*たわごとコラム

青を求めて・・・その7

私がこれまでに経験した一番印象的な青は“グアムの海の中”です。
それは、地上では決して見ることのできない純粋な青の世界でした。

20代になったばかりの頃、
たいしてマリンスポーツが好きなわけでも得意なわけでもないのに、
どうしても海の中を見てみたくてダイビングのライセンスを取得しました。
グアムは初めて潜った南国の海。
海水の透明度が高く、日本・本州の海とは比べものになりません。
島の東岸に“ブルーホール” というスポットがあって、
そこで経験した“青”が 、今でも褪せることなく記憶に焼き付いています。

ブルーホールというのは、簡単に言ってしまうと海底洞窟のこと。
世界中の海に点在しますが、グアムのブルーホールは、
水深18mのところにハート型の穴があいていて、底の深さは80m。
この縦穴の中から見上げた時の青いハートがとても美しく幻想的です。

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天上の美しい青を眺めながら、静かにゆっくりと潜行して、
30~40m位のところに空いている横穴をくぐり抜け、ドロップオフの岸壁に出ます。
そこで減圧をしながら浮上してくるというのが一般的なルート。
とても魅力的なスポットですが、
海の中にぽっかり開いた深い縦穴に潜っていくわけですから、それなりに危険が伴います。

ガイドさんからは事前に「直前に怖じ気づいてやめてしまう人もいる」と
聞かされていました。
実際のところ、水深80mの底はほとんど真っ暗、下だけを見て潜っていけば、
まるで闇に吸い込まれてゆくような感覚です。

ちなみに、スターターのライセンスで潜れるのは水深15mまで、
アドバンスでも30mまでです。
海洋生物がたくさん見られるのは10~15mで、
深くなればなるほど光も届かなくなるし、魚も少なくなる・・・その上、
気圧の関係でボンベの空気の減り方も早くなります。

グループで潜る時は、一番早くボンベの空気がなくなったメンバーに合わせて、
全員が浮上しなければならないというルールがあります。
深く潜ればただでさえボンベのタイムリミットが短いのに、水中で緊張したり、
動転したりすると、呼吸が荒くなって余計に空気が消費されてしまいます。
他のメンバーの足を引っ張ってしまうかもしれないと思うと、
一層恐怖感が増幅してしまうのです。

今になってみると、よくこんなところに潜れたものだと思います。
けれども不思議なことに、その時の私はまったく恐怖を感じていませんでした。

海の中でも、魚がたくさんいるようなところは結構いろんな音が聞こえてきて
騒がしいものなのですが、ブルーホールの中には魚の姿はほとんどなく、
天上から届く青い光の中で、ただただ自分の呼吸音だけを聞いていました。

流れもないので、ジャケットのエアを抜けば真っすぐに海底へと沈んでいきます。
そう、潜るというより、自然に沈んでゆくという感じです。

ほどなく自分の体重がほとんど感じられなくなり、
いつの間にか呼吸がだんだんゆっくりになってきて、
しばらくの間息をしなくても大丈夫なのではないかと錯覚してしまうほどでした。
意識は研ぎすまされているのに、 水の中で身体だけがそのまま眠ってしまうかのような、
あるいは深い瞑想状態にあるような、 そんな感覚です。

横穴をくぐり抜けて浮上の準備を始めたとき、
私のボンベの空気があまり減っていなかったので、ガイドさんが驚いていました。
あのまま静かに沈んでいったら、生死の境目にさえ気づかなかったのかもしれません。
・・・つづく

青を求めて・・・その6

1901年-1904年、ピカソは青い絵ばかりを描いていました。
いわゆる、「青の時代」。
パリで出会った友人の死を切っ掛けだったといわれています。
その後、恋人を得て画風はがらりと変わり、明るい色調の絵を描くようになりました。
その数年間は「バラ色の時代」といわれています。

短絡的な言い方になりますが、
「青の時代」の絵からは悲愴な印象を受けますし、
「バラ色の時代」の絵からは幸福感が伝わってきます。

人は誰でも、悲しい時に青い絵を描くものなのでしょうか?
青は“悲しい色”?・・・ですか?

