*たわごとコラム
カフェサレ 作品募集
フランスのカフェサレ(CFSL)というイラストレーター・コミュニティが中心となり、
チャリティー・オークションを計画しています。
日本の漫画家やイラストレーターからも作品を募集していますので、
志のある方は是非アクセスしてみてください。
各国から寄せられた作品を閲覧することもできます。
>>CFSLホームページ
http://tsunami.cfsl.net/
>>日本語による募集要項のページ
http://cfsl.net/tsunami/?page_id=656
たくさんのメッセージが寄せられました
休止期間中に各国から届いた本たちの一部です。
震災直後に、それぞれの国の関係者からたくさんのメッセージが寄せられました。
新着UPをスタートする前に、
この本たちに添えられている思いをお伝えしたいと思います。
プレシャス・ブックスを通して、日本の人たち全員に向けられたメッセージです。
I very much hope, that you are all doing well and that the worst is over.
I wish you a safe!
*
With the best wishes for you and everybody in Japan!
*
We are all here for you.
*
I am terribly sorry about hearing the earthquake and tsunami
in Japan and for the victims.
However I do hope you and your family and friends are well.
*
Since we heard what happened in Japan we are deeply sorry for that.
We hope everything is okay.
*
We are deeply sorry for what happened to your country.
Hope that it will be all okay.
元気の着火点になりますように
再スタート1冊目には、パツォウスカーの作品を選びました。
「理屈抜き」のアートが、元気の着火点になりますように。
何かを考えるのではなく”感じる”こと。
ほんの少しでも、明るい方へ、
あたたかな方へと”感じさせてくれるもの”に触れることで、
ようやく暗いトンネルからの出口を見つけられることもあると思います。
私は、絵本にもそういう力があると信じています。
「進もう」
東日本大震災から、1ヶ月余りが経ちました。
未だに不安材料は山積みですが、徐々に復興の兆しも見えてきています。
正直に言うと、震災発生直後は「今は絵本どころではない」という思いが強く、
このサイトの運営をそのまま続ける気持ちにはどうしてもなれませんでした。
当時『優先されるべきもの』の中に、絵本は含まれていなかったのです。
間もなくして被災地に、
食べ物や衣類、燃料などの必需品だけでなく、
本や音楽、文具やおもちゃなど・・・を送ろうというムーブメントが起きました。
これらもやはり、人間にとって必需品なのだということを再認識することができました。
また絵本をお送りした方々から、
「世の中が今真っ暗なので、絵本が心の支えになっています」というメッセージや、
「絵本が届くということが、いつも以上に楽しみです」という
メッセージをいただきました。
こうして、この1ヶ月の間に改めて見えてきたものを礎に、
このサイトを再スタートさせようという気持ちを固めることができました。
今日に至っても、戸惑いが消えたわけではありませんが、
止まっていても、何がどうなるわけでもありません。
「進もう」
とにかく今、そうはっきりと思えるようになったのです。
進まなければ、希望も再生もありません。
以前と同じように、少しずつまた
絵本をご紹介していこうと思います。
決してやってはならないこと
自分に何ができるだろう・・・
未曾有の大災害を目のあたりにして戸惑うばかりです。
けれども、決してやってはならないことだけは、強く意識しています。
それは、自分という “1” の小ささを嘆かないこと、軽視しないこと。
人間一人にできることは、本当に小さい。
けれど、元々それがひと一人の器。
小さな器が繋がって、繋がって、大きな器になる・・・
どんなにささやかなことでも、やる意味があるのだと確信しています。
わずかな義援金でも、節電でも、祈りでも・・・・
売り上げより、バクシーシより・・・その2
【エジプトのおはなし その4のつづき】
列車はなかなか発車しませんでした。
小さな罪悪感を抱きながらも、3つ目のビスケットを青年にすすめて、
その日初めての食べ物をほおばっていると、
先ほどの物売りの少年が再びやってきました。
私は思わず彼を引き止めて、3個目のビスケットの差額分を差し出しました。
彼は「何?」という顔でこちらを見ています。
