*たわごとコラム

多賀網代文化展 2015

今週末、地元で「多賀網代文化展」というイベントが開催されます。
近隣地区に住むアーティストさんたちによる合同展示会で、今年で5回目。
プレシャス・ブックスとしてではありませんが、うちもささやかながらお手伝いをさせていただいています。

引っ越してくるまで知らなかったのですが、この街には昔から芸術村のようなものがあったそうなのです。
60年代、アートに理解のある大地主さんが、
自由に創作できる環境を熱意あるアーティストたちに無償で提供していたことがあるのだそう。
そういう気風があるからか、最近になっても、
この街を創作の拠点にしようと移住してくるアーティストさんが少なくないそうです。

熱海市というと、リタイアをして第一線を退かれた方々が多く住む町、という印象があるかもしれませんが、
この展示会に出展される方々は、みんな現役で活躍されている方々です。
なにせ、出展の条件に「その道で生計を立てていること」という厳しいルールがあるのです。
つまり、みなさん”プロ”です。

しかも出展者は、1940年生まれから1980年生まれまで、宮大工さんからファッション・デザイナーさんまで、
それはそれは見応えがあります。

今週末熱海に来るご予定がありましたら、是非立ち寄ってみてくださいね。

公式サイト:http://tagajiro.blog.fc2.com/

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そもそも話、つづきのつづき

こうして、私にとって絵本は特別なものになりました。

 
かつて、こんなコラムを書いたことがあります。

絵本に宿るもの
http://preciousbooks.blog26.fc2.com/blog-entry-552.html

「絵本を作る人にも、それを伝えようとする人にも、
自然に、なにか善的なものが作用しているように思うのです。
それがとても根源的なものであるがゆえに、
思いが、あらゆるボーダーを越えて人の心に届くのでしょう。」

弱り切った私の心に届いたのは、絵本の内容うんぬんというよりも、その”善的な何か”だったのだと思います。

 
私が商品開発の仕事に携わっていた時代はバブル景気のまっただ中で、
日本ではまだ”エコロジー”や”ガイア”などといった考え方もあまり一般的ではありませんでした。
そんな時代に私の中に生まれてしまった『?』はどんどん増え続けて、
やがて肉体にまで影響が出てしまいました。

あれから長い時間が経過して、”エコ”なんていう言葉が流行語のように使われるようになりましたけれど、
『?』に完全無欠な答えが見つかったわけではありません。

けれども今では、あの頃の自分よりも少しだけ見えているものがあるのです。

例えば、絵本も”商品”なのですよね。
”商品”である以上、基本的には経済の仕組みから外れることはありません。
それでも、そこに”善的な何か”が宿る・・・
そういう商品は、絵本だけではないのです。

今では、どんなに面倒でも『?』をごまかさないことが大切だと思っています。
少しずつ道しるべを確認しながら、進むしかありません。

 
 
さて、再スタートそうそうちょっと固い内容のコラムになってしまいました。
初心を再認識したところで、次回からはいつもどおりの”たわごと”コラムに戻ります。

そもそも話のつづき

リニューアルを機に初心を振り返るため、「そもそも話」を綴っております。
前回からのつづきです。
 
 
悩んだ末に会社を辞めて、フリーランスで仕事を始めたのですが、
しばらくして身体に不調が出始めました。

仕事仕事でまったく、自分の身体をいたわるということをしていなかったので、
当然といえば当然の成り行きでした。

坂道を転げ落ちるように様態は悪化して、
あっという間に、日常生活すらままならない状況になり、
そこから何もかもが変わってしまって・・・・今に至ります。(はしょり過ぎ?)

その時は、出口の見えないトンネルの中にいるような気分でしたが、
この経験が、会社勤めをしていた頃にむくむくと湧いてきてしまった問いかけに、
少しだけヒントを与えてくれたのだと、今は思えます。

そんな状況下にいると、口に入れられるものも着られるものもとても限られたものになってきます。
花の香りがきつく感じられたり、水道水さえ痛く感じたり、
精神的にも弱っているので、テレビを見るのさえしんどく感じられました。

例えばですね、自分を励まそうと「ポジティブシンキング!」なんて言う本を読んでみようともしたのですが、
これがぜんぜんダメなのです。
ポジティブに考えることの大切さは理解できるのですが、
そもそもどうしたらポジティブになれるのかが分からない。(苦笑)
そういう本は、元気な時にしか読めないものなんですね。

