*たわごとコラム
「犬と猫と人間と」
動画サイトに投稿された可愛らしい犬猫映像を見ると、とてもハッピーな気持ちになります。
被写体になっている動物たちの仕草が愛くるしいというだけでなく、
それを撮影している人間たちの愛情が伝わってくるからです。
映像には映っていなくても、近くにいる人や、
カメラを回している人が笑顔であることが手に取るように分かります。
同じような映像が世界中から数えきれない程投稿されているのを見ていると、
この世界は、なんて平和なのだろうと思えてきます。
けれどもこれは、世界の一側面にすぎません。
昨日「犬と猫と人間と」という映画を見ました。
日本で殺処分される犬猫は年間30万頭以上。
その数を少しでも減らすために奮闘する人たちの苦悩とジレンマを
4年にも渡って追い続けたドキュメンタリーです。
この映画は、「不幸な犬や猫を少しでも減らしたい」と願う、
あるおばあさんの思いから生まれました。
長年捨て猫の世話をしてきたそのおばあさんは、
満期を向かえる自分自身の生命保険を差し出して、
「動物たちの命の大切さを伝える映画を作ってほしい」と
飯田基晴監督に製作を依頼したのです。
思わず目を背けたくなる・・・そんな映像がたくさん出てきます。
私も何度も目を背けそうになり、その度に自分を戒めて、そしてさんざん泣きました。
けれども、微笑ましいシーンもたくさんあります。
そして、見終えた後、微かながら希望すらも感じることが出来ます。
飯田基晴監督は撮影中ずっと悲惨な現実と向き合い続け、
ご自身の思いも複雑だったに違いありません。
闇の部分も、微かな希望も、監督自身によってただ淡々と語られています。
きっと監督は、一人でも多くの人に観てもらうことに意義があると考え、
あえて、そのように描いたのではないかと思います。
そして誰よりもまず監督自身が、
ほんの僅かでも希望を見いだそうと苦悩されたのではないかと思うのです。
人は、見たいものしか見ないものです。
動画サイトに投稿された可愛い犬猫映像だけを見ていた方が、”楽”です。
けれども、人間のそうした意識がめぐりめぐって悲惨な現実を作り出していることを、
この映画は伝えています。
私は、この映画の中に出てきた殺処分を待つ犬や猫たちの姿を、その目を
一生忘れることができないと思います。
そしてこうした現実が日々繰り返されているのだという思いを、
常に抱いて生きてゆくでしょう。
もちろん、それは以前から知っていたことですが、
この映画を観て更に浮き彫りになりました。
この映画の中で、「人間がこの世界で最も強欲で残酷です」と語られるシーンがあります。
私もそうした人間の一人として
悲しみやジレンマや、自分の中の矛盾に目を背けないことが、
せめてもの報いなのだと感じています。
>>オフィシャルサイト
http://www.inunekoningen.com/
相手のことを思っているつもりでいながら
私は、相手より先に電話を切ることができません。
知り合いや友人が電話を切ったのを確認した後に、
ちょっと安心した気持ちになって“切る”のボタンを押します。
けれども、相手も同じようなタイプの人だと、
お互いになかなか切るタイミングをつかめなくなって、
不思議な間が出来てしまうことがあります。
そこで最近は、そういう時こそ私から先に電話を切るようにようにしています。
同じタイプだから、分かるんですよね。
なかなか電話を切れない気持ちが。
私から先に電話を切って、相手がほんのちょっと安心した気持ちになれるなら、
それがなによりと思うようになりました。
同じような心境の変化がもう一つ。
以前は、頂き物をした時にはすぐにお返しを、と考えるのが常でした。
貰いっぱなしは失礼だと思うからです。
もちろん、今でもその気持ちは変わらないのですが、
ここに住むようになって、ちょっと考え方が変わりました。
例えばこの辺りでは、時折近所の方が野菜を分けてくださったり、
手づくりのお料理をごちそうしてくださったります。
そういう頂き物がとても多いのです。
はじめの頃は、すぐにお返しを持っていったのですが、
この辺りの方たちはとても律儀なので、
またすぐに“お返しのお返し”が来るのです。
更にうちが“お返しのお返しのお返し”を持って行こうものなら、
収拾がつかなくなってしまいます。
そこで今では、ただありがたくいただいています。
物で返すのではなく、心から感謝の気持ちを述べて、
時には後日「こんな料理にしてみました」と、路上で長話になることもあります。
時折、帰省した時のお土産や、手づくりのお菓子を持っていきますが、
それは“お返し”のつもりではなく、日頃の感謝の気持ちです。
義母はずっと、結構な広さの畑仕事をしていますが、
自分で食べる分はほんの僅か。
ほとんどが、誰かにあげるために作っているのです。
「この野菜は○○が、好きだから」
「この野菜は○○のところでは作ってないから、喜ばれる」
と、誰かの喜ぶ顔見たさに、汗水たらして農作業をしているのです。
そしてそれが義母の、生き甲斐の一つになっています。
だから、義母はお返しなんか貰うよりも、
もりもりおいしく食べてくれた方が嬉しいと言います。
今ではみんな分かっていますので、いちいちお返しをしてくる人はいません。
そのかわり、持ちつ持たれつ。
ある日玄関先にバケツ一杯のアサリが置いてあったり、
