*たわごとコラム

思いが詰まった古本屋

昔のアルバムを整理していて目に留まった古本屋の写真。
ポルトガルの小さな村で偶然見つけた店です。

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「小さな村」にしてはかなり大きな店で、足を踏み入れた瞬間「わ〜っ」声を出して驚いたのを覚えています。
壁一面に無数の木箱が打付けてあって本がぎっしり詰め込んであり、
店の真ん中には平積みの本が並んだ大きなテーブルと座り心地の良さそうなチェア。
何故か入り口近くで新鮮な野菜が売られています。
カウンターで、おそらく店主であろう若い男性がせっせと本の整理をしていました。

店の隅々から、店主の思いが伝わってきます。

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この店に込められた「情熱」を感じながら想像してみました。

  店主はこの小さな村を気に入ってここに移住して来た。
  そして、大好きな本に囲まれて暮らすという夢を実現させた。

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日本でもそうですが、こういう古書店は個人経営であることがほとんどです。
実現するには、大きなパッションとエネルギーが必要で、
おのずとそこにはオーナーが綴った「物語」がカタチになって表れています。

この店には、そういう物語がたくさん詰まっているように見えました。

古書店だけではありませんが、思いが詰まっている店はそこを訪れる人の思い出に残りやすいのです。

「愛」のコラム

久しぶりに開いたノートに、新聞の切り抜きが挟んでありました。

2014年11月1日、東京新聞1面のコラム欄「筆洗」。

▼『氷点』などで知られる作家の三浦綾子さんが七十七年の生涯を閉じたのは、十五年前の秋のことだった。愛妻の命の終わりを告げられた時、夫の光世さんはこう語りかけたという。「では、また会うまで。さようなら」
▼綾子さんは二十四歳で結核を発病し、十三年間も病床にあった。絶望のふちにあった彼女は、敬虔(けいけん)なキリスト教徒の前川正さんの誠実な愛に救われたが、その彼も結核で逝った
▼<妻の如く想ふと吾を抱きくれし君よ君よ還り来よ天の国より><癒えぬまま果つるか癒えて孤独なる老に耐へるか吾の未来は>。そんな歌を詠んでいた綾子さんを受け止めたのが、光世さんだった
▼綾子さんの自伝『道ありき』には、光世さんの求婚の言葉が書きとめられている。「あなたが前川さんのことを忘れないことが大事なのです。綾子さん、前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょうね」
▼光世さん自身も病弱だったが、綾子さんが作家になることを後押しした。度重なる病で筆を執れなくなった妻のため、口述筆記も続けた。「三浦文学」は、そうしてつむぎ出された
▼光世さんはおととい、九十歳で逝った。愛する妻が先に眠るその墓碑には、二人の短歌が刻んであるそうだ。<着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば>光世。<病む吾の手を握りつつ眠る夫眠れる顔も優しと想ふ>綾子

歌を聴いても、映画を観ても、そこかしこに愛、愛、愛・・・愛があふれています。
「愛」という言葉には手垢が付き過ぎて、陳腐に響いてしまいがちです.
けれど、このコラムに記されているものは「愛」だと、確かに私の心が震えたのでした。

備忘録として、ここに書き留めます。

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