ビスケットを指差しながら「さっき足りなかった分だよ」と言うと、
対面に座っている青年が再びそれを少年に通訳してくれました。
少年は急に驚いたような顔になって、大きな声で何かを言い始めました。
意味は分からないけれど、ものすごく喜んでいるということは伝わってきます。
最後には私に抱きついてきて、その場からなかなか離れようとしませんでした。
いよいよ列車が動きだし、大急ぎで下車した少年は、
ホームから私たちが座っているシートの窓を懸命に探していました。
私たちが手を振ると、少年はすぐにそれに気がついて、いつまでもホーム走りながら・・・
列車が加速して追いつけなくなっても、私たちに手を降り続けてくれたのでした。
後にも先にも、ものを買っただけでこんなに喜ばれたことはありません。
他と比べても、ビスケットの値段は決して高くはありませんでした。
少しでも売り上げが上がればもちろんうれしいでしょうが、
彼の喜び方を思えば、それだけの理由とは到底思えません。
ある国では当たり前のものが、別の国には全くないことがあります。
ある国の人は”ない”ことが、ない国の人は”ある”ことが理解できません。
私にとって当たり前の何かは、少年にとっては驚くべきものだったのでしょう。
3つ目のビスケットの差額分は、彼にとってはただの売り上げではなく、
もちろん、バクシーシでもありませんでした。
それは、ささやかではあっても、
大人から示された初めての「公平さ」だったのかもしれません。
物売りの少年は、日々大人と金銭的な駆け引きを繰り返しているはずです。
それぞれの国に独自の文化や伝統、価値観があり、
短絡的に幸・不幸を決めつけることはできませんが、
懸命に物売りをする子供たちのことを見ていると、
こんなに小さいうちから世間の不条理にさらされて生きなければならない
子供がいるという現実に、やはり疑問を感じてしまいます。
もしも少年が、
売り上げより、バクシーシより・・・
つまりお金よりも『公平さ』を喜んだのだとしたら、
それは彼が一人の人間として無意識に求めていたものに違いありません。
人種を越えて子供が無意識に求めるものは、
そのまま、全ての人間にとって基本的に必要不可欠なものであるはずです。
『公平さ』もその一つなのではないでしょうか。
エジプトで革命が起きました。
私が出会った少年たちも、デモに参加したかもしれません。
彼らを駆り立てるものは明確です。
売り上げでもバクシーシでもないもの。
【エジプトのおはなし その4】
物売りの少年にまつわる思い出をもう一つだけ。
エジプトを南下する列車の中での出来事です。
私たちの乗った列車は大幅に遅れていました。
全ての駅で気が遠くなるほど長時間停車して、なんのアナウンスもなく発車します。
4人がけの対面式シートに同席していた英語を話せる青年によれば、
エジプトではいつものことだということでした。
その時既に、到着予定時刻から遅れること8時間以上。
いい加減おなかがすいてきて、
駅に停車する度に乗り込んでくる物売りから何か買おうということになりました。
そんなに遅れるとは思っていなかったので、充分な食料を持参していなかったのです。
選択の余地もなく、大きなかごに市販の菓子類を入れて売りにきた少年に声をかけました。
この少年には全く英語が通じませんでしたが、
目の前に座っていた青年が通訳をしてくれました。
差し出されたかごの中から、小さなビスケットの袋を2つ選び、
お金を渡そうとすると、少年が青年を通じて「おつりがない」と言ってきました。
それは、1コインで2つ買えて、おつりがくるという値段(たとえば、1つ40円で、
100円玉を出すと20円のおつりが来るような値段)だったのですが、
細かいコインが足りず、何より、とにかくおなかがすいていたので、
青年に「だったらその値段でかまわない」と伝えました。
すると、青年が少年と何ごとかやり取りを始め、おもむろにかごの中からもう一つ
ビスケットを取り出して私たちに差し出しました。
つまり青年は、3つ買うから1コインにしろと、物売りの少年に交渉してくれたのです。
エジプトでは、日常的に行われている当たり前の駆け引きだと思います。
物売りの方も、それを前提に予め高めの値段設定をしているのかもしれません。
もちろん、青年も親切心でやってくれたことなのですが、
その時私は、なんだかその少年から
搾取をしてしまったような気持ちになっていました。
青年の様子が、ちょっと強引に見えたような気もしたのです。・・・つづく
「バクシーシ」と言ってみた。
【エジプトのおはなし その3】
コーラ売りの子供にまつわる思い出が、もう一つあります。
場所はギザのピラミッド。
観光客が集まる場所には必ず物売りがいて、
私たちのような個人旅行者が有名な遺跡を見学しようと思ったら、
彼らを避けて通る術はありません。
物売りだけではなく、ラクダに乗ってみないかとか、いいツアーがあるとか、
とにかく、多種多様な商売人が声をかけてきます。
もちろん、覚悟はしていったつもりなのですが、
それでも、忘れられない思い出がたくさんできてしまいました。
(いろんな意味で・・・苦笑)
