*たわごとコラム
花粉症なので?甘酒つくりました。
今年もしっかり花粉症になりました。
けれども例年より少しだけ症状が軽いような気がします。
実は知り合いにすすめられて、去年の末から体質改善のためにショ糖をなるべく食べないようにしているのですが、
もしかすると、それが功を奏しているのかもしれないと密かに期待しています。
まあ、いろいろな条件によって症状も変わってきますので、気のせいかもしれないんですけどね。
ちなみに「ショ糖」は、イコール砂糖ではありません。
糖にはいろいろな種類があって、オリゴ糖とか、麦芽糖とか、ブドウ糖とか・・・その中の一つにショ糖があります。
つまり、「ショ糖」を断つといっても甘いものが全てダメというわけではないので
『それなら楽勝だわ』と気軽に決意したのです。
その後よくよく調べてみたところ、一般的に使われているサトウキビを原料とする砂糖の組成は、
そのほとんどがショ糖であるということが分かりました。
製精度の高いグラニュー糖なんて、99%以上がショ糖です。
ってことは、砂糖が入っているものは食べられないということになります。
そして、砂糖が入っていない加工品が非常に少ないことを今更ながらに知って愕然としています。(苦笑)
甘いお菓子に砂糖が入っていることは簡単に予想がつきますが、
例えば調味料とか、ハムとか、かまぼことか、漬け物とか、そういう甘い味がしない食品でも、
裏書きをチェックすると、かなりの確率で入っていることが分かります。
う〜ん、こんなはずでは・・・と思いましたが、
それで体質改善できるのならと、あきらめずに実践することにしたのです。
まずは、ショ糖以外の糖を探しました。
なにせ、甘いものはやめられません。(笑)
一見大丈夫そうなオリゴ糖として売られている砂糖も、
オリゴ糖の割合が多いというだけで100%というわけではないようです。
いろいろ調べてみた結果、蜂蜜とか、麦芽糖の水飴とか、甘酒などがよいことが分かりました。
今では、お店に並んでいるお菓子はほとんど買いません。(偉いぞ!私)
最近、米麹を仕込んで自家製甘酒を作ったりしています。
そして、そうやって手間ひまかけた甘酒が、うっとりする程おいしいことを知りました。
お正月に神社に初詣に行ったりすると、甘酒が振る舞われていることがありますが、
ほとんどの場合は酒粕を水に溶いて白砂糖を混ぜたもので、米麹から作る本物の甘酒ではないようです。
うちの近所の神社で振る舞われるものも、こうして作られています。
私はこれがとても苦手で、子供の頃から一度も最後まで飲み切れたことがないのです。
なので、最初は甘酒というものに「あまりおいしくないの」という思い込みがありましたが、
今回のことを機に、自分の勉強不足を思い知りました。
せっかくですから、もうちょっといろいろ研究してみたいと思っています。
身体がポンコツだと大変ですが、結構お勉強にはなります。
今年も、春がやってきました。
窓から見えるコブシの花が満開です。
鳥たちが、巣作りのための枝をくわえて飛んでいます。
今年も、春がやってきました。
あれから、4年が経ったのですね。
被災地の復興はまだまだ進んでいないのに、他の地域の人たちの中では、
すでに災害の記憶が風化し始めているといわれます。
私たちには、決して忘れてはならないことがたくさんありますが、
その一方で、意識を未来に向けなければ生きていけないという現実もあります。
今年も、春がやってきました。
あの日、当たり前のことなど何もないのだと知りました。
どんなに時が経っても、このことだけは忘れてはならないのだと思っています。
見えている世界は・・・
最近、一枚のドレスの画像がネット上で大きな話題になりました。
見る人によって色が違って見えるというのです。
http://swiked.tumblr.com/post/112073818575/guys-please-help-me-is-this-dress-white-and
「青と黒」に見えるという人もいれば、
「白と金」に見えるという人もいて、
中には、見る時間によって色が違うという人もいるんだとか。
ちなみに私には「少し暗い所に置かれた白と金のドレス」に見えます。
何度見直しても、やっぱり白と金にしか見えません。
同じように、どう見ても青と黒にしか見えないという人もいて、
『いったいどうなっているの?』と世界中の人が首を傾げているのです。
ちょっと調べてみると、
「後ろから光を浴びている逆光の画像」と認識すると白と金、
「全体が白飛びしている画像」と認識すると青と黒、
に見えるそうで、つまり脳がどう認識したかによって見え方が違ってくるということらしいです。
そして、一度脳がそう認識してしまうと、なかなか他の色には見えなくなってしまうのだそうです。
実際のドレスの色は青と黒なのだそうですが、
見え方の理屈を理解しても、実際の色を知っても、やっぱり私には白と金にしか見えないないんですよね〜。
今回のことに限らず、自分がそうだと疑わないものが、実は間違っているかもしれない・・・
そう思うと、なんとも心もとない気持ちになります。
すべては、脳が認識したように見えている。
そして、認識したものを人は現実と捉えて生きてゆく。
同じ世界に生きていても、同じものを見ていても、人によって現実は異なるということなのですね。
見えている世界の不確実性を、再認識させてくれる出来事でした。
「絵になる本」
今更ですが、プレシャス・ブックスのディスクリプション(紹介文)は
「絵のある本と、絵になる本のBOOK SHOP」。
なんか・・・わかりずらいかもしれませんねぇ。
「絵のある本」なんていういい方をしていますが、つまり、絵本や画集や図鑑や、とにかく図版がある本という意味。
「絵本」といってしまうと、児童書に限られたイメージになってしまうので、あえてこういう言い方にしています。
で、「絵になる本」。
「絵になる本」といったら、どんなイメージを持ちますか?
装丁が美しい本。
そこに置いておくだけで、存在感を放つ本。
絵やオブジェのように飾っておきたくなる本。
見るだけで、ときめく本。
本はもちろん、その内容が大事です。
けれども、本も”もの”ですから、”もの”としての価値もあります。
そして、その本の”もの”としての印象を決めるのは、やはり装幀です。
大まかに言えば、「絵になる本」は、魅力的な装幀の本ということになります。
さらに、時がその本に個々の味わいを加えてゆきます。
本は主にその内容で評価されるので、文章やイラストだけが注目されがちですが、
装幀もその本の価値を決める不可欠な要素なのです。
(もちろん、大切な要素は他にもたくさんありますが)
実際、装幀が変わるだけで同じ内容の本でも売り上げが大きく変わったりします。
私は、内容が素晴らしい本、図版が魅力的な本などと同じように、
美しい装幀の本にも惹かれます。
隅々にまでデザイナーや装幀家の美意識が行き渡った本を見ると、気持ちが引き締まります。
また魅力的なカバー・デザインの本は、お気に入りの絵や雑貨と同じように、
ただそこにあるだけで気持ちを豊かにしてくれます。
近日中に、「絵になる本」というカテゴリーを新設しようと思います。
「絵になる本」のカテゴリーでは、国やジャンルに関わらず、
カバー・デザインが魅力的な本や、装幀が美しい本をご紹介していきます。