いつしか、文字を追うことすらしんどく感じられて、内容がどうであれ長い文章の本は一切開かなくなりました。

不調は長く続き、”気力”がどんどん失われて、
肉体よりも先に心が死んでしまうのではないかと思えるほどでした。

大変ではありましたが・・・

あの頃、弱り切ったわたしを支え続けてくれたもの、
口に入れることができ、身につけることができ、
目にして癒されたもの、
そういうものたちが、わたしにとっては「本当に必要なもの」だったのだと、
身を以て知ることができたのです。

頭で・・・理屈で考えていた時には、何も分かりませんでした。

そして、「目にして癒されたもの」のひとつに、私の場合は”絵本”があったのです。
 
 

あれれ?また長くなってしまいました。・・・つづく

そもそも、なんでプレシャス・ブックス?

そもそも、なんでプレシャス・ブックスなのか、という話。

 

むか〜し昔(かなり昔)、私は商品開発の専門会社に勤めておりました。
企画開発からデザイン、生産管理、販促、特許や実用新案の取得までを行う会社で、
食品からファッション、雑貨まで、様々な業種の商品開発を請け負っていました。

商品開発というのは、詰まるところ「売れる商品を生み出す」仕事です。
もちろん、そうでない”商品開発”もありますが、どんな企業も利益を出さなければ存続不可能ですから、
基本的には売り上げ向上を目指しています。
商品開発を請け負う会社の使命は、取引先の社内企画では難しい想定外のヒット商品を生み出すことなのです。

私が携わっていたのは主に企画デザインから販促まで。
入社してからしばらくは、自分が企画・デザインしたものが商品になったり、
メディアに載ったり、実際に反響があったりしてとても充実していました。
なにせ、いろ~んなことができる仕事だったので、とってもやりがいがあったのですが、

だんだん・・・そう、ここからが本題なんですけどね・・・
『この商品は、本当に世の中に必要なの?』みたいな疑問が湧いてくるようになってしまったんですよね。

甘い、って言われればそれまでなんですけど、(実際に言われたことあるし)
一度そう考え始めたらもう後戻りはできませんでした。
まだ若かったし、守るべきものもなかったし、真っ直ぐだったんですよね〜。
(って、いつから曲がってしまったのかしら?)

実際に、良いものが必ずしもヒットするとは限らないし、
どんなものでも、広告の仕方次第で売れたりするし、
そもそも、”商品開発”の仕事では「良いものとは何か」という問いは、決して最優先ではないのです。
つまり、「良いもとは何か」ではなくて、「売れるものは何か」っていう基準にどうしてもなってしまうのです。
もちろん、日本は誠実な国ですから道を大きく外れることはあまりないのですが、
それでも販促を目的とする広告は大なり小なり虚構の世界です。

例えばですよ、”切れない電球”が発明されたとします。
安価で、環境負荷が少ない”切れない電球”は良い商品ですが、
電球は一定期間で切れるからこそ消費されて、売れ続けるわけです。
切れない電球は利益がでないので、もしも技術的には可能だとしても、
積極的に販売されることはないかもしれません。
これは、あくまでも「例えば」の話です。

売れるものをたくさん作り続けて、消費し続けて、いつかゴミになって、それでも作り続けないと豊かになれない?
そんな消費社会で、本当にみんな幸せになれるのだろうか?
今幸せでも、その幸せは存続可能なのだろうか?
って、若かかりし頃の私は真剣に悩んでしまって、いつしか”商品開発”の仕事を続けることが苦痛になり始めました。

だったらどうすればよいのか?

あれからだいぶ時が経ちましたが、未だに答えを見いだすことができません。
ず〜っと自己矛盾だらけです。

同じように感じている人は、実は結構多いのではないかと思うのですが、どうでしょう?

そんなこと言っていたら、暮らしていけなくなってしまうとか、
家族を守れなくなってしまうとか、
そういう理由で深追いしないようにしている、あるいはあえて考えないようにしている、
意識的にしろ、無意識にしろ、そういう人は少なくないのでは?
 