遺跡の全景を撮影したいと思い、ピラミッドの周辺を歩いていた時のことです。
物売りに見つからないように、なるべく人気のない方を選んで進んでいたにもかかわらず、
どこからともなく子供が現れて、小走りに近づいてきました。
「コーラ! ベリー・コールド!」
まだ10歳にも満たないくらいの少年が
ブリキのバケツを下げて、私たちを見上げています。
バケツの中には瓶コーラが3本、氷水に浸してあって、結構重たそうでした。
「ノー、サンキュー」
はっきりとそう答えて通り過ぎようとしましたが、
彼はずっと私たちの後についてきて、
遺跡の全景が視野に収まる程の場所まできても、
立ち去ろうとしませんでした。
バケツの中の氷は、もうほとんど融けてしまっています。
こんな見込みのない客はさっさとあきらめて、
他をあたった方がずっと商売になると思うのに、
なんでこんなところまでついてくるのか・・・
一休みしようと思って岩に腰を下ろすと、
少年も立ち止まって、ただじっとこちらを見ていました。
その時・・・何を思ったのか店主Bが突然、
その少年に片手を差し出しながら言ったのです。
「バクシーシ」
少年も、思いも寄らない展開にかなり動転していました。
バケツを足下におろして、目を白黒させながら
ズボンのポケットをひっくり返してみたり、
Tシャツを裏返してみたり、
とにかく必死に「自分はお金を全く持っていないんだ」と訴え始めたのです。
「わかったよ、わかったよ、冗談で言っただけだよ」
少年のあまりの必死さに、私たちも驚いてしまいました。
その時、私たちは知ったのです。
この国の人たちは、自分がどんなに貧しくても、より貧しい人には、
あるいは求められればいつでも、他に施そうとする人たちであることを。
そして自分たちが、この国の人たちについてどれほど無理解であったかということを。
私たちは、言い値で3本コーラを買って、
そのうち1本を「一緒に飲もう」と言って彼に渡しました。
けれども、彼はそのコーラを飲みませんでした。
それを売れば、またお金になるからでしょうか。
それはそれでいいと私たちは思ったのでした。
コーラが一応完売したというのに、少年は立ち去ろうとしませんでした。
片言の英語でおしゃべりをしながら、
しばらくの間一緒に砂漠に横たわるピラミッドを眺めたのを覚えています。
彼は相当しぶとい「物売り」ですが、それ以前に「幼い少年」です。
コーラを売り終えた後の彼は、100%「幼い少年」でした。
彼が物売りではなかったら、私たちはもっとすんなり友達になれたかもしれません。
けれども彼は、物売りをしなければ、生きることができないのです。
「コーラ! ベリー コールド! ○○ポンド!」
【エジプトのおはなし その2】
久しぶりに、古いアルバムを引っ張り出してきました。
当時、エジプトのルクソールで撮った一枚。
砂漠でコーラを売っていた兄妹です。
ルクソールの西岸には、王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿などの遺跡が点在しており、
世界中の観光客が訪れます。
その遺跡と遺跡をつなぐ観光道路の脇で、二人は懸命に声を張り上げていました。
「コーラ! ベリー コールド! ○○ポンド!」
コーラの瓶を頭上にかざしながら、バスや車が通る度に、それを追いかけるようにして
何度も何度も叫びます。
「コーラ! ベリー コールド! ○○ポンド!」
写真を見ても分かる通り、辺り一面砂と石ころだらけのところで、
太陽を遮ってくれるものはこの小さな小屋だけ。
しかも、8月です。
私たちは現地で自転車を借りて遺跡巡りをしていました。(今では考えられない!)
ペダルをこいで王家の谷に向かう途中、この二人に遭遇したのです。
エジプトでは、物売りの子供は珍しくありません。
当然のことながら、私たちは充分な水を所持していましたし、
二人の声に応じることなくその場を通り過ぎました。
彼らからコーラを買ったのは、一通り遺跡巡りをし終えた帰り道のこと。
飲み水は残っていたものの、暑さで相当へばっていたので、
ベリー コールドなコーラがどうしても飲みたくなってしまったのです。
数時間が経っていましたが、二人は同じ場所で同じように叫んでいました。
私たちが自転車を止めると、お兄ちゃんの方がコーラを2本持って駆け寄ってきました。
「2本ちょうだい」
「はい、 一本☆☆ポンド」
その金額は、先ほどまで大声で叫んでいた金額よりも随分高くなっていました。
「☆☆ポンド? さっきは○○ポンドって言ってたじゃない」
彼は全くもの怖じせずに「じゃあ△△ポンド」と少しだけ値を下げてきました。
「じゃあ、もういいよ」と立ち去ろうとすると、
「だったら、いくらならOK?」と聞いてきました。
アラブ圏で買い物をする時にはよくあることです。
ご当地では当たり前のことですが、
日本人の私たちは慣れていないので、これが結構なストレスになるんですよね。
あーだこーだと交渉した末、結局○○ポンドで決着。
やっとベリー コールドな(はずの)コーラにありつけました。
