*たわごとコラム
実際に動けば、何かが少し変わりますね
近くの町の廃校で、こんなイベントが行われていたので行って来ました。
*メモリアルウィーク in 小田原
http://event.iwj-beta.com/odawara/
福島の子供たちを招いて一緒に夏休みを過ごそうという非営利イベントで、
原発事故に関する講演やシンポジウム、展示、などなど、プログラムは盛りだくさん。
不便な場所にも関わらず、多くの人で賑わっていました。
前回のコラムで少し触れましたが、武田邦彦さんもこのイベントに招かれていて、
音楽室で講演会が行われました。
遠くは関西からわざわざ来ている方もいらっしゃって、音楽室は超満員。
質疑応答の時間は手を挙げる人が後を絶たず、人々の不安の大きさを物語っていました。
未だ収束しない事故について、考えれば考えるほど途方に暮れる毎日ですが、
こうして、この問題に積極的にアプローチする人たちと出会うと、
落ち込んでばかりもいられないという気持ちになります。
足を運んでよかったと思います。
得るものの多い一日でした。
どんなカタチでも、こうして実際に動けば、何かが少し変わりますね。
ほんの少しですが、画像でご報告。
たくさんの貴重なお話を聞くことができました。
隣りにいるのは藤波心さん。
原発ポスター展
一番印象に残った作品。
ここが廃校?
生徒たちの声が聞こえてきそう。
まだ、廃校になったばかりなのでしょうね。
「夏休み中の普通の学校」という印象でした。
工作室の窓の向こうは海。
こんなにずばらしい環境の学校が廃校なんて・・・
床一面に貼られた新聞記事などのコピー。
オレンジが反原発関連の記事。
グレーが原発推進関連の記事。
どちらとどちらに?
お盆を過ぎたら急に涼しくなって、早くも秋の気配・・・
お祭りからまだ1週間も経っていないのに。
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最近、
「震災後、人々の価値観がはっきり二分化している」、
というような内容のBlog記事をいくつか目にしました。
いずれも経済問題や原発問題を論じている記事なのですが、
基本的には、人々の価値観の違いが、今いろいろな側面で浮き彫りになっていて、
もうどんなことをしても、お互いに理解し合うことはできないのではないか、
という内容です。
例えば、時の人 武田邦彦さんは、ご自身のBlogでこんなことを述べられています。
タイトル「日本を二つに分けたらどうか?」
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日本も、
1) 誠実で、お金は2の次、愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りの持てる日本、 2) ウソをつき、お金が全て、誰も信用出来ないという日本、政府が無いようなものだから 考え方によっては気軽。
の2つに別れたようだ。<一部抜粋>
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こんな記事を読んで、もう15年以上も前に観たある映画を思い出しました。
1994年にアメリカで製作された「ザ・スタンド」
スティーブン・キングの 最高傑作といわれる長編小説を映像化したものです。
アメリカ軍の研究所から感染致死率99%のウィルスが流出。
生き残った人たちが自らの直感に従って行動し、
結果的に善的なものと悪的なものに分かれてゆくという筋書で、
善・悪の二元論が軸になっているところは、いかにもアメリカ映画なんですが、
天才スティーブン・キングが考えたお話なので、決して薄っぺらい内容ではありません。
例えば、正義の象徴であるはずの警察官が、悪的な方に分かれていたります。
善と悪、というのはあまりにも短絡的だけれど、
今となっては、いろいろな意味で単なるファンタジーに止まらないお話です。
ちなみに、この映画の中に私にとってはものすごく印象的なセリフがありました。
物語の中盤、善的なものの導師的な存在として、
マザー・アビゲイルという老女が登場します。
神の言葉を伝える彼女のもとに、
各地から夢に導かれたように人々が集まってくるのですが、
その中の一人の青年が悪びれもせずにこう言います。
「ぼくは神なんか信じていない」
すると、アビゲイルは笑いながら答えるのです。
「おまえが神を信じる必要なんてない。神がお前を信じているのだから」
この台詞・・・
(随分前に見た映画ですが、意味的にはあっていると思います)
久しぶりにもう一度観てみようかな~と思って調べてみたら、
今年の2月の時点で「再映像化決定」というプレス発表があった模様。
お~、なんというタイミング。
新作でもこのセリフはいかされるでしょうか。楽しみです。
それにしても、私たちは本当に分かれていってしまうのでしょうか?