 
 
・・・ちょっと長くなってしまったので、つづく。

「たわごとコラム」についての、たわごと。

リニューアルにあたって、「たわごとコラム」をどうするかについても考えました。
これまでもずっと、こんな本屋らしからぬコラムはいかがなものかと、感じ続けてはいたのです。

そもそも立ち上げ当初は、コラム欄は設けていませんでした。
TOPページに「お知らせ」を掲載するとき、短い季節のあいさつ等を添えたりしているうちに、
そんな一文にもお返事をいただけることがあったりして、少しずつメッセージが増えていきました。

内容はいつも、ほとんど本には関係ないことばかりで何の脈絡もありません。
『だったらいっそのこと、コラムはプレシャス・ブックスとは別にした方がよいのでは?』
と一瞬考えてすぐに我に帰りました。
そうそう、私にいくつものサイトを運営できるような能力はないし、
そもそも夏休みの宿題以外日記なんて書いたこともないのに、
純粋にブログだけを続けるなんてできる訳がない。

いっそ、これを機に一区切りにしようかしら、
あるいはもっとちゃんと本屋さん的コラムを書いてみようかしら、とかとか、
いろいろ考えたのですが、結局『いいじゃない、脈絡のないコラムを書く本屋があっても。』
という何の進展もない結論に落ち着きました。

何の脈絡もありませんが、一応私なりのささやかなテーマはあります。

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「分かち合いたいと思えるもの」だけを記す・・・
それがこのコラム欄のささやかなコンセプトです。
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http://preciousbooks.blog26.fc2.com/blog-entry-510.html

・・・と、2011年5月25日の過去コラムでも触れています。
あの大震災の後、あらゆる言葉が虚しく感じられていた時に、
コラムを続ける意味を再認識するために記したものです。

リニューアルにあたって過去のデータを再チェックした際、
久しぶりに自分が記したコラムのいくつかに目を通して感じました。
この12年間いろいろあったけど、決して暗い出来事だけではなかったんだな、と。
いずれのコラムも本当に他愛もないことを取り上げていて、
私自身忘れてしまっていることもいっぱいあったのですが、
だからこそこのコラムを続けてきた意味があると感じました。

この世の中は、目を覆いたくなるようなことであふれています。
あらゆるメディアから、日々暗いニュースが流れてきます。
いかんせんネガティブな事件の方が大きく扱われ、インパクトがあり、印象に残りやすいのです。

この世界は決して真っ暗闇ではない・・・と、私は信じています。
けれども、光はとてもささやかなので、ネガティブなものでかき消されてしまいがちです。

なぜでしょうねぇ、『こんなコラムを読んでくださる人がいるのかしら??』
と思う一方で、コメント欄もなく、最近流行りのSNSなどしていなくても、
なんとなく、”つながり”を感じることができるのです。

分かち合える人がいる・・・・
それがこのコラムを書くモチベーションになっているのだと思います。
それでなければ、元来筆無精である私が何かを書き続けることなどできるはずもありません。

光に焦点をあてようとすることは、闇から目をそらすこととは違います。
それはむしろ、闇に対峙する覚悟を与えてくれるものです。

なので、今後もこのコラムを私自身の備忘録として続けたいと思います。
他愛もなく、何のインパクトもなく、忘れがちな、かけがえのない日々を、書き留めておくことで、
自分の中の小さな光がかき消されてしまわないように。

12年

ホームページのリニューアルというのはお店の改装と同じで、やっぱり”転機”になりますね。
しばし歩みを止めて、なんだかんだで12年続けた「プレシャス・ブックス」を、改めて振り返えりました。
「あっという間だった」というのが実感ですが、データベースを移行するために、
これまでにアップしてきた本たちや過去コラムを再確認したら自分でも驚く程の数になっていて、
それなりに歩んできたんだという実感のようなものがようやく湧いてきました。
12年という時間があればかなりのことができるのだなぁ〜としみじみ思います。
プレシャス・ブックスを始めることによって、出会えた人たち、経験できたこと・・・得られたものは計り知れません。
 
12年の間に世の中も大きく変化しました。
当初は、スマートフォンも、wifiも、ツイッターやFacebookも、確か、ブログさえもなかったのです。
私たちはまだこの街には越してきておらず、埼玉に住んでいました。
”駅前開発が始まるまで”という期限付きで住んでいた家は、今はもう跡形もなく道路になっていると、
ご近所さんだった知り合いが教えてくれました。
この街に住み始めて早9年、今ではすっかり土着して暮らしています。
あっという間でも、長い長い12年でした。
そして、当然のことながらしっかり12年歳をとりました。(苦笑)
 
さてさて、12年後にもプレシャス・ブックスは存在しているでしょうか?
12年後、世の中はいったいどんなふうに変わっているでしょう?

そんなことを考えると、不安とワクワクが入り交じった複雑な気持ちになります。
いずれにしても、次の12年もあっという間に過ぎてゆくでしょう。
先がどうであろうと、できることは今日を生きることだけ。
12年後も12年前を振り返って「得られたものは計り知れない」と感じていたいものです。

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