*たわごとコラム
クリスマスの本棚
いよいよクリスマスまで一か月を切りましたね。
のんびり屋の私は『クリスマスなんてまだ先』という感覚なのですが、
街はすっかりクリスマス・カラー。
残り少なくなった晩秋の景色を追い払うように、イルミネーションが瞬いています。
プレシャス・ブックスでも、“ようやく”というか、“もう”というか、
クリスマスの絵本を集めた特設本棚を設けました。
といっても、新入荷の絵本はまだ僅か、これから少しずつUPしていく予定です。
ゆったりのんびり、クリスマスの準備です。
お菓子作り
小学生の時に「お料理しましょう!」という
子ども向けの料理本に出会ってからというもの、特にお菓子づくりにハマってしまい、
10代半ばぐらいまではよく、クッキーやらケーキやらパイやら
いろんなお菓子づくりに挑戦していました。
一時期は、クリスマス・ケーキまで自作するほどだったのですが、
高校を卒業するあたりから、急に熱が冷めてしまいました。
時間的余裕がなくなったから、ということもあるのですが、
一番の理由は、お菓子の材料である砂糖やバターの分量の多さ。
お菓子を手作りしてみると分かるのですが、
とにかく多い! 砂糖やバターの量が 。
小・中学生の頃はそんなに気にならなかったのですが、
お年頃ともなると(私にもあったのよ、そういう時代が・・・苦笑)、
お菓子を作る度に、『こんなに砂糖をいれるんだ!』とか
『こんなにバターをつかうんだ!』とか・・・
そんなことが気になり始めてしまったのです。
例えば、レシピにお砂糖80gと書いてあって、
『ふむふむ、80gね・・・』と計りで分量を量ってみると、
「え?こんなに~~!?」となるわけです。
市販のバターをほとんど丸ごと使うなんてレシピもザラですし、
クリームやら、チーズやら、チョコレートやら、
とにかく、すごいカロリーであることが材料の分量を見ることで
ものすごく具体的に理解できてしまうのです。
コーヒーを飲む時に、カロリーを気にして
『お砂糖をスプーン一杯だけにしておこう!』なんて 、
そんなささやかな努力は、小さなお菓子を一つつまんだだけで
あっというまに帳消しになってしまいます。
さらに20代になると、カロリーのことより、
健康上どうなのかということの方が気になり始めました。
自然食について興味を持ち始めていたので、
分量の多さだけでなく、その質にまで考えが及ぶようになったのです。
そうなるともう、子どもの頃のように無邪気にお菓子づくりを
することができなくなってしまいました。
自己流で、レシピより砂糖やクリームの量を減らして作ってみたりもしたのですが
特にお菓子というのは、下手なことをすると膨らまなかったり、固まらなかったり、
失敗する確率がとても大きいんですよね。
お店で売られているお菓子たちも
どんな材料がどれぐらい使われているのか予想がついてしまい、
その上、最近では添加物も気になったりして、
そう簡単には手が伸びなくなってしまいました。
・・・といっても、甘いものが嫌いになったわけではありません。
というか、今も大好き・・・(苦笑)
その後、自然食関係のお菓子のレシピとか、お砂糖を使わないで作るレシピとか
そういうものがあることを知って、また時折手作りをするようになりましたが、
もうだいぶ長いこと生クリームを泡立てていません。
今ではもう、お砂糖たっぷりのお菓子は苦手になり、
野菜や果物の自然な甘みでも充分に“甘く”感じるようになりました。
ご飯でも、水でも、塩でも、良いものはよくよく味わうと甘みを感じます。
しかも、それがものすごく美味しいのです。
・・・やっぱり、甘いって美味しい!