だとしたら、どちらとどちらに?
その先には、いったい何があるのでしょう?
火の祭り
16日の夜、前の浜で恒例のお祭りがありました。
百八体流灯祭、灯籠流しから始まって、かがり火、花火、と続く
まさに火のお祭りです。
昨夜は望月から2日目で、かがり火の向こうに大きく赤い月が
昇ってゆきました。
風が強かったので、火はまるで生き物のようにたなびき、うごめいて、
たくさんの火の粉を舞い上げました。
毎年足を運んでいますが、
今回は月と風の行が加わって、いつにも増して幽玄な雰囲気でした。
今年は特にいろいろあったからでしょうか・・・
燃え盛る炎と花火の爆音で、時の曇りや心の憂さを吹き飛ばす、
まるでおはらいの儀式のようにも感じられました。
毎年、同じように同じ人と恒例の行事に参加できることの
ありがたき幸せ。
次回までの平和をただただ祈りつつ、帰宅。
違っていても、仲良くなれる・・・
違っていても、仲良くなれる・・・
巣立ったようです
我が家のベランダに落ちてきた子すずめは、無事に巣立ったようです。
気づいたら、いませんでした。
急に鳴き声が聞こえなくなったので、ベランダを隅々まで探しました。
もしや下に落ちたのではないかと、
道路や植え込みまで見に行きましたが、もうどこにもいませんでした。
まだまだおぼつかないように見えたけれど、
ちゃんと羽ばたいて、どこかに飛んで行ったのでしょう。
「無事巣立ってよかったね~」
そう言いながらも、店主Bはまるで娘を嫁にやった父親のような顔をしています。(笑)
どうか無事に巣立ってくれますように
昨日の朝、なんかベランダでピーピーいってるな~と思ったら、
片隅にスズメの雛がうずくまっていました。
毛はもうほとんど生え揃っているけれど、自分では動けない様子。
巣から落ちてしまったのか、それとも巣立ちに失敗したのか・・・
危険な場所ではなかったし、
下手に触ったら親鳥に見放されてしまうかもしれないと思い、
とりあえずそのままにして家の中に入りました。
「さて・・・どうしよう」
屋根の上にあるはずの巣に戻してあげられたらいいのだけれど、
場所的にちょっと無理。
あれこれ考えながらも、
まずは、親鳥が寄って来やすいように、ベランダに面したカーテンを引いて、
それから、テッシュの箱で即席巣箱を作ることにしました。
そうしている間にも親鳥がやって来て、
ベランダの手すりにとまり、さかんに雛の鳴き声に答えています。
店主A&Bで、少し水を与えた方がいいんじゃないかとか、
動物病院に電話してみようとか、
ネットで調べてみようとか、
あーだこーだ、あーだこーだ話し合ったあげく、
とりあえず元気に鳴いているのだし、
親鳥が接触できる場所に移してあげれば、
どうにかなるんじゃないかという結論に達し、
極力手出しをしないことにしたのでした。
丸一日経ちましたが、今もカーテンの向こうでピーピー元気に鳴いています。
親鳥が餌を与えているところも、しっかり確認できました。
ただ、ちょっと足下がおぼつかない感じで、
落ちた時にどこかを傷めたんじゃないかとそれだけが心配です。
日がな一日、二人して代わる代わる
カーテンの影からそーっと雛の様子を伺っていました。
小さな命が気になって仕方ありません。
「どうか無事に巣立ってくれますように」