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青から受ける印象は、例えば、“神秘的”。
キリスト教やイスラム教の世界では、青は神的な色。聖母マリアを象徴する色であり、
天国を示す色でもあるそうです。
“幸せ”や“平和”のシンボルになるのは、そのためでしょうか。

一方で、ブルーマンデー、ブルーな気分など、憂鬱な気持ちを表す色としても使われます。
“若い”とか“未熟”とかいう意味で使われることもありますよね。

文化によって“青”から連想するものも様々でしょうが、
基本的な部分は同じような気がします。

青は寒色、熱を感じない色です。
血圧を下げたり、血液の循環をゆるやかにする働きがあるそうで、
人種や文化の違いには関係なく、
どんな人でも青い部屋にいるだけで脈拍数が下がり、精神が安定するそうです。

人が悲しい時に青い絵を描くのだとすれば、それは青が“悲しい色”だからなのではなく、
その悲しみを癒す色だからなのではないでしょうか。

青を求めて・・・その5

日本画家の堀文子さんは82歳の時、
ヒマラヤに咲く幻の花、ブルーポピーをを見るために、
5000メートルの高地を訪れています。

「ヒマラヤの青い妖精」と呼ばれるその花は、
低地では見ることができない、まさに“高嶺の花”。
ヒマラヤ山脈4000m以上の高山帯に自生するケシ科の植物です。
(今では、この花に魅了された世界の園芸家たちが栽培に成功していて、日本でも見ることができるようになっているらしいのですが、環境が異なればおのずと花姿も変化します。「青い妖精」は、やはりヒマラヤにしか住んでいないようです。)

堀文子さんは、死を覚悟してこの旅を決意したといいます。
82歳にもなる堀さんをそこまで突き動かした“青”とは、どんな色なのでしょうか。

世界中から人を呼ぶ“幻の青”はイタリアにも存在します。
ナポリの南約30km・カプリ島にある青の洞窟(Grotta Azzurra)。
もうだいぶ昔のことになりますが、私もその青を見るためだけにこの島を訪れました。

この洞窟は断崖絶壁の入り江にできた海食洞で、
手漕ぎの小舟に乗って行くことしかできません。
入り口はとても狭く、天候や波の状態によってすぐに水没してしまいます。
条件が整っていても、2.3人乗りの小舟がくぐり抜けるのがやっとで、
船頭さんが、入り口に張られた鎖を引いて小舟を洞窟内へと進める時、
乗客は体を船底に沈めなければなりません。
決して容易に行ける場所ではありませんが、
それでも世界中の人が“幻の青”を一目見ようとやってきます。

確かにその青は、言葉ではとても表現できない程に神秘的な色でした。
この世には、こんな色が存在するのかという驚きが、細胞の隅々にまで染み渡りました。
何枚か写真を撮りましたが、後で見てがっかり。
“幻の青”は、その場所で、その時にしか見られない色なのです。

空を仰げば、青はいつでもそこにあります。
それなのにこの世には、遠い異国の人をも呼び寄せる“青”が存在する・・・
その事実に、不思議な感動を覚えます。

それにしても・・・
人間は、わざわざ“青”を見るためだけに、
空を飛び、山を越え、海を渡り、時には命までかけて旅をする動物なのですね。

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写真では無理・・・

青を求めて・・・その4

かなり自制しているつもりなのですが、
時々理性がゆらいで“青”に誘惑されてしまいます。

お祭りの夜店で、青いビー玉をたくさん買ってしまったこともありますし、
瓶の色でワインを選んでしまったこともあります。
きれいだけど、なんの役にも立たないといえば、それまでのものばかり・・・

海外から持ち帰った物も少なくありません。
昔、アテネの路地裏にあった小さなみやげ物屋で、
瑠璃色や青緑色の一輪ざしを衝動買いしたことがあります。
バックパック旅行の最中だったので、
物を買って荷物を増やすなんて絶対タブーだと思っていたのに。
初老の店主に「これはエーゲ海の海の色、これは空の色、これは夜の色・・」と説明され、
魔法にかかってしまったのです。(笑)

イスタンブールでは、店主Bまでもがブルーモスクの青いタイルに魅了され、
近くのバザールでイズミックブルーの大皿を買ってしまいました。
もちろん、帰りは機内持ち込み・・・

