*たわごとコラム

狙われているみたい

どうも、うちは狙われているみたいです。
去年の春も感じたのですが・・・

お向かいの2軒は、もう入られてしまいました。

特に、 ガレージの周辺で気配を感じるんですよ。
というか、はっきりと姿も目撃しています。

・・・・・巣作りの場所を探しているツバメです。

ごめんね~ツバメさん、扉がないガレージだったら、
本当に「Welcome」なんだよ。

ちなみにお向かいの2軒で巣作りを始めたのはツグミとスズメ。
家主さんは多分知りません。

スズメは屋根の甍の下に、
ツグミは、ずっと閉じたままの雨戸の戸袋に巣を作っています。
去年もそうでした。

鳥たちは、木の枝やら枯れ草やらいろんなものを次々と持ち込んでいるので、
特に戸袋の中はものすごいことになっているに違いありません。

それでも、『どうか雨戸が突然開いたりしませんように』
なんて思ってしまっている私たち・・・(苦笑)

まあ、そのお部屋には人が住んでおらず、
去年の春から一度も窓が開いたことはないので、大丈夫だとは思うんですけどね。

この辺は野鳥が多いので、うちもどこかに鳥の巣があるかもしれません。

知らず知らずのうちに、いろんな生き物と同居してしまっているものなんですね~。
深く考えると、ちょっと怖い。。。。

追記:店主Bによると、戸袋に巣を作っているのはツグミではなくて、ムクドリだそうです。

もっと歩かなくちゃ~

不安定な天気が続いていますね。
雨の日が多くて、まるで梅雨のようです。

たまに晴れ間が広がると、
日照不足の植物みたいに、陽光を求めて外に出てゆきたくなります。
なんだか、家の中にいるのがもったいないような気になるのです。

逆に言うと・・・最近、雨の日は散歩をしなくなりました。

クロッキーがいた頃は、雨の日も風の日も欠かさず散歩に出かけていましたが、
今では、店主A.B共にかなりの運動不足を自覚しています。(苦笑)

散歩が減った分仕事がはかどるかといえば、そんなこともなく、
食費が減るかといえば、大して差はありません。

どうしてなんでしょう???—(謎)

クロッキーがいなくなったということ以外に変わったことはほとんどないのに、
意識していないと散歩に出る時間がなかなか作れないのです。
不思議なものですね。

晴れた日に「今日は散歩に行こう!」なんて、決意したりして、
いろいろ準備をしたりして、
ちょっとしたイベント気分で出かけます。

道ばたや、家々の軒先に咲く季節の花々、
空気のにおいや、風の温度、
偶然行き交う町の人たちや動物たち・・・
同じ道を何度歩いても、いつも違った出会いがあります。

歩かなければ感じられないものがたくさんあって、
“散歩”で得られるものの大きさを実感します。

そしてその度に、「もっと歩かなくちゃ~」と思うのです。

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コンビニの猫

この町には、コンビニが一軒だけあります。
他のお店はみんな小さな個人商店で、スーパーマーケットは一軒もありません。
最寄りのマーケットまで歩いて行けなくもないけれど、ちょっと距離があるので、
特に車を使わないお年寄りや子供たちが、日常的によく利用しています。
私も、時々散歩の途中でおやつを購入したりします。

そのコンビニの駐車場に、一匹の白い猫が住みついています。
越してきた時にはもうここにいたので、
少なくとも6歳以上の猫であることは確かです。

いつも、お店に向かって一番右側の駐車スペースにいるのですが、
知り合いのおばあちゃんによると、そこはこのコンビニの店長さんが
自分の車を止める場所なのだそうです。
店長さんの車が止まっている時にはその下にいて、
最初見た時には、「こんなところにいたら危ないよ」 と思わず声をかけてしまいました。
だけど、実際には皆いつも猫がそこにいるということが分かっているのだそうです。

そのおばあちゃんは、バックの中にいつもキャットフードを持っていて、
コンビニに買い物に来る度に、この猫にごはんをあげています。

寒い冬をどうやって過ごしているのか、暑い夏の日はどうしているのか、
夜はどこで眠っているのか、
時々見かけるだけなので詳しいことは何も知らないのですが、
いつ見てもそこいるし、結構太ってるし、元気そうです。(笑)
毎日のように、おばあちゃんのような猫好きな人が
食べ物を差し入れてくれるのでしょう。

何かを求めて執拗にまとわりついてくる捨て猫もいますが、
この猫は、どこかの飼い猫みたいにいつも満足そうに座っていて、
ちょっかいを出す人にはそれなりに愛想よく振る舞っています。

コンビニに出入りする人間たちの方も、
この猫がここにいるということが、もう当たり前になっていて、
特にどうということはありません。

つまり皆が暗黙のうちに、この猫に「そこにいてもいいよ」と言っているわけです。
この猫は、この町の人たちの優しさをちょっとずつもらって生きているのです。
猫の方も自分の領分をわきまえていて、店の中に入ってきてしまうこともないし、
おねだりすることもありません。

こんなことがあると、保険所に通報する人がいたり、
餌をやる人を迷惑がったりする状況になりがちだと思うのですが、
どうやらここではそういうことが全くないようです。

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この猫を見る度に、なんだか平和な気持ちになって
『ここは、いい町だな』って思います。

