*たわごとコラム

「コーラ! ベリー コールド! ○○ポンド!」

【エジプトのおはなし その2】

久しぶりに、古いアルバムを引っ張り出してきました。

当時、エジプトのルクソールで撮った一枚。
砂漠でコーラを売っていた兄妹です。

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ルクソールの西岸には、王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿などの遺跡が点在しており、
世界中の観光客が訪れます。
その遺跡と遺跡をつなぐ観光道路の脇で、二人は懸命に声を張り上げていました。

「コーラ! ベリー コールド! ○○ポンド!」

コーラの瓶を頭上にかざしながら、バスや車が通る度に、それを追いかけるようにして
何度も何度も叫びます。

「コーラ! ベリー コールド! ○○ポンド!」

写真を見ても分かる通り、辺り一面砂と石ころだらけのところで、
太陽を遮ってくれるものはこの小さな小屋だけ。
しかも、8月です。

私たちは現地で自転車を借りて遺跡巡りをしていました。(今では考えられない!)
ペダルをこいで王家の谷に向かう途中、この二人に遭遇したのです。

エジプトでは、物売りの子供は珍しくありません。
当然のことながら、私たちは充分な水を所持していましたし、
二人の声に応じることなくその場を通り過ぎました。

彼らからコーラを買ったのは、一通り遺跡巡りをし終えた帰り道のこと。
飲み水は残っていたものの、暑さで相当へばっていたので、
ベリー コールドなコーラがどうしても飲みたくなってしまったのです。

数時間が経っていましたが、二人は同じ場所で同じように叫んでいました。
私たちが自転車を止めると、お兄ちゃんの方がコーラを2本持って駆け寄ってきました。

「2本ちょうだい」

「はい、 一本☆☆ポンド」
その金額は、先ほどまで大声で叫んでいた金額よりも随分高くなっていました。

「☆☆ポンド? さっきは○○ポンドって言ってたじゃない」
彼は全くもの怖じせずに「じゃあ△△ポンド」と少しだけ値を下げてきました。

「じゃあ、もういいよ」と立ち去ろうとすると、
「だったら、いくらならOK?」と聞いてきました。

アラブ圏で買い物をする時にはよくあることです。
ご当地では当たり前のことですが、
日本人の私たちは慣れていないので、これが結構なストレスになるんですよね。

あーだこーだと交渉した末、結局○○ポンドで決着。
やっとベリー コールドな(はずの)コーラにありつけました。

一息ついて、帰りがけに何気なく妹の方にカメラを向けると、
お兄ちゃんがすぐに気づいて、駆け寄ってきました。

「バクシーシ!」
写真を撮らせてあげるのだから、お金を払えと。

私たちはその要求に、今度は迷わず従いました。
すると、彼は妹の肩を抱き、こうして写真を撮らせてくれたのでした。

こんなふうに話すと、このお兄ちゃんに眉をしかめる向きもあるかもしれません。
私たちも、エジプトを旅している最中はずっと身構えていました。
「エジプトで誰かと接する時には常に警戒していた」と言っても過言ではないくらいに。
だから、こんな子供たちを相手にしてついつい真剣に値段交渉をしてしてしまったのです。

お兄ちゃんは確かに商売上手?でした。
そうして彼は、妹を懸命に守っていました。
その肩には、家族の生活もかかっていたかもしれません・・・

この日の夜、私たちはずっと考えていました。

○○ポンドというのは、日本円にして10円とか20円とか、確かそういう金額で、
後になって冷静に考えれば、私たちにとっては
目くじらを立てるほどの金額ではなかったのです。
けれども、だからといって気安くお金を渡していいのか・・・
そもそも「そんな額で」と考えることが、どうなのか・・・
単純に「国や文化の違い」でかたずけていいのか・・・

今になって振り返れば、結果的に良かったのだと思うことができます。
けれども、当時若かった私たちの頭には、延々と答えのでない問いが渦巻き続けました。
彼らにとっての10円と、私たちにとっての10円の重さの違いについて。
そして、その重さの違う10円を、自分たちがこの国でどう考え、扱うべきかについて。

『少しでも売り上げが上がれば、その分彼らは、とりあえずではあっても、
 ほんの少し幸せになれるのではないか。
 妹の靴を買えるかもしれないし、学校に行けるようになるかもしれない・・・
 けれども、彼らは多分、明日も、明後日も、コーラを売らなければならない。
 何より、彼らはエジプトに生まれて、エジプトで生きてゆく・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

そうさせるのは、国なのか、親なのか、運命なのか、教えなのか、
とにもかくにも、
二人は、家族とともに今日を生きるため、
炎天下で、ただ懸命に声を張り上げていたのでした。
「コーラ! ベリー コールド! ○○ポンド!」「バクシーシ!」

エジプトで出会った子供たちのことを思い出しました。

前回のコラムでご紹介した新聞記事を読んで、
かつてエジプトで出会った子供たちのことを思い出しました。
もう大分前のことになりますが、エジプトには一度だけ訪れたことがあります。
数ヶ月間ヨーロッパを放浪した後、トルコを経由してカイロに渡りました。