そんなわけで、身の周りに青いものが点在しています。
まるで、青いものばかりを集めるSatin Bowerbird(アオアズマヤドリ)みたい。

アオアズマヤドリというのは、小枝で小屋のようなものをつくり、
その周りに青いものを飾って求愛する、オーストラリアに生息する鳥。
http://www.kanshin.com/keyword/845701/connect

集める物は、青い羽や花、プラスチックや硝子まで・・・
素材にはこだわらないようだけれど、青系ならなんでもよいというわけではないようで、
濁りのない、きれいなブルーのものばかりを選びます。
雌は、青で飾られた小屋の出来映えを見て、
雄を受け入れるかどうか判断するといいますから、本当に不思議な生態です。

きれいな青で、しかも鳥が容易に集められるなものなんて、
自然界にそれほど多くないような気がするのですが、
何故“青”なのでしょう?

調べてみましたが、答えは見つかりませんでした。

それにしても、鳥にまで“青”に惹かれる種類がいるなんて!
とても他人とは思えません。(ちょっと言い方が変か・・・)

ちなみに、私の青好きは求愛行動ではありませんので念のため。

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*最近増えた“青 ”

青を求めて・・・その3

幻の青は、陶芸の世界にも存在します。
宇宙を宿した器「曜変天目」。
椀の内側に大小の斑紋が群をなし、その周りが瑠璃色の光彩を放っています。

中国で宋時代に作られたものですが、現存するのは日本に3点のみ。
その全てが国宝だそうです。
作り方も分かっておらず、世界の陶芸史上最大の謎とされてきました。

日本にも復元に挑戦し続けている方が何人かいらっしゃると、
以前、新聞の記事で読んだことがあります。
皆さんそれぞれに曜変天目の妖しい青に魅了され、
人生をかけてしまったのだと語っておられました。

とりつかれてしまったのですね、“青”に。

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青を求めて・・・その2

青い薔薇、それは世界中の園芸家(育種家)が長年挑み続けてきた夢でした。
英語では「不可能の代名詞」とさえいわれるほど、実現化の難しい幻の花。
それでも人々はひたすら、薔薇の花びらに青が発現することを夢見てきました。
こんなにも“青い薔薇”が人々を魅了するのは、
もちろんそれがこの世に存在しないからなのですが、
その色が“青”であるという事実が、
火に油を注いでいるような気がするのは私だけでしょうか?

2004年、そんな幻の花が日本で実現化したというニュースが流れました。
サントリーが、最先端のバイオテクノロジーの遺伝子組換え技術を
駆使して成功させたのです。
その薔薇を私も直接見たことがあります。
素人目に見ると、青というよりも紫でした。
それでも、花びらに青色色素が発現しているという事実が、
世界初の快挙なのだそうです。
ちなみにサントリーは、同じ技術を用いて青いカーネーションも作り出しています。

この技術は世界中から賞賛されたようですが、
私としては、“無理矢理”という感じがして、ちょっとだけ残念な印象を受けました。
幻の青い薔薇は、“バイオテクノロジーの遺伝子組換え技術による実現”などではなく、
どこかの熱心な夢追い人の庭に、ある朝ようやく、奇跡的に咲いて欲しかった・・苦笑

青いチューリップも同様に人々が追い求める幻の花ですが、
できればそんなふうに、奇跡の領域を残したかたちで実現して欲しい。
それでなければ、夢のままにしておいた方がいいのではないかと、勝手に思っています。

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・・・つづく

青を求めて・・・・・その1

親から聞いた話によると、
私は、洋服から玩具から、お風呂上がりのタオルまで
なんでもかんでも「青いのがい~」とせがむ子どもだったそうです。
確かに思い出してみると、身の回りに青いものが多かった気がします。

大人になってからはさすがに、何でもかんでも青・・ということはなくなりました。
例えば、 花を選んだりする時は暖色系を選ぶことが多いですし、
インテリアにもあまり青は使いません。
けれども、 青いものに心惹かれる習性?は未だにしっかりと残っています。

青は、選ぶというよりも、惹かれてしまう色。
だから、似合うとか似合わなとか、何かに調和するとかしないとか、
そういう理屈は一切なく、自然に手が出てしまうのです。

一言で青といっても、それこそ色々な青がありますよね。
もちろん私も、青系ならなんでもいいというわけではありません。
紫や緑にふれた、微妙なニュアンスのある青に惹かれます。

ところで私は何故、青が好きになったのでしょう?
子どもの頃に、大好きな男の子から青い花をもらったとか、
青い服が似合うね~と褒められたとか、
青い絵を描いて花まるをもらったとか、
そんな思い出はひとつもありません。
なのに何故?

