*たわごとコラム
HAPPY HOLIDAYS !
今年の冬至は12月22日でした。しかも、19年に一度の「朔旦冬至」でした。
「朔旦冬至」というのは、新月が重なる冬至のことをいいます。
この日を境に日が延び始め、さらに月も膨らみ始めるので、
太陽と月が同時に復活するめでたい日とされているそうです。
クリスマスも、もともとは冬至祭だったという説があります。
すぐにお正月を控えていますし、この季節は何かとおめでたい空気が漂いますね。
とはいえ、今年もいろんなことがあって、
あれもこれもと思い出すとそんなに浮かれた気分にもなれない、という向きもあるかもしれません。
けれども、『いろいろあったけど、とりあえずここまでなんとかやってこれた』ということは、
それはかなりすごいことだと思うのです。
そもそも何もない年などあるわけないのだし、何も抱えてない人などいるわけもありません。
ほんとに、みなさんご苦労様でした。
お陰様で今ここに在ることを祝って、
また来年もみんなが同じようこの日を迎えられることを祈って・・・HAPPY HOLIDAYS!
ブッタのかつら?
ロマネスコを買ってきました。
こんな野菜です。
ヨーロッパではよく見かける野菜ですが、日本では最近まであまり売られていませんでした。
先日、近所のスーパーで見つけて思わず手に取りました。
それにしてもこの野菜、見れば見るほど不思議。
我が家では、「ブッタのかつら?」なんて冗談を言いながら楽しくいただきました。
よ〜く見ると、個々の蕾が螺旋を描いています。
これがかなり規則的なので『いったいこの野菜にはどんな魔法がかかっているんだ?』
と思えてきます。
なんでも、こんなふうに部分と全体が自己相似になっている形をフラクタルというのだそうで、
更にこの螺旋にはフィボナッチ数列とやらが関わっているんだそうな。
自然界の様々なものがこの数列に関わっているんだそうですが、
ロマネスコはとにかく誰が見ても数学的な要素を感じ取れるので、
何かと話題にもなるわけです。
それにしても、一見多種多様で混沌として見えるこの自然界が、
あるシンプルな法則によって成り立っているのだということを知ると、
ひとつの野菜にも神のみわざを垣間見るようでとても興味深いです。
「ブッタのかつら」というのも、結構、的を射た冗談かもしれません。(笑)
赤トンボはどこへ?
すっかり寒くなりましたね。
秋はもう終わりです。
今年の秋は、ほとんど赤トンボを見かけませんでした。
赤トンボ、どこへ行ってしまったんでしょう?
水田がある地域に行けば、まだ見られるのでしょうか?
気がついたら、いつの間にか・・・
そんなふうに変わってしまったものは、いったいどれぐらいあるでしょう。
そういえば、カエルの合唱も聞こえなくなりましたね。
ミツバチも見かけません。
カブトムシは今やお店でしか見られなくなりました。
もちろん変化することは、悪いことばかりではないけれど、
かつては当たり前だと思っていた風物詩が、いつの間にか失われていたことに気がついた時には
何とも言えずさみしい気持ちになります。
普段特別に意識することはないけれど、
というか、だからこそ知らないうちに自分の暮らしが他の命に対して
少なからず負荷をかけているいるのだなぁと、申し訳ない気持ちになります。
今からでも、取り戻すことができるでしょうか。
J氏の伝説
この街に住むJ氏は、いろいろな意味で筋金入りの”芸術家”です。
一言ではとても表現できませんが、
とにかく、この人を主人公にして映画を撮ったら面白いだろうなぁ〜と思えるような人物です。
作品一つがものすごい金額で売れたかと思えば、光熱費も払えない時があったり、
安定とは無縁の人生を、ず〜っと歩んできたJ氏。
そんなJ氏には、いろんな伝説があります。
例えば・・・
J氏の工房はこの町の山際にあって、そこにはこれまでに手掛けてきた様々な作品たちがゴロゴロ転がっています。
ある日のことその工房にガス屋さんが直接、滞納している使用料を集金しに来たことがあったそうです。
その時に、J氏がガス屋さんに言ったこと、
「今お金ないからさ、そこら辺にある作品どれでも持って行っていいよ。売れば数百万にはなるから。」
J氏は、別に冗談で言っているわけではないのです。
数百万、というのもなまじ嘘じゃない。
実際にJ氏の作品はそういう単位で取引されています。
J氏にとってみると工房に転がっている作品は、”まだ”売れていないだけなのです。
何とも豪快。
その時のガス屋さんの顔が目に浮かびます。笑
アーティスト、という生き方。
多賀網代文化展が終了しました。
年代も分野も様々な方々による展示会だったので、会場はとても賑やかでした。
この文化展では、ささやかながらお手伝いをさせていただいていることもあって、
通常とはまた違った見方で、それぞれの作品を鑑賞させていただくことができました。
普段美術館などで作品を鑑賞する時には、
作家さん自身のことを直接知っているということはあまりないと思うのですが、
今回は工房にお邪魔させていただいたり、
お酒を酌み交わしながらお話しを伺ったりして、
作家さんの人生観や価値観などに触れた上で、その方の作品を拝見できるという、
とても恵まれた経験をさせていただくことができたのです。
先述の通り、この文化展の出展条件は「その道で生きていること」ですから、
趣味の領域の方はいらっしゃいません。
ちょっと短絡的な言い方になってしまいますが、みなさん人生がかかっています。
特にファイン・アートの分野の方々の生き方には鬼気迫るものがあります。
例えば、ゴッホの経歴を思い出してみてください。
今でこそ、歴史に名を残し世界中で絶大な人気を博す巨匠ですが、
生存中に売れた絵は1枚だけだと言われています。
作品が売れなくて食うや食わずの状況になっても、創作し続けるという選択。
どんな苦境に立たされても、創作意欲が途切れないということのすごさ。
パワーの源泉はいったいどこにあるのか?
凡人が頭で考えて理解できるようなことではありません。
あるいは、見るもの全て、触れるもの全てが作品に集約されてゆくという過程・・・
それを楽しみながら暮らすという風流な生き方。
あるいは、日々積み上げるということの、絶大な力。
継続することによってしか、生み出し得ないものがあるということ・・・
そもそもアートとは何なのか。
観る者をそういう思いにさせる時点で、その作品は既にアートなのかもしれません。
今回、そういうものを生み出し続ける作家は、生き様そのものがアートであることを知りました。
私にとっては、作品に触れること以上に人間(作家)に触れることの方がおもしろい、
そんな展示会でした。
今後は、展覧会や美術館に行った時の作品の見方が変わりそうです。