*たわごとコラム

世界は不思議なことでいっぱい

まどみちおさんの詩集を開いたら、いろいろなことを思い出しました。
例えば、子供の頃に不思議だと思っていたことの諸々。
最初は、見るもの聞くものなんでも不思議で、
それから成長とともに頭が少し大きくなると
『見えなくても聞こえなくても、世界は不思議なことでいっぱいだ』
と思うようになって・・・

学校に行って勉強して、少しは本も読んで、頭が大きくなっても、
“不思議”は増える一方です。

いろんな不思議があるけれど、“存在の理由”ほど不思議なものはありません。

 どうして私は存在するのだろう?
 どうして今ここに居るのだろう。
 どうして私は私なのだろう。
 何かの意志によって?
 何かって何?
 その意志は、自分がどうして存在するのかを知っているのかな?
  *“私”は“あなた”でも“プランクトン”でも“宇宙”でも

そんなことを不思議がっているのは、自分だけではないんだなと、
昔「ベルリン・天使の詩」という映画を観て思いました。
はじめて観た時から、もう15年以上も経っているのに
作中に流れる詩が脳裏に焼き付いています。

子供は子供だった頃
いつも不思議だった
なぜ 僕は僕で君でない?
なぜ 僕はここにいてそこにいない?
時の始まりは いつ?
宇宙の果ては どこ?
この世で生きるのは ただの夢?
見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
この世の前の世の幻?
悪があるって ほんと?
悪い人がいるって ほんと?
いったいどんなだった 僕が僕になる前は?
僕が僕でなくなった後 僕はいったい何になる・・・・

先日ご紹介したまどさんのうた「どうしてなのだろう」も、
存在の不思議をうたったものですが、
その不思議を“よろこび”として受け止めている、
まどさんという存在自体に、私はとても感動したのです。

「どうしてなのだろう」

どうしてタンポポなのだろう
とどうしてだかのわたしが
どうしてだかのタンポポみれば
ヒバリがないて ないてないてないて
どうしてヒバリなのだろう
 :
 :
ああどうしてなのだろう
いのちあるものないもの ものものものよ すべてのものよ
このちきゅうそのものよ…

まどさんの詩とオデッセイ

今、私の机の上に、まど・みちおさんの詩集と、
工作舎のオデッセイという本が並べて置いてあります。
本好きですし、一応本屋なので、日々様々な本が机上を通り過ぎてゆきますが
この2冊はかれこれ一週間以上も目の前に留まっています。

まど・みちおさんの詩集は、先日新着UPしたのを切っ掛けに再び頁をめくり、
感動を新たにしました。

工作舎のオデッセイは今月上旬に購入して、毎日少しずつ読み進めています。
学生の頃から工作舎の本のファンだったのですが、近年手にしておらず、
この本を見て再熱してしまいました。
オデッセイは、工作舎が1971年~2001年に出版した本の断片集で、
私にとってみると、好きなアーティストのベストアルバムのようなものです。

工作舎が刊行する本のジャンルは“科学”がメインですが、
本屋さんは常に、どの書棚に並べるべきか悩んでいるに違いありません。
(工作舎の本はとにかく美しいので、アートのコーナーに置いてもいいと思う)
とはいえ、児童書売り場に置かれることはまずないと思いますが。
逆に、まどさんの詩集は、ほとんどが児童書売り場に置かれていますね。
私は今、『この2冊の本には同じようなことが書かれているな~』
などと感じながら読み比べています。

例えば小さな生命体の意識について、あるいは存在の不思議について・・・
オデッセイには、科学的に、哲学的に。
まどさんの詩集には、詩的に、てつがく的に。
いつだったか何かの本で読んだ「時代の最先端を見つめているのは詩人だ」
というような言葉を思い出しながら。
(それって工作舎の本だったような気がする・・・)

オデッセイより—-
「ミミズが痛がっている」という表現は科学的に信頼し難くても、そのミミズではないかぎり、
それをまったく否定することは出来ないのである。- 奥井一満

