*たわごとコラム

自分の色を持つということ。

「カプリの青」を見たのは、もう25年以上も前のこと。
イタリア南部の街、ナポリの港から船でカプリ島に渡り、そこからまた小さな舟に乗り換えて海上の洞窟に向かいました。
「青の洞窟」と呼ばれるその場所に、「青」を見に世界中から多くの人が集まります。

数日前、イッテQ!というテレビ番組で、イモト アヤコさんがその「青」を取材していました。
彼女のレポートが、とても印象的だったので思わずメモ。

   「こういうのって、写真とかだとちょっと盛ってる感じがするけど、全然盛ってない。めっちゃ、真っ青。」

   「青の中でも、最も青い。自然でできてる青ですもんね。」

25年前、「盛る」なんていう表現はありませんでした。苦笑
「盛ってない」ということは、「ありのままの」ということです。

番組中でさらに、イモト アヤコさん作の詩が、紹介されました。

   「青いよ 青いよ 青の洞窟は 青いよ
   加工しないでも 青いんだよ

   青のカエルは すっごい薄かったよ
   七色の大地は ほぼ茶色だったよ
   黄金の洞窟は くすんでいたよ

   でも 青の洞窟は 本当に青いんだよ  アヤコ 」

ここは、笑うところ。
実際に、私も大笑いしました。

つまり、事前に見た写真と、実際に取材に訪れて見た実物の色があまりにも違うことが多かった・・・と言っているのです。
番組では、綺麗な資料写真と、実際に取材した時の様子の比較映像が、詩と一緒に流されていました。

イモトさんは世界中を旅していますから、そういうギャップを感じることは少なくないはずです。
そんな彼女が、「全然盛ってない。めっちゃ、真っ青。」というのですから、本当に真っ青だったのでしょう。

私も実際にこの目で見たので、分かります。

なぜ、バラエティ番組のお笑いポイントだったこの詩を、わざわざこんな風に取り上げたくなったかといえば、
イモトさんがいうところの「盛った写真」について、思うところがあったからです。

25年前には、インターネットもスマートフォンもなく、私が持参したガイドブックに掲載されている写真は、ほとんどがモノクロでした。
なので、イモトさんが詩にしたようなギャップを感じることは、今ほど多くはありませんでした。
もちろん、自分の中で勝手に膨らませた期待と実物の違いを知って、がっかりするようなことはありました。
けれども逆に、予想以上のものを見て感動することの方が多かったのです。
いずれにしても、実際にその場に訪れて、自分の目で見て、触れて、空気ごと感じ取ることで、本物を知ることができます。
本物を知って初めて、メディアに載った情報が「ありのまま」ではないことを、はっきりと自覚できます。
誰かが撮った写真には、必ず「誰か」というフィルターがかかっています。
なんらかの「加工」がされていれば、さらに情報は変化します。

「盛った写真」がもてはやされる今という時代は、誰かがつくった色を、本物だと勘違いしやすい。
そこにギャップがあるのだということ自体に、なかなか気づけません。
それを無意識のうちに「知っている」と思い込んでしまう。
物心ついた時から、バーチャル世界に触れる時間が多くなっている世代は、なおさらです。

「青いよ 青いよ 青の洞窟は 青いよ 加工しないでも 青いんだよ」と世界を駆け巡っているイモトさんが教えてくれています。
「盛った情報」ばかりがもてはやされるTV番組では、珍しいことです。

本物の「カプリの青」を知るためには、青の洞窟に行かなければなりません。
そこで、自分の目に焼き付けた色だけが、自分にとっての本物の色。
そしてその色は、人それぞれに違います。

ちなみに、これは25年前にフィルムカメラで撮った「カプリの青」。
経年劣化してみごとに褪色しています。

 

けれども、私の中に焼きついた「カプリの青」は、いつまでたっても色褪せません。
温度や匂いや空気感や、何よりも思い出が折り重なった、唯一無二の「青」。
どんな高性能カメラにも写らない、私だけの「青」です。

そしてこれが、加工した画像。
古すぎて、盛りきれない。。。笑

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