*たわごとコラム
Merry X’mas! ワン♪ワン♪ワン♪
ペットフードのCMのようですが、あんまり可愛いので。
Merry X’mas!
世界中の多くの人がクリスマスを祝うこの日、
例えクリスチャンじゃなくても、ともに喜びを感じる日であっていいと思います。
日本の子供たちにとってクリスマスは、
ケーキやごちそうを食べる日だったり、プレゼントをもらえる日だったりしますが、
それでみんなが笑顔になるなら、神様もきっと喜んでいるでしょう。
なにがどうであれ、「クリスマス」と聞いただけでなんとなくワクワクしたり、
楽しい気持ちになったりするなら、それだけで大きなギフトです。
さあ・・・
ケーキを買って早めにお家に帰りましょうよ。
「サンタクロースはいるに決まってる!」と断言しちゃいましょうよ。
「煙突がなくても、サンタクロースは鍵穴からだって入って来れるんだ」と
言い切っちゃいましょうよ。
何も予定がないのなら、誰かのために祈りましょうよ。
その祈りを「神様がきっと叶えてくれる」と信じちゃいましょうよ。
それであたたかな気持ちになれるなら・・・
だって、クリスマスなのですから。
星とのつながりを取り戻せたら
14日の夜はあいにく曇ってしまい、双子座流星群を見ることはできませんでした。
お天気ばかりは運次第、どうすることもできません。
流星群は、主なものだけでも年間に10以上もありますので、
また来年に期待することにします。
流星群を見るために旅に出る、なんていうのもいいですねぇ。
できることなら光害の少ない国に足をのばして、
漆黒の闇の中で流れ星を観察したい・・・
「夜の地球」画像で確認してみると暗い所はたくさんあるのですが、
砂漠とか、ジャングルとか、高い山とか、
人が行けないようなところでは意味がありません。
そう考えると、星の観察が出来る安全な暗闇はそんなに多くはないのです。
私は以前、オーストラリアの平原で星空を見上げたことがあります。
上の画像で見ても、ほとんど光がない場所です。
天体観測が目的で訪れたわけではないのですが、
その日の夜はたまたま快晴で、月も出ていませんでした。
その時に見たあふれるような星空は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
星がありすぎて、目が混乱してしまうほどでした。
頭上にめまいがしそうな程たくさんの星が瞬いているのですが、
空が大きすぎて、とても視界には収まりません。
そこで、一方向を見据えてその一帯の星々に焦点をあてようとしたのですが、
ふわ~と視界がぼやけたようになって、うまく捉えることができませんでした。
仕方なく、明るく光る星に的を絞って見つめていると、
やっとその周りのいくつかの星の瞬きが見えてきました。
ちなみに、その頃の視力は両眼とも1.5以上だったので、
目の問題ではないと思います。
あふれる程瞬いているのに、目をこらせばこらす程見えなくなってしまう星々・・・
それはとても不思議な感覚でした。
その時、星は目で見るものではないのかもしれないと感じたのを覚えています。
あんなにたくさんの星があると、体全部、感性全部で大きく感じ取るしかないのです。
こんなところに住んでしたら、星が地上のものたちに影響を与えていると感じても、
なんの不思議もありません。
そんな星空を一度見てしまうと、
普段見ている日本の夜空が、偽物のように思えてきます。
本当はもっと、もっともっと星があるのです。
イルミネーションなんて必要ないよと思えるほどに、
たくさんの星がキラキラ輝いているのです。
星とのつながりを取り戻せたら、人の思いの何かが変わって、
「夜の地球」はもう少し暗くなるような気がします。
闇を探して
NASAと米海洋大気局が昨年打ち上げた「スオミNPP衛星」が撮影した画像です。
この衛星は特殊な赤外線画像装置を搭載していて、
海上の1隻の船明かりまで認識することが出来るのだそうです。
明るいですね~。
アメリカ、ヨーロッパ、インド、中国・・・
日本なんて、国中が光っています。
これじゃあ、日本できれいな星空が見えないのも当然です。