もしかすると、青に惹かれるというのは
大なり小なり誰もが持っている習性???なのかも、と思ってみたりして。

これは、ちょっと強引過ぎる仮説でしょうか?

けれども、世界を見回してみると、
青という色は、他の色よりもちょっとだけ特別扱いされることが多い気がします。

例えば、すぐに思い浮かぶのが青い鳥、
メーテルリンクが幸せの象徴として描いたからだと思いますが、
今では特別な意味を持っています。

でも何故、青い鳥なのでしょう?
青い鳥が特に珍しいというわけではありませんよね。
赤い鳥や緑の鳥の方が、ずーっと珍しい気がします。
それなのにメーテルリンクは、どうして青を選んだのしょう?

・・・つづく

ゆうじの敬語

近くに住んでいる.店主Bと同じ名前の小学生“ゆうじ”は 、
最近「年上には敬語を使いないさい」ときつく言われたみたいです。

それは多分初めてのことではなく、時々釘を刺されている様子。
ここに越して来たばかりの頃、店主Bはゆうじに「ゆうじ~!」と
呼び捨てにされていましたが、
ある日突然「ゆうじ君!」と君付けで呼ばれるようになりました。

ちなみに、ゆうじのお父さんと店主Bは同い年。
なんだかんだで気が合うようで、道ばたで話し込むこともしばしばです。
かなりフランクではありますが、一応礼儀をわきまえて話し言葉はですます調。

その様子を見ていたゆうじ・・・
「パパとゆうじ君は同い年でしょ? なんで敬語使うの?」

店主B・・・「俺はゆうじのパパを尊敬しているからね」

ゆうじ・・・「ふ~ん」

店主B・・・「ところで、なんでゆうじは俺に敬語使わないんだよ。俺は年上だぞ」

ゆうじ・・・「へへへ(照れ笑)・・・クロッキーって今何歳?」
       (話題をそらそうとするゆうじ)

店主B・・・「16歳だよ。ゆうじより年上だから、敬語使わないといけないな」

ゆうじ・・・「へへへ~~~、『クロッキーさん』とか?」

「へへへ~~」ばっかり・・
ゆうじの頭の中は、今かなり混乱しているみたい。。。

犬はどうやってトウモロコシを食べるか

夏野菜がおいしい季節になりましたね~。

今日はおやつに茹でトウモロコシを食べました。
瑞々しくて、甘くって、美味しい上になんだか元気が湧いてくる感じ。

店主A&Bで「どんなグルメ・スィーツにも勝る美味しさだね」
なんていいながら味わっていると、
店主Cがテーブルの横で、物欲しそう~な目をしてジィ~とこちらを見つめていました。

「クロも食べてみたいの?」

やにわに『もちろんですとも』というまなざし・・・

普段はあまり人間の食べるものをあげないようにしているのですが、
芯の着いた丸ごとのトウモロコシを、
犬はどうやって食べるのか興味が湧いて、そのまま顔の前に差し出してみました。

そうしたら!
なんとクロは人間と同じように前歯で実の部分だけをかじりとって食べたのでした。
もう、人間とまったく同じです。

なんで食べ方を知っているのだろう?
芯も一緒に食べちゃったって、おかしくないような気がするのに。
(試しに芯をかじってみたら結構甘かったし)
まさか、私たちが食べているところを見て学習したとか?

そういえば、枝豆や空豆をさやごとあげても食べないけど、
むいてあげると食べるんですよね。

動物はみんな本能的にそういうことを知っているのでしょうか?

・・・だけど、以前店主Bの実家にいた犬は、
みかんの皮までおいしそうに食べていたな~・・・?(苦笑)
よほどお腹が空いていたのかしら?

ちなみにクロは、パリパリ海苔のおにぎりをあげると海苔だけ残します。
(包み紙かなにかと勘違いしているらしい)
だけど、しっとり海苔のおにぎりだと、まるごとたべちゃいます・・・

なんでなの、クロ?

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