答えのない質問をいくつ考えられますか
質問のない答えをいくつ考えられますか
世界から答えを引いたら何が残りますかー田中未知

詩人も科学者も、芸術家も哲学者も・・・見つめる先は同じなのかもしれませんね。

落ち葉ひろい

近所の子供たちが落ち葉を集めていました。
学校の課題なのだそうです。
なかなか風情のある課題だな〜と思いきや、
校庭で焼き芋をやるためだそうな。
子供たちはウキウキ。
きっと、ものすごく大きなたき火になるね〜。

“子供のために”と思わずに作られた絵本のこと

Gisele de Verreの出版元であるseuilは、フランス国内の才能豊かなアーティストによる絵本を数多く発行する一方で、クヴィエタ・パツォウスカーやブルーノ・ムナーリなど、世界の優れた作品のフランス語版を扱ってる出版社です。
そんなSeuilのカタログは、絵本という“作品”を紹介する作品集のようでとても見ごたえがあるのですが、その中に、一人だけ日本人の作品が掲載されていて印象に残りました。 

その作品とは、五味太郎さんの「らくがき絵本 Part1&2」です。((書影はこちらで))
頁ごとに、落書きのヒントになるような五味さんのイラストが控えめに印刷されていて、
そこに読者が自由に描き足していくという趣向の本で、絵本というカテゴリーには収まりきれません。
この本は、プレシャスブックスでも以前にご紹介したことがあるのですが、その時のコメントはこんな感じ・・・

—子どもって「自分には絵がかけない」なんて思うことなんかあるのでしょうか?ペンを持ち、紙にペン先を当て、丸を一個描いただけだって絵は絵です。その丸は、満月かもしれないし、車輪かもしれないし、コップを上から見たところかもしれないし、もしかすると“暖かな気持ち”かもしれないのです。それなのに、大人になるにつれ「自分には絵が描けない」と思ってしまうようになったりします。この本は、そんな“大人”にもおすすめの一冊。五味さんがちょっとだけ、自由に絵を描く手伝いをしてくれます。頭を空っぽにして落書きをしているうちに、いつの間にか子どものように絵を描いている・・・というわけ。2.5cmも厚さがある本で、思いきり遊べます。—
要するにこの本は、絵を描くことのきっかけを与えてくれるのです。

Seuilのカタログには、書籍紹介の頁以外にも、ところどころに「らくがき絵本」のイラストが引用されています。 “読者が自由に描き込める余白”が用意されているイラストは、その余白そのものが“想像力・創造力”をはっきりと表しています。その余白が物語るものは、言葉がなくても通じるし、また言葉では説明できないものなのです。それこそが、Seuilが掲げるポリシーの根幹なのだということが、はっきりと伝わってきます。大人であろうと子どもであろうと、その本を手にすることで想像力や創造力をかきたて、何かの切っ掛けになるような作品、Seuilのカタログには、そんな絵本が並んでいます。

いつだったか、五味太郎さんを紹介するテレビ番組をやっていて、その時に聞いた言葉が忘れられません。
それは、「ぼくは“子どものために”なんて思って作品を作ったことは一度もない」というような内容のコメントでした。
「最近の子どもたちの本離れを、五味さんの力でなんとかしたい・・」という、ある出版社の人に対する返答の一部です。

「本を読まない子がいてもいいじゃない。それがその子の個性なんだから・・・」

五味さんは、自分で作りたいと思うものを無心に作って、結果的に子どもたちがそれに反応する、ということ。押し付けなくても、それどころか「本を読まない子がいてもいいじゃない」なんて言ってても、出会いの切っ掛けさえあれば、子供を自然に夢中にさせてしまうような魅力が、五味さんの作品にはあるんですよね。
もちろん、五味マジックは大人にも有効です。

ちなみに私が今見ている Seuilのカタログは、2003年版。日本作品の翻訳が増えているといいな〜。

印刷技術

「マシュリカの旅」と「ガラスのジゼル」について、早々にお求めくださった方々から、
あたたかなメッセージをお寄せいただいています。
プレシャスブックスでも、この本たちをご紹介できたことを
とても嬉しく思っていますので、皆さんからのお便りがひとつひとつ心に響きます。
本当にありがとうございます。

