*たわごとコラム

Merry Christmas !

Merry Christmas !

私はクリスチャンではありませんが、
時々、ある神父様の笑顔がふっと脳裏に浮かびます。

スペインから、東京の大きな教会に赴任してこられた
陽気で、ちょっとお茶目で、いつもニコニコしている白髪の神父様でした。

もうだいぶ昔のことですが、ひょんなことからご縁ができて、
何度か教会にも伺いました。
その後帰国されて、今ではお会いする機会もなくなってしまったのですが
神父様のことを思い出す度に、心がふわ〜とあたたかくなります。

ある時、クリスマスのご案内をいただいて教会にお伺いした時
「私はクリスチャンではないのに、ここにいていいのでしょうか?」
と単刀直入に質問したことがありました。
神父様はいつものようにニコニコ笑って
「なんの問題もありません」とおっしゃいました。

入信しなさいと誘われたこともなく、
お説教を受けたこともありません。

神父様のお話はいつも冗談まじりで、周りには笑い声が絶えませんでしたが、
後になってみると、いつも何かが心に残っていました。

「クリスマスが終わると、“反省会”というのをやるんですよ。
私が『こういうところがよかったですね』と意見をいうと
皆さんは『こことここがダメだったから、改善しよう』というのです、
スペインと日本の違いですかね〜ははは」

「あそこでお父さんが赤ちゃんをあやしていますね。
たかいたか〜い、と抱き上げて、少し空に投げ上げているのに
赤ちゃんはずっと笑っていますねぇ」

まるで“やさしいおじいちゃん”のように接してくださった神父様が、
日本の教会を率いる立場の方であることを知ったのは、
かなり後になってからのことです。

私は今もクリスチャンではありませんが、
クリスマスには空に向かって神父様の健康と幸せを祈ります。

今でもきっと言ってくださると思うのです。
「なんの問題もありません」と・・・

今日がたとえ「プレゼント交換の日」であっても
「家族でケーキを食べる日」であっても、
それで心あたたまる一日になるのなら。

メリー・クリスマス

世界は一冊の本

秋からパタパタと忙しく、あまり本を読んでいません。
電車で通勤、通学をしていた頃には、移動中が読書タイムになっていましたが
車を使うようになった今では、そうもいかなくなりました。
読みたい本が、未読のまま増えてゆくのは結構ストレス・・
しかも、一種の栄養失調のような症状が表われ始めます。

「読書休暇をとりたいな〜」といったら、
贅沢だといわれました。
そうでしょうか??(苦笑)

私は一冊の本をじっくりと味わうために、
丸一日時間が欲しいと思うことがよくあるのです。

「世界は一冊の本」 長田 弘

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

書かれた文字だけがほんではない。
日の光り、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。

ブナの林の静けさも、
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。

本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。

ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、
地図のうえの一点でしかない
遥かな国々の遥かな街々も、本だ。

そこに住む人びとの本が、街だ。
自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。

シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネブド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。

人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。

草原、雲、そして風。
黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。
権威をもたない尊厳が、すべてだ。

200億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
、 、、 、、、 、、、
考えることができるということだ。

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

ライダーベルト

店主Bから鉄ゲタの件で指摘がありました。

厳密にいうと「鉄ゲタで走った」は嘘になるそうです。
つまり、あんなものを履いて走るなんて到底無理な話で
気持ちの上では走っていても、
はたから見たらスローモーションで歩いているように見えたに違いないと・・・・

こういうバカ正直なところも、鉄ゲタ修業のたまものかもしれません。

ところで、そもそもどうして拳法なんか習おうと思ったの?と訪ねたところ
「ブルース・リーがかっこよかったから」だそうです。
父は星一徹に、子はブルース・リーに影響を受けていというわけです。

私たちの子供の頃は、 ブルース・リーに憧れてヌンチャクを
振り回している子がたくさんいたんですよね〜。
ちなみに私の弟は、仮面ライダーに憧れて、やたらめったら“変身”していましたけど、
修業が足りなかったのか、夢破れたのか、未だに世界を救えずにいます。

母は弟のおねだりに根負けしてライダーベルトなるものを買い与えていましたが、
あれもオーブンや鉄ゲタ同様あまり効果がなかったようです。

オーブンと鉄ゲタ

「イラストやデザインに興味を持ち始めた子供に何を与えてあげればよいか」
友人からそんなメールが届いたことが切っ掛けで、店主Bと、自分たちが子供だった頃はどうだったかという話になりました。

私の場合・・・
小学生の頃、“お料理しましょう”という子供向け料理本の影響で、すっかり料理にはまっていました。はじめは、家にある道具だけで作れるレシピを選んでいたのですが、だんだん興味が広がって、ある日「オーブンを買ってほしい」と母に頼みました。
おもちゃだとか、雑貨だとか、そんなものはどんなにねだってもなかなか買ってもらえませんでしたが、その時に限っては「今すぐに買いにいこう」とその日のうちに電気屋さんに連れていってもらったことを、今でもはっきりと覚えています。
その時の事は、私のその後の生き方にいろいろな意味で影響し続けていて、何かにつけて思い出すのです。例えば、選択の仕方、決断の仕方、行動の仕方・・・で迷った時とかに。

と・・・そんな話を店主Bにしたところ、「なんかいいな〜、それ。うらやましい話だな〜。オレなんか、すぐに思い出せることがないな〜」と宙を見つめていました。
が・・・突然、
「そういえば、オレが拳法を習い始めたころ、おやじが突然鉄ゲタ買ってきてさ・・・これ履いて走れっていわれたことがあったよ。笑えるよね〜」

