*たわごとコラム

にんじんって、なに色?

お鍋を食べていて、ふと
『にんじんの色きれいだな〜』って思ったんです。
それで、なんとなくこの色はなんていう色なんだろうと考えたのですが、
しっくりくる色の名前が思いつきませんでした。

だいだい色?
オレンジ色?

だいだいもオレンジも、他の食べ物の名前です。
にんじんを指差して『オレンジ』だって言っているみたいで、
なんとなくしっくりきません。

ここからはもう、理屈の世界になってしまうのですが、
そもそも、「赤と黄の間の色」には色そのものの名前がないから
こういうことになってしまうんですよね。

前にもコラムに書きました。

『だいだい色ってどんな色?』
http://preciousbooks.blog26.fc2.com/blog-entry-554.html

もしも青という色の名前がなかったら、
空を映す海の色も、空色と表現したりするのでしょうか?

にんじんの色、なんて呼べばしっくりきますかね?

C1502-26

この際『にんじん色』でいいのかもしれません。
にんじんにも、いろいろな色がありますが、全部ひっくるめて『にんじん色』。
ちょうど、空色がそうであるように。

本来、“もの”の色はその“もの”の名前でしか表現できないものなのかもしれません。

店主B、ヒッチハイカーを拾う。

ヒッチハイクという言葉は誰でも知っていますが、日本ではあまり見かけませんよね。
うちは車で遠距離移動することが多いのですが、
これまで実際にヒッチハイカーを見かけたことはありませんでした。

ところが、先日店主Bが車で日帰り出張した日に拾ったんだそうです。大学生のヒッチハイカーを。
東海道を下って掛川という街に向かう途中、沼津という街でその大学生を乗せて、
約2時間半程一緒にドライブをしたとのこと。
彼の最終目的地は長崎で、一週間でたどり着ければいいと言っていたそうです。

大学で何を学んでいるか、今の社会問題について、政治について、
今時の大学生について、ヒッチハイクのコツについて・・・・
それはそれはたくさんの話をして、
『こんな大学生がいるなら、日本の未来にも希望が持てる』と店主Bは思ったそうです。
青春パワーを分けてもらったのか、出張で疲れているはずの店主Bもなんだかイキイキ。

若い世代の投票率が低い、なんていうニュースを見ると、
『おいおい大丈夫か?日本の若者たちよ』なんていう気持ちにもなりますが、
何でも十把一絡げにするのは良くないですね。

うちは時々、こういう旅人と出会うのですが、
それはやっぱり、自分たちがかつて同じように旅をした経験があるからなのだと思います。

旅先で、見ず知らずの人から受けた恩は数えきれません。
突然現れた身元も知れぬ私たちに、ただただ良心を示し、何の見返りも求めずに去っていった人々・・・
それらの思い出は、かけがえのない宝物です。
『少しでも恩返しをしたい』と素直にそう思います。
だから、店主Bも迷うことなくヒッチハイカーを乗せたのです。

ヒッチハイクをするリスク、ヒッチハイカーを乗せるリスク、が先に論じられる世の中です。
こんな時代ですからね、それはもう、ごもっとも。
けれども、どんなことにもリスクはつきもので、
リスクだけを考えたら得られないものや、失ってしまうものもあるのです。
そもそも旅とは、そういうものなのですよね。

こんな時いつも思うのですが、恩返しのつもりで、実は得るものの方が多かったりします。

子供は子供だった頃

子供は子供だった頃
いつも不思議だった
なぜ 僕は僕で 君でない?
なぜ 僕はここにいて そこにいない?
時の始まりは いつ?
宇宙の果ては どこ?
この世で生きるのは ただの夢
見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
この世の前の世の幻
悪があるって ほんと?
いったい どんなだった
僕が僕になる前は?
僕が僕でなくなった後
いったい僕は 何になる?

