晴れ”ほどしあわせなお天気はないというのに、なんだか残念。

さてさて、いつも本とは何の関係もない“たわごと”ばかり書き連ねているので
たまには古本屋的お話でも・・・

古本のネット販売でいつもジレンマを感じてるのは、やはり
実際に手にとって商品を見ていただくことが出来ないということ。
紙質とか、印刷の具合とか、なるべくコメントするように心掛けてはいるのですが
それでもやはり限界があります。

例えば、同じタイトルでも、版の違いによって微妙に印刷色が違ったり、
使われている紙や装丁が違ったりするものも多くて、
これらをタイトルや発行年のみの添書きでご紹介するするのは
ちょっと不案内過ぎるのではないかと思っています。
かといって、ネットShopではこの微妙な違いをお伝えするのは難しく、
版の違いによってあきらかに品質の違う本は、なかなかサイトに掲載できずにいます。

写真でどれだけ伝わるか不安ですが、比較的違いの分かりやすい本を例に上げてみますね。

こちらは、現在チェコの絵本コーナーでご紹介しているJiri Trnkaの「PHADKY Z TISICE A JEDNE NOCI」の古本です。向かって左が1975年に発行されたもの、右は1985年に発行されたもののカバーです。
若干色味が違うのが分かるでしょうか?

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1975年版
1985年版

こちらは本体表紙の写真です。
どちらも布張りですが、色が違います。
さらに、1975年版は孔雀のイラストが金箔のエンボス、1985年版はシルク印刷になっています。

5-22a.jpg 5-22b.jpg
1975年版
1985年版

こちらは見返しの写真、左右逆に撮ってしまったのですが
青い方が1985年版、オレンジの方が1975年版です。

もちろん、原画やテキストはまったく同じですが、印刷や装丁が違うので若干印象が異なります。
版による違いは、一目では分からないような微妙な差であることもあるし、
大きく改訂されることもありますが、厳密にいえば、印刷が違えばまったく同じ本にはなりません。

どの版であろうと、一冊だけ見ている分には「この本はこういうものだ」と、特に何を感じることもないものですが
こうして見比べてみると明らかに違いがわかるので、単純に“同じ作品”とは受け止められなくなってくるのです。

・・・なんだか、ちょっと長くなりそうなので、“つづき”にしてしまいます〜、ごめんなさい。

“穏やかな気持ち”も湧いてくる

時々ふと“悲しい気持ち”が湧いてくる・・・けれど
同じような感覚で、時々ふと“穏やかな気持ち”も湧いてくる。

例えば、昨日の夕方もそうでした。
街中を寄り道しながら歩いていると
風はオレンジや、ジャスミンの薫り、
小道に入れば、夕御飯のおばんざいのにおいも漂ってくる
家々の窓に灯がともって、各々の暮しが垣間見える
苦労しているかもしれない灯、 幸せいっぱいかもしれない灯・・
窓を開けている家もちらほら・・・夏の気配。
いろんなことがあるけれど、今日、この街はとにかく平和だった。

そんな時、ふと “穏やかな気持ち”が湧いてくる・・・のです。

そして、美味しいパン屋が見つかった。

時々意味もなく“悲しい気持ち”が湧いてくる・・・
なんて言いましたが、そんなことは当たり前なことかも知れませんね。
今この時にも、世界のどこかで戦争が続いていて、環境破壊が進んでいて
動物実験が行われていて・・・・
いつだってそこに焦点を合わせたら、
“悲しい気持ち”が湧いてくる・・・
けれども、悲しんでばかりいたら一歩も先に進めなくなってしまうから
各々の“今ここ”に集中できるように、人は出来ているのよね。

   >これからちょっと、散歩に行ってきます。
   >「すぐ近くにあったものじゃな〜い」を見つけるために。

前回のコラムにそう書きました。
で、実際に見つけたものがあるので報告します。

本当は、毎日散歩する度にいろんなものが見つかりますし、
「すぐ近くにあったもの」というのも例えの表現で使ったつもりなのですが、
今回はたまたま、文字通り“近く”で発見があったので・・・

実は今、私はある人の“終の棲家”探しを手伝っています。
そこで、散歩ついでに我が家を紹介してくれた地元の不動産屋さんに立ち寄りました。
物件のことについて相談したのに、何故かその不動産屋さんの夢が、
近い将来パン屋を開くことだという話になって、
最後には、となり街にあるという美味しいパン屋さんを紹介してもらって帰ってきました。
“終の棲家”を探しに行ったら、美味しいパン屋が見つかった・・
まあ、こちらに引越してきてからというもの、そういうことはちょくちょく起こります。

美味しいパン屋と聞けば、行かないわけにはいきません。
近所にそういう店があったらな〜といつも思っていたのですから。

車を走らせること15分・・・それだけの価値がありました。
久々に食べ物で感動しました。
パン屋さんは星の数程ありますが、食べて感動するパンを売る店は
そう簡単には見つかりません。
こんな店がこんなに近くにあったなんて・・・