「鉄ゲタなんて本当に商品として売ってるの〜〜??」
そんなものはマンガの世界の事だとばっかり思っていたので、
思わず聞き返してしまった私。

「売ってるよ〜、実際それで走ったしさ〜」

「へ〜〜〜〜」

「それからさ〜 鉄の棒の両端にコンクリートつけて、バーベル作ってくれたよ」

「へ〜〜〜〜、なんかお父さん、“巨人の星”に出てきた星 一徹みたいだね」

「たぶんおやじも影響受けてたんだと思うんだよね〜〜、鉄ゲタもバーベルも、欲しいって言った覚えはないんだけどさ〜」

よく話を聞いてみると、当時はあんまり嬉しくなかったようですが、そのお陰で体力がついたのかもしれないし、結果的にはよかったんじゃないかということで、思い出話を締めくくりました。

まあどっちにしても、私は今“料理の達人”ではないし、店主Bは“星 飛馬”でも“ブルース・リー”でもありません。オーブンも鉄ゲタも、親が思った程の効果は生まなかったような気もしますが、でもこうして今でも思い出すということは、きっと何かを与え続けてくれているのだと思います。

それにしたも鉄ゲタ・・・一度この目で見てみたい。

部屋中が柑橘類だらけ

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いつもクロッキーを可愛がってくれる近所のおばあちゃんからのお裾分けで
部屋中が柑橘類だらけ。
みかんと、だいだいと、レモンと・・・
柑橘類にもいろんな種類があって、素人目には
見分けがつかないものもたくさんあります。
オレンジだと思って食べたら、だいだいだったり。
中には、すっぱ〜いのもあるから、 選ぶ時には結構ドキドキ。
見てるだけでもビタミンCが補給できそうです。

終の栖

今年の春から、身内の物件探しを手伝っていました。
昨年暮れにうちに遊びに来て、この辺りの暖かさが気に入ったらしく、
お正月にはもう、移住の決意をしていたというのです。
私たち自身も定住先を探そうと思っていた矢先だったので
軽い気持ちに引き受けましたが、これが予想以上に困難でした。

夏から秋にかけて数えきれない程の物件を見に行き、
ようやく条件に合う家に巡り会ったのが11月。

74才の一人暮らし、「終の栖だ」と言われたら、
条件が厳しくても、妥協するわけにはいきません。
終の栖の条件は・・・
体力がなくても生きられる家。
そして、生きることを楽しめる家。

といっても、若輩の私に全てが理解できるわけもありません。
それでも、自分がもし70代で、一人暮らしをするとしたら・・と
思いを巡らしながら、物件探しを続けました。

そもそも、70代で引越しをすること自体、一大決心だったと思うのです。
その思いに答えられる物件は、そう簡単には見つかりませんでした。

この物件探しは私に、“生き場所”について、あるいは“死に場所”について
真剣に考える機会を与えてくれました。
自分が年老いた時、どんなところで暮らしていたいかというとこも含めて。

この辺りでは、リタイアした方たちが
静かな別荘地に越してこられるケースが多く見られます。
緑が多く、温泉もついていて、見晴しもいい。
おまけに出物がたくさんあって、比較的安い。
一見、セカンドライフにはピッタリの条件です。
けれども、 出物がたくさんあるということは、離れる人が多いということなのです。

人は、人の中でしか生きられません。
田舎であっても、人のつながりの中でしか生活できないのです。
人間関係で悩んで人から離れたいと思うこともあるかもしれませんが、それでもやはり、
人は独りでは生きていけません。

最後に出会った物件は、とにかく気のいい家でした。
不動産屋さんも、売り主さんも、ご近所の方々も、
ちょっと奇跡的だと思える程に、いい方々でした。
こんなご時世に、こんな 事もあるのかと思うくらいです。

気のいい縁が生まれるところ。
それが、見晴しより温泉よりも大切な
「終の栖」の絶対条件だと、今では思っています。

そんなこんなで、今年の年末年始は、例年にも増して忙しくなりそうです。
今度はお正月返上で、引越しのお手伝いです。
私たちの“気のいい定住先”は、いつ見つかるのやら。 (苦笑)

朝日と夕日

ここは半島の東側、太陽も月も水平線から昇りますが
海に沈む夕日を見たければ、山に登って西側を望むしかありません。
山に登るといったって、車で峠まで走るだけだけど。

私にはとても、朝日と夕日を描き分けることは出来ませんが、
やっぱり違うんですよね、空気の質感みたいなものが。

なんか急に思い立って、車を走らせました。
なぜかクロッキーも、すっと遠い海を眺めていました。

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毎年のようにいっていますが・・・

毎年のようにいっていますが・・・
もう12月なんですね〜。辺りはすっかりクリスマスの雰囲気です。
最近はイルミネーションを飾るお家が多くて、散歩をするのも楽しみです。

サンタクロースや雪だるまが、窓の向こうからこちらを見て笑っていたり、
玄関先にツリーが置いてあったり、
道行く人を意識したデコレーションで、
まさにその“道行く人”である私は、
幸せのお裾分けをしてもらったような気分になります。

自分や自分の家のためだけではなく、そこを通りかかる身知らぬ誰かのために
その人が心あたたまるであろう何かをする・・
クリスマスシーズンだけでなく、
毎日早朝に、家の前の道路を掃き清めるおばあちゃん。
ベランダや玄関先にたくさんお花を植えている家。
自分のためでもあるけれど、誰かのためでもあるんですよね。

それって、なんだかすごく・・・「いいな〜」と思います。

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