*たわごとコラム

自分で自分をほめてあげたい

風邪を引きました。
1日目は寒気とくしゃみ、2日目は頭痛で寝込んで
3日目にはほぼ治りました。
優秀、優秀(自分で自分をほめてあげたい・・・笑)

昔は、ちょっとぐらい具合が悪くても、
なんだかんだで無理をして、結局こじらせてしまうことが多かった・・・
その時は、「休んだら○○に迷惑をかける」とか、
「仕事が滞る」とか、それなりに理由はあったのだけれど、
今振り返ると、
目先のことばかりを見ていて一番大切なものが見えてなかった・・・
ということがほとんどです。

病気で寝込んでいたら、誰かの看病をしてあげることもできません。
・・・って、なんか変な言い方だけどね。

人生はエラーだらけ

「僕の人生に初めて起きたエラー」
と、18歳のT.N は言いました。

エラー・・・
小学生の頃からコンピュータ少年だった、Tらしい表現・・・

彼の母であり、私の友人であるJさんは、1月に突然倒れて以来、今も眠りの中にあります。
それは、彼の受験日の前日でした。

N家とは、家族ぐるみの長いお付き合いで、
3人兄弟の長男Tとは、時折時間を忘れて、いろいろな話をします。

「私は君よりもちょっと長く生きているけれど、人生はエラーだらけだよ」
と、とっさに私は答えていました。

突然それまでの日常が変わってしまうような予期せぬ出来事をエラーというなら、
まさに人生はエラーだらけ。
そもそも予期できることなど、どれくらいあるだろう?

後になって思えば、18歳のTにとっては何の救いにもならない答えですが、
それは間違いなく “君よりもちょっと長く生きている” 今の私の実感です。

だからといって、私ごときに偉そうなことはなにも言えないのですが、
口先だけのきれいごとを言っても仕方がありません。

生きていれば、どんなことでも起こりうる。
それはおそらく、何人も抗うことのできない真実です。
若いTには、これからもたくさんの”予期せぬ出来事”が起こるでしょう。

ただあの時の会話では、
“予期せぬ悲しい出来事”のことばかり話していたような気がして、
少し言葉が足りなかった、と今になって思うのです。

“予期せぬ出来事” は、決して”悲しい”ことだけではないのだということを、
もっとちゃんと伝えるべきでした。
つまり、未来にはあらゆる可能性があるのだということを。

「例えば、君たち家族に出会えたこと。
 こうして成長した君と、心を割っていろんな話ができるようになったこと。
 自分の未来にそんなことが起こるなんて、私が君と同じ年だった頃には、
 予想もできなかったよ」

生きるって、悲しいことも多いけど、まんざら捨てたもんでもない・・・

それも間違いなく、”君よりもちょっと長く生きている” 今の私の実感です。

けれどもそんなこと、Tはきっと分かってる
・・・それでもやっぱり、ちゃんと言葉にして伝えたいのです。

メールでシェアしあっている映像

犬好きの友人が教えてくれた映像です。
地球の裏側では、かなりの人気者になっているようです。

店主Bは「この子は楽しんでいるのだろうか?」とちょっと心配していますが、
この映像を見ている限り、いやがっている様子はないような気がします。
・・というか、やっぱり楽しそう・・・

 

*音が出ます! 
 上部のグリーンの帯は関係ないので無視してください。


上の画像が見られない場合は、こちら。
http://www.youtube.com/watch?v=9UenPv_Ajfw

こちらは私が返事に添えた映像。

私たちはいつも、こんな映像を見つける度に、
メールでシェアしあっているのです。

上の画像が見られない場合は、こちら
http://www.youtube.com/watch?v=N9-3zfs33a0

いいことノート

「いいことノート」をつけたことがありますか?

最初に考えた人が誰なのかは知りませんが、
時々、物語やドラマやエッセイにも登場します。

「よろこびノート」とか「元気ノート」とか「ありがとうノート」とか、
名称は様々ですが、いずれも自分が感じたポジティブなことを
書き留めるノートです。

確か、子供の頃に読んだ児童文学にも、そういうストーリーがありました。
悲運な主人公の少女が、懸命に“いいこと探し”をして、
つらい日々を乗り越えてゆくという筋書きです。
その少女がノートに記録していたかどうかはうろ覚えなのですが、趣旨は同じです。

実際に「よろこびノート」をつけることで苦境を脱したことがあるという作家さんの
エッセイを読んだこともあります。
どんなことでもいいから、その日、何かうれしかったと感じたことを書く・・・
最後に「・・・でうれしかった」としめくくる・・・

物語でも実話でも、 私の知る限りそのノートは、
苦しみの中で光を見いだすために使われていました。
出口の見えない暗闇の中で、
少しでも“生きる”ことに対して前向きになれるように、
どうにかこうにかポジティブと思えることを探し出し、ノートに記すのです。

そもそも苦境の中にいながら、ものごとをポジティブに捉えるなんて、
そう簡単にできることではありません。
ですから、ノートに記されるのは大抵日常の中のささやかな、
本当に他愛もない出来事ばかりです。

「今日はネクタイがうまく結べた」
「卵がちょうどよく茹でられた」
「時計を見たら、たまたま3時33分だった」
「公園でかわいい犬を見た」

とるに足らないようなことでも、それを記すノートを作ることで、
凍り付いた心が少しずつ、小さな光を感受できるようになってゆくのです。

少し趣旨が違うかもしれませんが、実は・・・私もつけています。
ノートの名前は「“たわごと”コラム 」。
そう、このコラムです。

一応、ショップのTOPページですし、
プライベートな日記を書くのとは心持ちが異なりますが、
それでもこのコラム欄は私にとって、
気づきや、感動や、感謝や、学びや、よろこび・・・を記録しておくノートです。