一息ついて、帰りがけに何気なく妹の方にカメラを向けると、
お兄ちゃんがすぐに気づいて、駆け寄ってきました。
「バクシーシ!」
写真を撮らせてあげるのだから、お金を払えと。
私たちはその要求に、今度は迷わず従いました。
すると、彼は妹の肩を抱き、こうして写真を撮らせてくれたのでした。
こんなふうに話すと、このお兄ちゃんに眉をしかめる向きもあるかもしれません。
私たちも、エジプトを旅している最中はずっと身構えていました。
「エジプトで誰かと接する時には常に警戒していた」と言っても過言ではないくらいに。
だから、こんな子供たちを相手にしてついつい真剣に値段交渉をしてしてしまったのです。
お兄ちゃんは確かに商売上手?でした。
そうして彼は、妹を懸命に守っていました。
その肩には、家族の生活もかかっていたかもしれません・・・
この日の夜、私たちはずっと考えていました。
○○ポンドというのは、日本円にして10円とか20円とか、確かそういう金額で、
後になって冷静に考えれば、私たちにとっては
目くじらを立てるほどの金額ではなかったのです。
けれども、だからといって気安くお金を渡していいのか・・・
そもそも「そんな額で」と考えることが、どうなのか・・・
単純に「国や文化の違い」でかたずけていいのか・・・
今になって振り返れば、結果的に良かったのだと思うことができます。
けれども、当時若かった私たちの頭には、延々と答えのでない問いが渦巻き続けました。
彼らにとっての10円と、私たちにとっての10円の重さの違いについて。
そして、その重さの違う10円を、自分たちがこの国でどう考え、扱うべきかについて。
『少しでも売り上げが上がれば、その分彼らは、とりあえずではあっても、
ほんの少し幸せになれるのではないか。
妹の靴を買えるかもしれないし、学校に行けるようになるかもしれない・・・
けれども、彼らは多分、明日も、明後日も、コーラを売らなければならない。
何より、彼らはエジプトに生まれて、エジプトで生きてゆく・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
そうさせるのは、国なのか、親なのか、運命なのか、教えなのか、
とにもかくにも、
二人は、家族とともに今日を生きるため、
炎天下で、ただ懸命に声を張り上げていたのでした。
「コーラ! ベリー コールド! ○○ポンド!」「バクシーシ!」
エジプトで出会った子供たちのことを思い出しました。
前回のコラムでご紹介した新聞記事を読んで、
かつてエジプトで出会った子供たちのことを思い出しました。
もう大分前のことになりますが、エジプトには一度だけ訪れたことがあります。
数ヶ月間ヨーロッパを放浪した後、トルコを経由してカイロに渡りました。
その時にもうかなり旅慣れしていて、それなりに図太くなっていたのですが、
それでも、エジプトではたくさんのカルチャー・ショックを経験しました。
なかでも”バクシーシ”というフレーズは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
エジプトにいると、いろんな人からいろんな場面で頻繁に「バクシーシ」と言われるのです。
「バクシーシ」とは、イスラム教の教えで、
「富める者は貧しい者に施し、喜捨すべし」ということ。
要するに「バクシーシ」と声をかけられたら「施し」を要求されているということです。
当時は、自分が「富める者」であるという自覚は全くありませんでしたが、
どんな貧乏旅行でも、若くして他国に旅ができる日本人は、
エジプトの多くの人たちから見れば十分に恵まれた身分なのです。
その教えからすると「バクシーシ」は、他の国で経験する「ギブ ミー マネー」とか
サービスに対して感謝の気持ちで渡すチップなどとは、本質的に意味が違います。
施す者に対して、施される側は徳を積ませてあげるという感覚なのです。
ところが、イスラム教徒ではない者からすれば、
実質的に「ギブ ミー マネー」と「バクシーシ」の区別がつきません。
「施し」を要求されているという点においては同様で、
それどころかエジプトの「バクシーシ」の方がかなり強引な感じなのですが、
少しだけ状況が異なる印象がありました。
「ギブ ミー マネー」とは違い、「バクシーシ」は、
どう見ても貧しそうには見えない人からも求められるのです。
例えばある時、市場で突然背後から「ハロー」と肩を叩かれました。
振り返ると、そこにはきれいな身なりをした若い女性の二人連れが立っていて、
おもむろに「バクシーシ」と言いながら、片手を差し出してきました。
「ハロ~! バクシ~シ」
「・・・?」
あまりの唐突さに思わずポカンとしてしまい、
なんの反応もできずにいると、
二人は「意味が通じてないみたい・・・」と思ったようで、
ほどなく立ち去ってゆきました。
とにかく、連日の多様な「バクシーシ」に最初のうちは戸惑うばかりでした。
嫌な思いもしましたが、滞在時間が長くなるうちにだんだん慣れてきて、
少しだけイスラムの教えと向き合うことができるようになりました。
・・・つづく