ずーっとずーっと昔に観た映画「ベルリン・天使の詩」に挿入されていた詩の一部。
何故だかこの詩を、今でも時々思い出します。

私も子供だった頃、不思議でした。
『時の始まりは いつ? 宇宙の果ては どこ?』
『僕が僕になる前は? 僕が僕でなくなった後 いったい僕は 何になる?』

だけど
『なぜ 僕は僕で 君でない? なぜ 僕はここにいて そこにいない?』と感じたのは
10代になってからのこと。
といっても、今となっては10代も充分に子供です。

最近、特に脳裏に浮かぶのが
『悪があるって ほんと? いったい どんなだった』
という一節。

子供の頃、突然何かを知って戸惑うことがありました。
例えば、生きているものはみんないつか死んでしまうのだということ・・・とか。
けれども、『悪があるって ほんと?』と感じた記憶が、私にはありません。
あったのは、親から躾けられた「いいこと わるいこと」の感覚と、
本やテレビから伝わってくる「悪ものと正義のみかた」のイメージ。
二元論的な善悪の定義は、いつの頃からかなんとなくインプットされていたのです。
大人になってからはむしろ、その定義の仕方が一層分からなくなりました。
もしも子供の頃の自分に
『悪があるって ほんと? いったい どんなだった』
と質問されたら、なんて答えたらいいのでしょう?

『この世で生きるのは ただの夢 見るもの 聞くもの 嗅ぐものは この世の前の世の幻』
この一節に至っては、とても子供が感じられるようなことではないと思ってしまいます。
もしも全ての大人がそれを感得できたなら、世界は変わるかもしれませんね。

けれどもその前に、大人と子供の境目すら分からない私です。

「風立ちぬ」

遅ればせながら『風立ちぬ』を観ました。

ファンタジー・・・・ではないのですね。

宮崎駿監督は、どのような思いでこの作品を制作したのでしょうか。

映画を観終わった後、監督ご本人の言に触れたいという思いが強くなり、
公開当時にTV放映された『宮崎駿スペシャル “風立ちぬ”1000日の記録』という
番組を観てみることにしました。
『風立ちぬ』の着想から公開までの3年間にわたって宮崎駿監督に密着取材し、
監督自身の言葉を丁寧に拾い集め、心の軌跡を記録したスペシャル番組です。

もちろん、この番組に記録されていることが全てではないにしろ、
監督が大きな覚悟を持ってこの作品を制作したのだということが、充分に伝わってきました。

『風立ちぬ』への思いが伝わる言葉の数々・・・

「作りたいから作るとしか言いようがない。」

「俗受けしないことがわかっていてもやる。」

「オレには時間がないんだよ。」

この作品には、従来作品よりもずっと監督自身の純度の高い本音が込められているのだということが伺われます。

「今は、女の子が別の世界に行ってどうのなんていう映画を作っている場合じゃない。」

「『風立ちぬ』というのは、”激しい時代の風が吹いてくる、吹きすさんでいる”、
その中で生きようとしなければならないという意味です。」

もはや戦後ではなく戦前なのだという危機感を抱きながら、
そんな時代にどのような作品を作るべきなのかを自問し、苦悩しながら制作を続ける監督の姿が印象的でした。

『風立ちぬ』のキャッチコピーは

「生きねば。」

宮崎監督が覚悟を持って世に送り出したこのメッセージを、今、心の中で反芻しています。
 
 

けれども私は、「ファンタジーを作っている場合ではない。」と語る監督に伝えたいのです。

私たちが、これまでのジブリ作品からどれほどたくさんの“生きる力”を与えられてきたかということを。

世界の多くの人々にとってジブリ作品は、子供の頃に受けた無償の愛のように魂に染み込んで、
折にふれて瞼の裏に甦り、無意識のうちにその歌を口ずさみ、生涯寄り添ってくれる心の友になっています。

暗い気持ちに覆われた時にも、懐かしいあの音楽を聴けば、あの物語を思い出せば、
その度にあたたかな気持ちになって、帰るべき場所を、進むべき未来を、明確に示してくれるのです。

シブリ作品は、この世界にたくさんの平和の種を蒔き続けています。
これからどんな時代になっても、世界中の人々の平和への思いを繋いでくれることでしょう。

もちろん、私の心の中にもその種は芽吹いています。

 
 

宮崎監督とジブリスタッフのみなさまへ・・・
“生きる力”を、ありがとうございます。
この拙いコラムに、感謝の気持ちを込めて。

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