このサイトを立ち上げた当初、本欄にはお知らせや商品情報などを掲載していました。
時折、極短い店主からのメッセージを添えていましたが、
みなさんから、折に触れそのメッセージに対してのお返事をいただくようになり、
いつしか、こうした“たわごと”を連ねるようになってゆきました。

私は元来筆無精ですし、プライベートな日記やブログだったら
到底続けることはできなかったと思います。
そして、誰かの目に触れるかもしれないこの場所に
私というちっぽけな人間が、個人的な内容で記してもよいことがあるとすれば、
それはやはり、『分かち合えればうれしい』と思えるものだけです。
もちろん、それらはすべて、とても個人的で、
とるに足らないことばかりだと自覚しています。
その上、脱線することもしばしばで、なんの脈絡もないのですが、
そういう気持ちでコラムを書いていたら、
いつの間にか私なりの「特別なノート」になってゆきました。
「いいことノート」というよりも、子供の頃、
拾ったドングリや貝殻を入れていた「宝物箱」にイメージが近いかもしれません。

こんなへっぽこりんなコラムでも、今となっては数も増え、
小さいながらも確かな光となって、
道を見失いがちな私の足下を照らしてくれます。

いつまで続けられるか分かりませんが、続けられるうちは、
この「宝物箱ノート」にできるだけたくさんの
ドングリや貝殻を集めたいと思っています。

イマジンを聞く度に

10月9日は、故ジョン・レノンの誕生日
生きていれば70歳
亡くなったのは1980年ですから、もう30年も経つんですね・・・

煩雑さの中で大切なものを見失っていても、
時とともにあらゆることが風化していっても、
イマジンを聞く度に、決して変わることのない普遍的なところに
一瞬にして立ち戻れる気がします。

発表当時は「共産主義の歌」と言われ、
宗教家達からもクレームがつきました。
ベトナム戦争やイラク戦争の時には、放送規制の対象になったりもしました。

歌が規制される世の中なんて・・・本当に恐ろしい。

平和を揺るがす大事件が起きた時に流されることが多い歌ですが、
もう、そんな場面で聞きたくはありません。

そもそも、そんなことが起きないようにという
メッセージが込められた歌でもあるのですから。

この歌が本当の意味で不要になる時代は、
いつ、やってくるのでしょうね。

Imagine there’s no heaven
It’s easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today….

Imagine there’s no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace….

You may say I’m a dreamar
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world….

You may say I’m a dreamar
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will live as one

想像してごらん 天国なんて存在しないと
やってみれば簡単さ
僕達の下に地獄なんて無い
僕らの頭の上にはただ青い空が広がっているだけ 
想像してごらんすべての人々が
今日という日を生きているんだと…

想像してごらん 国境なんて存在しないと
難しいことじゃない 
殺すことも誰かに殺されることもない 
宗教なんてものも存在しない
想像してごらん すべての人々が
平和のうちに暮らしていると…

君は僕のことを単なる夢想家だと言うかもしれない
でも、僕独りじゃないんだ
君もいつか、僕らに加わってくれるといいな
そして世界は一つになるんだ

想像してごらん 所有なんて存在しないと
君にできるだろうか
貧困になったり飢えたりする必要はない
兄弟同志なのだから
想像してごらん すべての人々が
この世界を分かち合っているのだと…

君は僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも、僕独りじゃないんだ
君もいつか、僕らに加わってくれるといいな
そして世界は一つになるんだ

http://www.youtube.com/watch?v=okd3hLlvvLw&feature=related

秋が来ました

昨日も今日も気持ちのいい秋晴れで、家中の窓を開け放して過ごしました。
窓を開けていると、風がいろいろなものを運んできてくれます。

10月1日の午前中のこと

「あ、木犀が咲いた・・・」

さわやかな風の中に、かすかに木犀の花の香りがしました。

私は木犀の花が大好きなので、かなり精度のいい“木犀の香りセンサー”を持っていて、
少しでも その小さな花がほころぶと、風のにおいでわかります。
(ちなみに、杉花粉のセンサーも持っています。・・苦笑)

2.3日前に散歩した時にはまだ、つぼみは堅く閉ざされていたので、
1日のうららかな陽気で一気にほころんだのでしょう。

本日2日、土曜日ですし、とりあえず家事も仕事も後回しにして
散歩に出かけました。

家の中にいると寒いくらいなのに、太陽の下に出ると汗ばむほどの陽気。
それでも、つい2週間ほど前まで続いていたあの猛暑はすっかり姿を消して、
秋らしい爽やかな風が吹いていました。

この街には大きな木犀の木がいくつかあって、花がすっかりほころぶと、
街全体がいい香りに包まれます。

木犀の花は一週間もすれば落ちてしまいますし、
その間に強い雨が降ったりすれば、花期は一層短くなってしまいます。

写真を撮ることはできても、香りを止めることはできません。
ですから、毎年この季節は、散歩に費やす時間がとても長くなります。

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この街で一番大きな銀木犀の樹
金木犀よりも香りがマイルドです。

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2日の時点で2分咲きぐらい

いつもは金木犀に先駆けて銀木犀が咲くのですが、
今年はほぼ同時期に開花しています。

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こちらは住宅地の中心にある樹

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足下にも小さな秋

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本日のお持ち帰り
部屋に秋を飾ります。

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