桜色の海

昨日から海が赤く染まっています。
ここに越してきてから、こんな色の海を見るのは初めてです。

これはプランクトンの異常増殖に よって起こる赤潮。
海水の富栄養化が主な原因とされるているそうで、
合成洗剤などに含まれているリン酸塩などが問題視されているそうです。
他にも、問題はいろいろ・・・

「桜色できれいだね~」なんていっている人もいたけれど、
マーブルカラーになった海を見ていると、すごく不安になります。

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単純に考えて水は高いところから低いところへ流れてゆき、
いつかは海へとたどり着きます。
水辺に住んでいると、頭で考えるのではなく直接的な感覚で、
変なものは流せないと思うようになります。
昔と違って、下水が直接川や海に流れていくということは少なくなっていますし、
もちろんうちにも浄化槽は付いているけれど、
それでも、自分が流したものが目の前の海に流れ込んでいるという、
リアルな感覚があります。

我が家では、石けんや重曹など、なるべく環境負荷が少ないものを
使うようにしているのですが、
石鹸洗剤を買う時も、99%生分解される・・・なんて表示してあると、
あとの1%はどうなってしまうのだろう?と心配になってしまいます。

どんなに気をつけていても、
毎日何かを流して生活していることには変わりありません。
こんな海を見ていると、なんだかすごく申し訳ない気持ちになるのです。

桜の奇跡

裏山に住む陶芸家Mさんにお招き頂いて、桜を見に。

これが数日前に届いた招待状。
葉書の中程に「さくら さいた」という文字が浮き上がって見えます。

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前日は強風が吹いて嵐のようだったのに、その日は奇跡のように天気が回復しました。
今年に入ってから何かと忙しかったので、久しぶりの小休止。
強風にも散らずにいてくれた花を、心ゆくまで楽しみました。

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Mさんがこの場所に工房を建てた時、庭に苗を植えたというソメイヨシノ。
30年で2階建ての屋根を越える程の大きさになっています。

自分の家の庭に、実もつけず毛虫にも悩まされる桜の木を植えるなんて
愚かなことだと、周りの人から揶揄されたこともあるそうですが、
その桜が毎年どれほどのものを与えてくれているか、
はかり知れないとMさんは言います。
豊かさとはいったいなんなのか、今のMさんの暮らしぶりを見れば、
かつてそんなことを言った人も考え直すに違いありません。

どんな花も美しいのに、何故桜にはこんなにも“特別”な印象があるのでしょう?
その感覚は、私たち日本人だけが持っているものなのでしょうか?
ここ伊豆半島にも桜の名所がいくつかあって、
開花宣言と同時にものすごい渋滞が起こります。
野を越え山を越え、渋滞にハマりながらも桜を求めて移動する民族なんて、
他の国にもいるのでしょうか?

古い年代の人だけの感覚?・・・と思いきや、
最近、桜の歌のリリースがとても多いですよね。
若い人がこぞって桜の歌を作り、歌っている印象があります。
桜はやはり、老若男女を問わず私たち日本人の魂に根ざした花なのかも知れません。

春の嵐にも耐えた儚げな桜の花が、時を迎えると潔く、はらはらと散ってゆきます。
私たちは、その散り際にも特別な思いを寄せずにはいられません。

逝く空に桜の花があれば佳し   北桃子

という句をMさんが教えてくれました。
北桃子とは、故・三波春夫さんの俳名だそうです。
辞世の句だったそうで、その願い通り、開花を待って旅立ったのだとか。

この句を聞いて、西行法師の句を思い出しました。

願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月の頃   西行

Mさんによると、西行法師もまた、その願いを叶えたとのこと。
そしてそれはとても奇跡的なことなのだと教えられました。

この句のように、3月の満月の日、桜を仰げるということ自体が、
なかなか出来ることではないというのです。
考えてみればその通り、ただでさえ短い桜の開花期に満月が重なることは、
むしろめずらしいこと。
もしも暦に恵まれても、その日に晴れていなければ、
その光景を拝むことは出来ないのです。
今年はたまたま三月末に満月の日がありましたが、あいにく天気に恵まれませんでした。
Mさんでさえ、満月に映える桜を見たのは1.2回しかないそうです。

そんな話をしながら桜を眺めていると、
Mさんとの出会いも、この街に越してきたことも、
ここでこうしていることも・・・もう何もかもが奇跡的なような気がしてきました。
全てのことが桜のように、ひと時咲いて散ってゆく。
その“ひと時”が重なって縁を結ぶことは、本当に有り難き奇跡なのだと、
しみじみ思えてくるのです。

この思いも、桜がもたらしてくれたものなのでしょうか?

Little bit

友人Sは、いつも感動したことをメールで知らせてくれます。
最近届いたメッセージは、“Little bit”に関すること。

“Little bit” は、アメリカに住む9歳になるワンちゃんの名前。
病院を訪問してセラピーのお仕事をしているセラピードックですが、
彼自身、全く目が見えないのだそうです。

これが、届いたメッセージ・・・
「9才の黒ラブ君ワンちゃんは本人が盲目なのに、病院を訪問してセラピーのお仕事をしているんだって。little bit (ほんの少し)っていう名前の由来もステキ。彼の存在で地球にいながら、天国をほんの少し味わえるから…だって 」

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実は、我が家にある犬の日めくりカレンダーにも登場します。

この大きな世界の中でlittle bitは、確かにほんの小さな存在かもしれないけれど、
彼と一緒にいるだけで、誰もがまるで天国にいるような、
ものすごく大きな喜びを感じることができるのでしょうね。

私にとっては、友人Sも大切なlittle bitです。

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