なにがどうあれ、甘いもの断ちなどできるわけもなく、
時には、あれこれ考えずに「心の栄養補給だ~」などといってお茶の時間を楽しんでいます。
ケーキを買って、なんでもない日を祝ったりもします。(笑)
発作的クッキング
今日はプリンを作り、パンを焼きました。
時々、発作的にそういうことをやりたくなります。
しかも、なんやかやと忙しい時に限って。
逃避??・・というより、『こうありたい』という暮らしに
リセットしようとしているのかもしれません。
どんなに忙しくても、食にだけはできるだけ気を配っていたいと思っているのですが、
さすがに、パンやお菓子まで毎日手作りする余裕はありません・・・
プリンなんかは、作ってみればそんなに手間も時間もかからないのですが、
それでも、既製品に手が伸びてしまいがち。
だけど、 お手製のものは何でも美味しく感じるんですよね。
とにかく、添加物の心配がいらないし、味も好みに合わせて調節できるし、
ちょっとぐらい失敗しても、あばたもえくぼです。
できたてを食べる時はもう、この上もなく豊かな気分!
とにかく幸せ!
あ~それなのに、どうして毎日手作りすることができないのでしょう?
何のために忙しく働いてるんだっけ?・・・なんて思ってしまいます。
そう、こんなふうに頭の中が“?”でいっぱいになると、
突然台所で何かが始まるわけです。
ちなみに、前回の発作時には、麹にまつわるものをあれこれ作りました。
お陰様で今では、毎日美味しいお漬け物が食べられます。
日々、瓶の中でぷくぷく育つのを見るのも楽しみ。ヘヘヘ
急に寒くなりましたね。
急に寒くなりましたね。
昨日東京に足を伸ばしたのですが、 この辺りよりもずいぶん寒いと感じたので、
吉祥寺に住んでいる知人にそう伝えると、
「長野から来た人が『東京は暖かいわね』といっていたよ」と笑っていました。
どうやらすっかり暖かさに慣れてしまったようです。
この辺りの気候は温暖な上に温度差も小さいので、あまりきれいな紅葉は望めません。
そのかわりといってはなんですが、 寒くなると空気が澄んで、星空と夜景がきれいです。
光の一つ一つが煌めいて見えるんです。
寒い季節にこちらに来る機会があったら、
是非、夜の散歩を楽しんでくださいね。
覚悟
以前このコラムでご紹介した、“猛犬注意”の犬の飼い主さんが、
昨日、クロッキーの散歩で家の前の道を通りかかった時にちょうど表にいらっしゃって、
声をかけてくださいました。
「クロちゃん、何歳になったの?」
「もうすぐ17歳です。」
「そお~、うちもね、小さな犬を家の中で飼っていたんだけれど、
ついこの間17歳で亡くなったばかりなの。 」
飼い主さんはそういって、目頭を押さえました。
「ごめんなさいね、思い出すとすぐに涙が出てきちゃって。
娘なんて一週間も泣きっぱなしで、ご飯もろくに食べないのよ。」
その悲しみは、私も何度か経験したことがあります。
だから、思い出すだけで涙が出てしまう気持ちも、とてもよく分かります。
クロッキーも、17歳。
一緒に過ごせる時間は、もうそんなに長くはありません。
その日のことを思わない日はないし、だからこそ今が愛おしいのです。
そう思うと、今からでも涙が出てきてしまいます。
悲しみの深さは、その子への愛情と、その子からもらった喜びの大きさに比例します。
だから、思い出すだけで涙が出るのは、共に過ごした日々が
とてもとても幸せだったということですね。
亡くなったわんちゃんも、さぞかし幸せだったことでしょう。
『こんなに悲しい思いをするのはもういやだ、だから二度と動物は飼わない。』
と、以前の私はそう考えていました。
店主Bがクロッキーを拾ってきた時も、はじめは里親になってくれる人を捜すつもりでした。
けれども今は、覚悟ができています。
悲しみを避けようとすれば、喜びも失うのだということに気づいたのです。
その悲しみも受け入れるということ、それが本当に家族として愛することなのだと、
他でもない、クロッキーが教えてくれました。