都市部では、よく晴れた日でも明るい星しか見えません。
田舎に行けばたくさんの星が見えますが、
お年寄りは口を揃えて「昔ほどじゃないよ」と言います。
そりゃそうですよね。
地上の明かりはどんどん増えているのですから。
今では、天の川を見たことがない子もたくさんいるのでしょうね。
私は子供の頃から星を見るのが好きでしたが、
ずっと人口密集地に住んでいましたので、自宅から見える星の数は限られていました。
明かりが少ないところ程きれいに見える星空の観察は、
子供だけでは出来ないことなのです。
高校生の時、自由研究のテーマに「流星群」を選んだら、
ペルセウス座流星群の日に、母が車で明かりの少ない場所に連れて行ってくれました。
充分な知識もなく、どこという宛があったわけではないのですが、
その日の天気図を見て、とにかく空が大きく見えて暗そうな場所を選び、
たどり着いたのは、広い砂浜が続く九十九里海岸でした。
暗い方へ、暗い方へと車を走らせて・・・
真っ暗な海岸に車を停め、ヘッドライトを消した瞬間に感じた大きな闇。
空を見上げた時に目に飛び込んできた、星、星、星・・・
私にとっては生まれて初めて見る、「降るような星空」でした。
その後も何度か流星群を見るために、四方八方へ「闇への移動」を繰り返しましたが、
年々、ここは!という場所が見つけずらくなっています。
街灯が一つついているだけでも、星は見えなくなってしまうのです。
山や森に入れば明かりはなくなりますが、
木に囲まれてしまうので空が大きく見えません。何より夜は危険です。(当たり前)
12月14日 はふたご座流星群のピーク。
今年は新月に重なっているので、天気さえよければ絶好の条件となります。
もしも晴れたら、また暗闇を探しに出かけようと思っています。
『当たり前』という『奇跡』をおこす国
日本が他の国からどう見られているのか。
最近、そんな内容の番組や記事をよく目にします。
取り上げられているのは、
海外で制作された、日本の文化や自然を紹介する番組。
日本を意識した洋画やドラマ。
海外で注目されている日本の文化、等々。
私たち日本人にとってごく当たり前なことが、驚きをもって紹介されていたり、
「これは本当の日本文化じゃないでしょう」 というようなものが映画になっていたり。
いずれにしても、「へぇ~」と思わされるものばかりです。
記憶に新しいところでは、
昨年の震災時に、有事の時でも日本人が非常に冷静で礼儀正しいということが、
海外メディアでニュースになりましたね。
それを知って、むしろ私たちの方が驚いてしまいました。
良くも悪くも、
外からの視点で日本を見ることによって、初めて気づけることがあります。
私も、海外に出てみて、初めて自分の母国を見直すことができました。
外に出るまでは「母国」という意識すらなかったような気がします。
出始めた頃は、日本にないものばかりが目につきました。
けれども次第に、日本がいかにすばらしい国かということに気がつきました。
そしてさらに、「みんな違ってみんないい」と思うようになりました。
それでもなお、「日本は特にすばらしい」と思うのは、
母国へのひいき目でしょうか。
例えば、先日サウジアラビアで放送されているという日本を紹介する番組では、
日本の思いやり文化を絶賛していました。
「奇跡の瞬間の撮影に成功しました!」という前振りで紹介されていたのは、
日本の若い人たちが、地面の上に落としてしまった食べ物を
みんなで拾って持ち帰る姿でした。
公園にゴミ一つ落ちておらず、みんながゴミを持ち帰ることは、
サウジアラビアの人たちにとっては奇跡に等しいことなのですね。
いずれの国もいろんな問題を抱えています。
日本でも連日『こんな状況で日本に未来はあるのか?』と思えるような
ニュースばかりが流れています。
けれども、私は心のどこかで『大丈夫』だと思っているのです。
混乱があり、乗り越えなければならないことが山積みでも、
自信を失う必要はないと。
日本は、『当たり前』という『奇跡』を、
特に意識もせず誰もが起こせる国なのですから。