その時にもうかなり旅慣れしていて、それなりに図太くなっていたのですが、
それでも、エジプトではたくさんのカルチャー・ショックを経験しました。

なかでも”バクシーシ”というフレーズは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
エジプトにいると、いろんな人からいろんな場面で頻繁に「バクシーシ」と言われるのです。

「バクシーシ」とは、イスラム教の教えで、
「富める者は貧しい者に施し、喜捨すべし」ということ。

要するに「バクシーシ」と声をかけられたら「施し」を要求されているということです。
当時は、自分が「富める者」であるという自覚は全くありませんでしたが、
どんな貧乏旅行でも、若くして他国に旅ができる日本人は、
エジプトの多くの人たちから見れば十分に恵まれた身分なのです。

その教えからすると「バクシーシ」は、他の国で経験する「ギブ ミー マネー」とか
サービスに対して感謝の気持ちで渡すチップなどとは、本質的に意味が違います。
施す者に対して、施される側は徳を積ませてあげるという感覚なのです。

ところが、イスラム教徒ではない者からすれば、
実質的に「ギブ ミー マネー」と「バクシーシ」の区別がつきません。

「施し」を要求されているという点においては同様で、
それどころかエジプトの「バクシーシ」の方がかなり強引な感じなのですが、
少しだけ状況が異なる印象がありました。
「ギブ ミー マネー」とは違い、「バクシーシ」は、
どう見ても貧しそうには見えない人からも求められるのです。

例えばある時、市場で突然背後から「ハロー」と肩を叩かれました。
振り返ると、そこにはきれいな身なりをした若い女性の二人連れが立っていて、
おもむろに「バクシーシ」と言いながら、片手を差し出してきました。

「ハロ~! バクシ~シ」
「・・・?」
あまりの唐突さに思わずポカンとしてしまい、
なんの反応もできずにいると、
二人は「意味が通じてないみたい・・・」と思ったようで、
ほどなく立ち去ってゆきました。

とにかく、連日の多様な「バクシーシ」に最初のうちは戸惑うばかりでした。
嫌な思いもしましたが、滞在時間が長くなるうちにだんだん慣れてきて、
少しだけイスラムの教えと向き合うことができるようになりました。

・・・つづく

エジプトに関する新聞記事

エジプトが変わりましたね。
あっという間に。

連日ように、新聞でも大きなスペースを割いて革命の様子を伝えています。

その片隅に掲載されていたこんな記事に、なんだかとても感動して
思わず切り抜いてしまいました。

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「プレシャス」という映画を観ました。

「プレシャス」という映画を観ました。
2009年に製作されたアメリカの映画です。
プレシャス・ブックスの店主としては、やはりこのタイトルは気になります。

precious(プレシャス)というのは、【貴重な】【大切な】という意味を持つ形容詞で、
例えば「precious books」というようにbookという単語と結びつけば、
「貴重な本、大切な本」という意味になります。
といっても、何を大切だと思うかは人それぞれなので、
博物館に展示されるような本を「precious book」という人もいれば、
子供の頃に持っていた思い出の絵本をそう呼ぶ人もいます。
ちなみに、このショップをプレシャス・ブックスという名前にした理由は

” P R E C I O U S  B O O K S ” って?」
のページに書いた通り。

さて、この映画に描かれた「プレシャス」とは、いったいなんなのでしょう。

それは・・・16歳のアフリカ系アメリカ人少女の名前でした。
クレアリース“プレシャス”ジョーンズ、彼女はハーレムに住み、
悲惨な運命を生きています。

彼女に“プレシャス”という名前を付けたのは母親です。
親にとって我が子はかけがえのない宝物なのですから、
どんな子供も“プレシャス”のはず。
ところが、クレアリース“プレシャス”ジョーンズは、
実際にその名を持ちながら親から宝物として扱われていません。

ストーリーに触れるとネタばれになってしまうので、
ここでは感想に止めますが、
この映画を観て私は再び「プレシャス」について深く考えました。

「プレシャス」を、どんな名詞にも結びつけずに問うた時、
私にとっての「プレシャス」とは?
人間にとっての「プレシャス」とは?

冒頭にも記した通り、答えは人によって違います。

大切だと思うことも、大切だとおもうものも、複数あると思うのですが、
「一番・・・」はなんなのか・・・

自分の存在意義がまったく感じられず、
生きる希望が見いだせないような運命の中にあっても、
失われない「プレシャス」とは?

この映画には多分、人間にとってミニマムでマックスの「プレシャス」が描かれています。

絶望的な運命を生きる少女が、
「ホープ(hope)」ではなく「プレシャス(precious)」と名付けられているところが、
この映画の主眼点であり、メインテーマなのだと思います。

公式サイト
http://www.precious-movie.net/

春が来ました。

立春とともに春が来ました。

2月だというのに暑くも寒くもない陽気です。

さすがに桜はまだですが、桜と見まごうばかりの
立派な白梅が咲き誇っています。

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今日、秋田に住む友人からメールが届きました。

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ものすごい氷柱・・・

同じ日本とは思えません。

花屋敷のねこ

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何故かレジ袋の上に鎮座・・・

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