--------------------–

「マシュリカの旅」の紹介文に記載した“印刷方法”について
ご質問をいただきましたので、簡単に追加説明をさせていただきますね。

もうお手元にある方は、できればルーペなどを使って
イラストの部分を確認してみてください。
他のカラー印刷物と見比べると分かりやすいのですが、
これまでのオフセット印刷特有の“網点”が見えないのです。
これは、より高品位な表現を可能にする最先端の印刷技術です。
特に、カバーイラストにはこの技術の効果がはっきりと表われています。
ちなみに、翻訳本は“原書”に近付けるのではなく、
“原画”に近付けることを目標に印刷されていますので、念のため。
絵本をご紹介するのに、印刷技術についてうんぬん言い過ぎるのはあまりにも不粋なので、
これぐらいにしておきますね。(苦笑)

それにしても、ここ数年の印刷技術の進歩には目を見張るものがあります。
もちろんそのほとんどが、デジタル化の恩恵によるものですが、
私のようにアナログ時代から生き長らえている人間からすると、
その変化の勢いに目が回りそうです。

その一方で、ほんの20〜30年前に発行された本なのに
「現代ではもう職人さんがいないので、復刊することは難しい」
といわれているものもあるのですから、おもしろいものですね。

人間でないと、絶対に出来ないことがあるということですね〜・・・当たり前ですけれど。
コンピュータと人間では、得意分野が違うんですよね。

「ガラスのジゼル(原題・Gisele de Verre)」

私が「Gisele de Verre」に初めて出会ったのは、ルーブル美術館の児童書売り場でした。
その児童書売り場は、奥の方でアート本の売り場と繋がっていて、
「Gisele de Verre」はちょうどその辺りに置いてありました。
カテゴリーとしては、“子どもの本とアート本の間”に
位置付けられていたのだと思います。

“絵本=子どもの本”という捉え方はおそらく世界共通のものですが、
よく考えてみるとなんの意味もない概念ですよね。
この、無意味だけれど世界中に深く浸透した概念が、
いったいどれほどの弊害を産んでいることか。
「もっと自由に絵本を捉えてもいい」という提言はもちろんこと、
「もっと自由に絵本を“制作”してもいい」はずなのです。

国際児童書展などで世界の絵本を見比べてみると、フランスはとりわけ
そのような概念を払拭する価値観が大きい国なのだと感じます。
フランスでは、絵本が表現手法の一つとして確立されており、
アート本との境界線はもはや存在しませんが
だからといって、そのような絵本を“大人のための絵本”などと
うたっていないところがまたいいのです。

「Gisele de Verre」には、絵本を広い視点で捉えようとする“フランス絵本”の独自性が
よく表われていると思います。テーマといい、タイトルといい、
アートワークといい、印刷製本といい、どの過程をとってみても、
質の高いセンスを感じます。
内容のみならず本のつくりも繊細な作品で、 実のところ翻訳本の制作は難関続きでした。
技術的な面だけでなく、それこそガラスのように繊細な作者の感性を
本という形に結実させるために注意深く制作が進められました。
編集工房くうさんの情熱には、本当に頭が下がります。

本というのは、作者一人では作り出せないもの。
よき本の出版には、関係者の情熱が不可欠なのだと、つくづく実感しました。

アレマーニャさんも、 きっと喜んでいることでしょう。
ガラスのジゼル

銀色の帯にも、アレマーニャさんのイラストが透かし絵のように印刷されています。

「マシュリカの旅(原題:DAREK)」

「マシュリカの旅(原題:DAREK)」は、私にとって特別な絵本です。
数年前に、この本に一目惚れした時には、まさか後に自分が翻訳出版に関わることになろうとは思ってもみませんでした。今振り返ってみると、DAREKはプレシャスブックスにたくさんの“不思議な縁”をもたらしてくれました。その数々の縁によって、翻訳本の出版が実現したのです。

ご存知の通り、DAREKの作者はパレチェクさんの奥様、出版したのはお嬢さんです。 私はそれを知った時、この絵本にはパレチェクさんご夫婦が本当に伝えたいと思っていらっしゃるメッセージが込められているのだと感じました。

DAREKはチェコ語でプレゼントという意味です。物語を読むと、まさにこの作品はお二人からの“プレゼント”なのだということが分かります。また、私がこうしてこの本を皆さんにご紹介しようとしていることそのものが、いつの間にか受け取っていた“プレゼント”なのではないかと思えてきます。DAREKは、人から人へと伝わり、様々な縁を生み出し、喜びを広げました。その事実が、この絵本の内容にそっくりそのまま重なります。

