*たわごとコラム
宝物が売れた—その2
フリーマーケットに参加するたびに、出品するものがあります。
クッキーの空き缶に細々したものを詰め込んで、10円とか30円とかいう値段をつけ、店先の端っこに置いておくのです。
地面に敷いたシートの上に直接置いておくことがポイントです。
細々したものというのは、ビーズが詰まった小瓶だったり、色ガラスのブロックだったり、アクセサリーのパーツだったり・・・何かを作った時に出た素材のあまりや、部品などなど。出来合いのおもちゃや雑貨などは一切ありません。
一見ガチャガチャで、でもなんだかちょっとキラキラした、使い道があるようなないようなガラクタです。
このクッキー缶に、毎回必ず子供たちが集まってきます。女の子が多いですが、男の子が来ることもあります。
親御さんと一緒の場合には、子供たちが興味津々に缶の中を覗き込んでいても「そんなもの!」といわれて強制的に連れて行かれてしまうのですが、最近はわずかなお小遣いを与えられて、そのお小遣いで買えるものなら何でも買ってきていいよと言われる子もいるらしく、そういう子供たちがこの缶に興味を示すと、店先にしゃがみこんで延々と中身を眺めているのです。
そういう時は、そっと見守ってあまり声をかけないようにします。
ほとんどの子が、一つ一つのものをじっくり眺め回して、かなりの時間をかけて買うものを選びます。「買う」ということは最初から決めているようなのですが、お小遣いの計算をしながら、どれを選ぶかじっくりと考えているのです。
本当はプレゼントしてもいいようなものなのですが、そんなことをしてしまうと、むしろその子にとっての大切な時間を奪ってしまうような気がするのです。ですから、プレゼントの代わりに「これをください」といってきたら、「一つ何かをおまけしてあげるから、好きなものを選んでいいよ」と答えます。そうすると、みんなものすごく嬉しそうにして、またじっくりと時間をかけておまけの一つを選ぶのです。
いったいどうしてこの缶がこんなに子供たちを引き寄せるのか、その光景を見ている方も興味津々です。フリーマーケットでは10円20円で売られているおもちゃは他のお店にもたくさんあるので、「安くて少ないお小遣いでも買えるから」という理由だけではないことは確かです。
2.3人の女の子グループで缶を囲んだ場合には、とても姦しくてその会話を聞いているのも楽しいです。
「わ~、コレなんだろう」
「わ~、きれい~」
「こういうの好き~」
「どれがいいかな~」
「青いのきれい~」
今回は男の子もやってきていつまでも缶の中を眺めていました。
程なくご両親がやってきて連れて行かれてしまいましたが、しばらくすると再び家族で現れて、すかさず缶に駆け寄った男の子は中から色ガラスのブロックを選んでお父さんに差し出し、どうしてもこれが欲しいのだとおねだりしました。缶の中の色ガラスが忘れられなかったようです。その子は結局2色の色ガラスを買ってもらって満面の笑みで去って行きました。
ある女の子が誤って地面に撒いてしまったビーズに、子供たちがいつの間にかわらわらと鳩のように集まって、宝探しが始まってしまったりもしました。
とにかく、この缶の周りでは面白いことがたくさん起こります。
そんな光景を見ていると、自分がこの子たちと同じ年頃だった頃の、ワクワクした気持ちを思い出します。
宝物箱に集めていたもの・・貝殻、丸くてキレイな石、どんぐり・・・・
お小遣いを握りしめて駄菓子屋さんに行ったときのこと、
近所の旋盤工場の裏に積まれていた、くるくる渦を巻いた金属が見たくて学校の帰りに必ず立ち寄っていたこと、
あの頃のそうしたワクワクした気持ちが、確かにその後の私の心を形作る材料になっています。
おもちゃ屋さんに並んでいる高価なおもちゃやゲームにも、子供たちは同じような反応を示すのでしょうか?
私にはよく分かりませんが、少なくともこの缶を覗き込む子供たちの様子を見ていると、与えるおもちゃを考え直したほうがいいのではないかと思えてきます。
完成形のものよりも、想像や創造の材料となるようなものにめぐり合わせてあげたほうが良いような気がするのです。
宝物が売れた—その1
先週末、数年ぶりに地元のフリーマーケットに参加してきました。
第一の目的はもちろん家の中の不用品を整理することなのですが、
毎回色々な出会いや発見があって、いい思い出にもなるので、我が家では数年に一度の恒例行事になっています。
今回は叔母の友人からの委託品がありました。
『手鞠』というのでしょうか、私が子供だった頃近所のおばあさんが作っていたので、
久しぶりに目にして懐かしさを覚えました。
当時は今よりもずっと作り手が多かったのではないかと思います。
とにかく、作ることそのものが楽しくて続けているので、作品が増えてしまって困る・・・・ということでした。
もちろん商売にする気もないし、捨てるのも勿体無いからフリーマーケットで売って欲しいというのです。
当日は朝一番からこの『手鞠』を見て、たくさんの方が足を止めてくださいました。
「懐かしい」という人。
思い出話を聞かせてくれた人。
「今はものすごく高く売られている」と教えてくれた人。
作り方を教えてくれた人・・・・
一番印象的だったのは、値引き交渉もせずに一つ買ってくれた青年でした。
年齢的には20代前半といったところ・・・何かものづくりをやっていそうなアーティスト風のオーラを放っていました。
青年はものすごく興奮した様子で一つ一つの作品を眺め回し、
「わ~、これどうやってつくるんですか??」
「中に何が入っているんですか??」
「この模様はどうやって出すんですか??」
「これ、正式名は何て言うんですか??」
矢継ぎ早に質問が飛んできます。
けれども、私が作ったわけではないので子供の頃の記憶をたどっても曖昧な返答しかできません。
そこにちょうどやってきた年配の女性が、その質問の全てに答えてくださいました。
後で聞いた話によると、昔作っていらっしゃったことがあるのだそうです。
青年は目をキラキラさせてその女性の話を聞いていました。
私にとっては昔懐かしい『手鞠』でも、その青年にとっては初めて目にするもので、
しかも何かものすごく感性を刺激するものがあったのでしょう。
彼は家に帰ってこの『手鞠』について調べ、そして新しい作品を生み出すかもしれません。
そんなエネルギーが強く伝わってきました。
大げさな言い方かもしれませんが、その光景には日本の未来への「希望」のようなものが見えました。
こんな風に、日本の失われつつある「佳きもの」が、次の世代へと伝わってゆけばいいのに・・・
と、ふと感じたのです。
何はともあれ、預かったものを、すごく良いかたちで受け渡しすることができたと思っています。
頭の中でリフレインしているメロディー
ここ数日、頭の中でリフレインしているメロディー。
時間に追われてる時ほど、こんなメロディが流れる・・・