どのパンもみんな美味しそうでしたが、はやる気持ちを押さえて
まずはバケットと黒パンと、それから自家製のベーコンを買ってきました。

とにかく!
これらのパンには、店主のこれまでの“歩み”の味がしました。
誠実さや、こだわりや、豊かな人生観を感じさせるパンでした。

食べ物は命の源・・・
別に、哲学や栄養学の話をしているわけではありません。
からだを壊してからというもの、実際に身体感覚として感じるようになったのです。
元気なものを食べると、元気になります。
食べるとは、他の命をいただくことです。
栄養があるとかないとかいう以前に、エネルギーのあるものを食べれば元気になるのです。
新鮮で健康な野菜を食べると、元気になりますが、
人が作った加工品の場合、作り手の気をいただくことになるのだということに
このパンを食べて、改めて気付かされました。

おいしい、おいしい、といってパンを食べているうちに
私は元気になりました。
こうしていろいろなものからエネルギーをいただいて、生きているのよね。

本当に本当に“ご馳走さま”でした。

ブレッド&サーカス
http://breadandcircus.petit.cc/pineapple1/
*送ってもらうこともできるようですが、実際に店に行って購入するのがおすすめ。
 店主に会えば、より元気が伝わってきますからね。

悲しい気持ち

バイオリズムか、月の影響か、
はたまた遠い記憶が無意識のうちに尾を引いているのか
時々意味もなく“悲しい気持ち”が湧いてくることがあって
あれのせいかな?と思えばそうでもあるし、
いや、これのせいだと思うと、そのようにも思えてくる・・・
何か悲しい夢を見たのだけれど、その内容を思い出せなくて、
目覚めた時に、ただ“悲しい”という気持ちだけがぼんやりと残っている・・・
そんな感じ。
そういう時は、探し物をしたくなるのよね。
何か、“この世界は、こんなに素敵なんだ〜”と実感できるモノ。
で、実際にそういうモノが見つかると、だいたい
『なんだそれってもうずーっと前から、すぐ近くにあったものじゃなない』
って、気がつくのよね。

これからちょっと、散歩に行ってきます。
「すぐ近くにあったものじゃな〜い」を見つけるために。

雨の月曜日

今回のゴールデンウィークは、ボーイフレンズたちと
ドライブ、竹馬、ソフトクリーム、ジェンガ、大騒ぎ・・・・
などなど楽しい時間を過ごして、
気がついたらあっという間に終わっていました。

なんだかいつも“あっという間”
楽しいと、環をかけて“あっという間”
子供たちの成長も“あっという間”
「私たちが遊んでもらえるのも、彼女ができるまでだねぇ。」などと、
まるで、じいさんばあさんのように
店主A&Bは、雨の月曜日を過ごしておりまする。

さて、店主としましては、
今月はもうちょっと新着UPに力を入れなくてはと思っています。
連休前半に不覚にも蔵書の整理に着手してしまいましたので
発掘品がいろいろ出てきました。
(・・・・って、別に巨大な書庫があるわけでもないんですけどね。
慢性的本棚不足で、本の列の後ろに、もう一列あったりするんです。)

今月のUPは洋古書が多くなるかも知れません。

遊ばないと大人になれない

先日、店主Bがクロッキーと浜に散歩へ出かけようとしたところ、
途中から 近所の子供たち数人がゾロゾロとついてきたそうです。

「子供って、やっぱりすごいね〜」
帰宅後に店主Bがしみじみ言いました。
「放っておいても、自分たちでどんどん遊びを考えて
ものすごい集中力でそれをやり続けるんだよ・・・」

砂にどれくらい深く足跡を付けられるか競争
砂の表面に出来た固まりをなるべく大きく取る遊び
テトラポットのジャングルジム・・・
どんなものでもおもちゃになるし、
何を見てもびっくりする。

海の近くに住んでるのだから、砂浜なんて見慣れているはずなのに、
波を見るだけで大はしゃぎして
魚が跳ねるたびにびっくりして・・・

子供って、そんなふうに学んで、深くなって、豊かになって、
成長してゆくんですね。
やっぱり、遊ばないと大人になれないんだね。
私も成長が足りないから、今度一緒に遊んでもらおう。

しまった〜

この週末は、久しぶりの晴天。
なんだか急にむくむくとやる気が出て、
「ちょっと本棚でも整理しようかな〜♪ 」と鼻歌まじりに始めてしまいました。
やり始めたら、あっちも気になる、こっちも気になる・・・

あ〜〜しまった〜〜
今日もやったけど、まだ終わらない。
私ってば、よりにもよってせっかくのゴールデンウィークに
何故こんなことを始めてしまったのだろう・・・

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