「マシュリカの旅」が出版されることを、パレチェクさんご夫婦もとても喜んでいらっしゃいます。先日、パレチェクさんから送られてきたメッセージには「日本での発売をとても楽しみにしています」というコメント共にイラストが描かれていました。犬がシャンパングラスとリボンを持っている絵です。

実はこの犬、店主Cなのです。
いつからかパレチェクさんは、メッセージにいつも店主Cを描いてくださるようになりました。「マシュリカの旅」に同封させていただこうと思っているプレゼントは、このイラストを添えた、原書の表紙と同じデザインのカードです。このカードは、パレチェクさんご夫妻がご好意で送ってきてくださったものです。

DAREK-CARD
(パレチェクさんに了解を得て掲載させていただきました。)
*数に限りがありますので、無くなり次第プレゼント企画は終了させていただきます。

「マシュリカの旅」に込められたメッセージが、一人でも多くの人の元に届きますように。

孤独なへっぽこ

「マシュリカの旅」「ガラスのジゼル」、 2.3日中には入荷できそうです。
もうしばらくお待ちくださいね。

未だ座っていられる時間が限られているので、更新が遅れがち。
生まれながらのへっぽこ体質がうらめしい・・・
店主Cもどこかでこけたらしく、ここ数日片足を引きずっていて、
店主Bに「へっぽこチーム」といわれてしまいました。

店主A&Cは互いにかばいあい、
「あ〜そうですとも、あたしたちはどうせへっぽこよ。」などと
健康優良な店主Bを牽制していたのですが、店主Cの足はあっという間に治ってしまい。
今は私だけが孤独なへっぽこです。

「マシュリカの旅」と「ガラスのジゼル」

マシュリカの旅今日は嬉しいお知らせがあります。

このほど、ヨゼフ・パレチェクさんの絵本「マシュリカの旅(原題・DAREK)」と、ベアトリーチェ・アレマーニャさんの絵本「ガラスのジゼル(原題・Gisele de Verre)」が、新進気鋭の出版社・編集工房くうから出版されました。

微力ながらプレシャスブックスも制作のお手伝いをさせていただきましたので、感慨もひとしお・・・
店主A・B共に、刷り上がったばかりの2册を眺めては
ニコニコしています。

ガラスのジゼルもちろんプレシャスブックスでも、入荷し次第販売を開始する予定。「マシュリカの旅」の方には、ささやかですがプレゼントを企画しています。

出版に寄せて、パレチェクさんがあたたかなメッセージを届けてくださいました。
詳細は追ってご報告させていただきますね。

もうすぐ1年

はやいもので、ここに越してきてからもうすぐ1年になります。
最初はとにかく、仮住まいをしてみようという軽い気持ちでやってきたのですが、
今ではすっかりこの土地が気にいってしまい、
『この辺りに根を生やそう』という気持ちが強くなってきました。
私たちのような、他からやってきた人たちのほとんどは、人里からは少し離れた
高台で眺めのいい別荘地などに移り住むことが多いようなのですが、
私たちは、この辺りの人たちのあたたかさに惹かれているので、
できれば人里に家を見つけて移り住みたいねと話しています。

ここは本当に小さな街で、魚屋さんや八百屋さんがポツポツとあるだけで、
スーパーも無いし、もちろん本屋さんも無いし、
かといって、とくに観光名所というわけでもないし・・・
ごくごくありきたりな海町なのですが、
その普通なところがなんだかすごく気に入りました。

例えばこんなところで「古本屋」なんか営んでみたらどんな感じなんだろうと
ふと想像してみたのですが、どう考えても経営が成り立ちそうにありません。
でも、いつも店主Cを可愛がってくれる魚屋さんのとなりに絵本屋なんかがあったら、
地元の子どもたちのたまり場にはなりそうです。
なんてたって、本屋は隣街まで行かないと無いのですから。
(もしかして、プレシャスブックスってこの街唯一の本屋?)

そろそろ本格的に家さがしをしようと思います。

PADE TOP