花が置いてあったり・・・
名前なんて書かれていなくても、誰からのお裾分けなのか全部分かるのだそうです。
以前の私は、相手のことを思っているつもりでいながら、
無意識に『不義理をしたくない』という自分の気持ちを優先していたのかもしれません。
それは、見返しを期待して何かをするのと同じですよね。
今では「ありがとう」の気持ちが、以前よりも
ゆったりと、でもしっかりと、繋がり合っているのを感じます。
そしてそれは、その人を心から信頼するということでもあるのですね。
なかなか切るタイミングをつかめなくなって
私は、相手より先に電話を切ることができません。
知り合いや友人が電話を切ったのを確認した後に、
ちょっと安心した気持ちになって“切る”のボタンを押します。
けれども、相手も同じようなタイプの人だと、
お互いになかなか切るタイミングをつかめなくなって、
不思議な間が出来てしまうことがあります。
そこで最近は、そういう時こそ私から先に電話を切るようにようにしています。
同じタイプだから、分かるんですよね。
なかなか電話を切れない気持ちが。
私から先に電話を切って、相手がほんのちょっと安心した気持ちになれるなら、
それがなによりと思うようになりました。
同じような心境の変化がもう一つ。
以前は、頂き物をした時にはすぐにお返しを、と考えるのが常でした。
貰いっぱなしは失礼だと思うからです。
もちろん、今でもその気持ちは変わらないのですが、
ここに住むようになって、ちょっと考え方が変わりました。
例えばこの辺りでは、時折近所の方が野菜を分けてくださったり、
手づくりのお料理をごちそうしてくださったります。
そういう頂き物がとても多いのです。
はじめの頃は、すぐにお返しを持っていったのですが、
この辺りの方たちはとても律儀なので、
またすぐに“お返しのお返し”が来るのです。
更にうちが“お返しのお返しのお返し”を持って行こうものなら、
収拾がつかなくなってしまいます。
そこで今では、ただありがたくいただいています。
物で返すのではなく、心から感謝の気持ちを述べて、
時には後日「こんな料理にしてみました」と、路上で長話になることもあります。
時折、帰省した時のお土産や、手づくりのお菓子を持っていきますが、
それは“お返し”のつもりではなく、日頃の感謝の気持ちです。
義母はずっと、結構な広さの畑仕事をしていますが、
自分で食べる分はほんの僅か。
ほとんどが、誰かにあげるために作っているのです。
「この野菜は○○が、好きだから」
「この野菜は○○のところでは作ってないから、喜ばれる」
と、誰かの喜ぶ顔見たさに、汗水たらして農作業をしているのです。
そしてそれが義母の、生き甲斐の一つになっています。
だから、義母はお返しなんか貰うよりも、
もりもりおいしく食べてくれた方が嬉しいと言います。
今ではみんな分かっていますので、いちいちお返しをしてくる人はいません。
そのかわり、持ちつ持たれつ。
ある日玄関先にバケツ一杯のアサリが置いてあったり、
花が置いてあったり・・・
名前なんて書かれていなくても、誰からのお裾分けなのか全部分かるのだそうです。
以前の私は、相手のことを思っているつもりでいながら、
無意識に『不義理をしたくない』という自分の気持ちを優先していたのかもしれません。
それは、見返しを期待して何かをするのと同じですよね。
今では「ありがとう」の気持ちが、以前よりも
ゆったりと、でもしっかりと、繋がり合っているのを感じます。
そしてそれは、その人を心から信頼するということでもあるのですね。
Henri’s Walk to Paris
Henri’s Walk to Paris
50年ぶりに復刊されましたね。
といっても、もう半年ぐらい経ちますが・・・
ヒッチコック監督の映画『めまい』や『サイコ』の
タイトル・デザインで知られるアメリカのグラフィック・デザイナー、
ソウル・バス(Saul Bass)がイラストを手掛けた絵本です。
コレクターたちの垂涎の的だったこの作品、
古書市場では長い間、相当な高値で取引されてきました。
復刊本は、PP加工が施されていないダストカバー付きで、
当時の版を忠実に再現したと思われる仕様になっています。
「足」と「手」だけで登場人物が表現されているのですが、それでも、
『パリに行ってみたい!』というアンリちゃんの冒険心が伝わってきて、
すんなりと感情移入してしまいます。
ところで、子供たちがこうした絵本に対してどういう反応を示すかというと・・・
これまでに何度か、いわゆるデザイナーズ絵本を実際に子供に読み聞かせしたという方の
書評を目にしたことがあるのですが、
おおむね「子供にはあまり受けない」という内容でした。
確かに、小さな子供と一緒にグラフィカルな絵本でイマジネーションを膨らませるためには、
ちょっと工夫が必要かもしれません。
だからといって、こうした作品を美術品のように扱うのはどうかと思います。
今でこそ、デザイナーが手掛けた絵本は珍しくなくなりましたが、
先駆けとなったソウル・バスやポール・ランドの作品が、
後続のアーティストに多大な影響を与えたことは言うまでもありません。
この絵本は、表現の可能性を広げ、アーティストの卵をたくさん育ててきたのです。
絵本によって育まれるのは、子供たちだけではないのですから。